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急性悪逆メランコリック

「……この魔力、そうか、これが」


 剣聖がカグラと相対しながら呆然と呟く。

 動くものは誰も居ない。ビリビリとした張り詰めた空気。ニブチンな私でもわかるこの巨大な存在が近くに居るという圧迫感。聞こえてくるのは雷鳴にも似た幾千、幾万の羽ばたき音。

 そうか、資材の無いこの大地にどうやってこの街を作ったか。私がマリーさんへ聞いた先程の問いの答えがそこにあった。

 結界をおそらくは今は此処に居ないのであろう魔王エウリュアル。そして街を魔王ブラッドベリーが作った。黒のマナが無いならば別の物を使うしか無かったのだろう。

 成る程、街のチンピラ共がマリーさんに従う筈である。建物が崩れ万の蝙蝠となって空を覆い尽くす。渦を巻くようにして旋回する蝙蝠達は徐々に金の光となって周囲を照らし出した。

 赤い大地が金の光に照らし出され、茜色に染まった。

 その光の全てを吸い込んだ金色の光はそのまま異界人の男へと突撃する。甲高い金属と金属が擦れ合うような耳を劈く轟音と共に火花と巨大な光が散った。


「ぬ―――――」


 あれほどの強さを誇った男が防戦一方、蝙蝠化と霧化を交えた一分の隙すらない閃光のような連撃に為す術もない様子である。あの様子ならばおそらくあの男の持つ武器が保たない筈だ。

 男もそれをわかっているらしいが距離を取る事さえままならないようだった。

 雷撃を伴う白い足が頭上から下ろされ、それを防いだのを最後に男の持つ剣は真っ二つにへし折れ刃先はそのまま何処かへと消えた。

 それを見届けるように長い白い足がゆっくりと地に下ろされる。凪いだ風が張り詰めているかのような緊張感を持っている。静かだった。

 黄金を湛えた髪の毛が舞い上がる。扇情的な輪郭を描く赤のドレスが風に煽られ翻る。血を塗り固めたような真紅の瞳が男を見下ろしていた。

 嘗て黄金の薔薇の君と謳われた魔王、吸血鬼マリーベル=ブラッドベリーがそこに居た。


「魂ごと失せなさいな」


 何の予備動作もなく巨大な魔法陣が展開される。黒の魔力がないという状況だというのに。本来の威力など想像もしたくねえ。魔法陣から雨あられと降り注ぐ雷が大地に大穴を空ける。土が白っぽいガラス化しているのを見るに直撃すればどうなるものか。

 当てる気はそこまでないのであろう、どちらかと言えば動きの制限が目的なのかもしれない。マリーさんの手の平から溢れる紫電の光、扇状に広がるそれは掠っただけで黒焦げになれるのは想像に難くない。

 二人が何とか凌いでいるが、あれだけでも何れ力尽きるだろう。このまま決まるか、思ったがフィリアの身体を抱えた異界人の男の方が懐から何やら取り出した。


「回収するべきものはした。分が悪いのでな、ここは引かせてもらうとしよう。

 そこの人形は預ける。アルカ家に戻らぬと選択した時点で人形としては壊れている。

 それならば私が態々回収する必要もない」


 手にしているのはいつか見た黒の勾玉。あれを見るのは二度目だ。なんとなくわかった。あれはウサギ石と同じものだ。悪魔が封印された石。

 レイカードが持っていたものとは明らかにその質が違う。ああしてみるとかなり強力な悪魔な気がするぞ。黒い光を発する勾玉は如何にも禍々しく、呪物じみた物を感じる。


「女狐、我々の目的は果たした。力を貸せ」


 クォン、獣の鳴き声が響く。マリーさんの雷を黒の波動が消し飛ばす。その隙を付いて上空から飛びかかってくる巨大な生き物。

 白銀の鱗をした竜である。さっき乗ってきたのはこいつか。黒い暴風の中、ギルドマスターの爺さんが竜の翼に一刀を浴びせるが……。


「おいおいおい……儂の剣じゃもう通用しねぇか。年は取りたくねぇな……。

 あいつらに笑われらぁ」


 いや、動けただけマシだと思うが。この中で動くとは何か異界人としての特殊な力を備えているのかもしれない。

 竜は大きく羽ばたき、そのまま空へと駆け上がる。追いすがるようにカミナギリヤさんの矢が後を追うが、光とともにそれはあっけなく弾かれた。

 そしてそれが最後だった。黒の暴風が止み、そしてあの白銀の竜が残した風が静かに吹き抜けていった。


「………………」


 誰も何も言わない。完膚無きまでの敗北だった。

 考える。

 フィリアの精神は消滅したのであろうか?

 ……いや、そんな事はない。あそこでレガノアが出てきたのは……恐らく向こうにとっても想像の埒外もいいとこであろう。現にあの人間の二人も隙とも言えないぐらいの時間だったが固まっていた。

 あの身体、どう考えたって無理を通したとしか思えない。セレスティアとかいう人間が世界に干渉する為の端末の一つ。ただの人間の為の器だ。

 セレスティアが教会の総本山から遠隔で操作する為の器だっただろう。それを彼女が横合いから制御をかっ攫ったのだ。

 ならば精神は消滅などしていないだろう。

 立ち上がる。

 ぐらぐらとする上半身、ぐいっと横から押し付けて引っ付ける。

 竜が去った後、大地に蠢く者が在る。

 うぞうぞと這い回りその質量を見る間に増やしていく。

 瘴気はもう無い。ならば出て来るのは天使である。

 ただの小さな真白の餓鬼であったそれらは甲高い軋み音を立ててぞるぞると生えだした四肢を動かし立ち上がる。

 エンジェルスマイル、というらしい。確かな理性も発達した感情も無き赤ん坊が浮かべるそれは。

 だが、それもあの巨体にぽつんと面のように張り付いているだけでは愛らしいなどとはとても言えないだろう。

 ばふりと広がる背羽から白い光を放つ羽根が舞い上がる。

 空へ舞い上がろうとしたそれらを、天より降る雷が焼き潰した。無論、天使ならばその程度で死ぬわけもない。

 マリーさんが干渉したのか、街の結界が広がる。


「マリーさん、結界の核にこれ使ってください。僕の取っておきですよー」


 ウルトがマリーさんに言いながら渡すのは私がくれてやったあの黒い宝石だ。

 む、それならば。


「マリーさーん!」


 渡したのは黒いペーパーナイフと悪魔の絵画である。使えそうなもんは全部使うのだ。

 暗黒花の種もある分だけばらまきまくった。

 それを受け取るマリーさんの背は今となっては実に高いのでしゃがみ込ませてしまった。

 その赤い目はもう私が何をするつもりかを知っているようだ。


「クーヤ、三日、いえ、五日は保たせるわ!!此処でわたくし達は貴女の帰りを待つ!!

 行きなさい!!」


「任せて下さーい!!」


 身を翻してとっとこ走る。飛び去っていった彼方を見つめた。

 目を閉じる。巻き上がる風に砂塵が舞い上がる。砂と共に大陸を駆ける風の辿り着く先。

 目を開く。荒野が遠ざかる。

 彼らが消えた蒼穹の彼方、姿はない。もっと遠くへ。

 煌めく海原の中に浮かぶ幾つもの紅き群島。ここではない。もっと遠くへ。

 眩ゆく白き雲海、その狭間より覗く人が這いずる大陸。ここではない。もっと遠くへ。

 深緑の碧と大地の砂色、創生の傷跡より奔る幾筋もの光。大気の中に求めるものがある。私の目から逃れられるものなど在りはしない。

 剣聖と異界人、そしてもう一人。その背中を私の目は捕らえる。渡す道理は有りはしない。引っ掴んでくれようと手を伸ばす。が、私の気配でも感じたのか。

 男が振り返る。遅れて剣聖。小さな火花のような物を放って私の手から逃れるようにしてすり抜けていった。なんと小生意気な。

 掴み損ねたがフィリアに反応はない。そこにあるのはもはや精神無き肉体でしかない。ならば彼女の精神は何処へ?

 見回せば直ぐに視界に入った。人の大陸の中心、プリズムの光を放ちながら煮え滾る巨大な釜。幾万の魂を煮込み神生みを成す、創世神話はここから始まる。混沌と光の坩堝、投げ込まれた魂を飲み込みながら永遠に燃え続ける原初の炎。

 人の栄華を支える魂と精神を糧に蒼い光となって中の魂を苛み続ける魔力の炉。その深い底、世界を支える炎に炙られ続け身じろぎもせずに魂を焼かれる苦痛にただただ耐える者達の魂。そこにフィリアも居た。

 神々に肉体を捧げ炉に魂を捧げ人に精神を捧げ塵のようになってゆっくりと長い時間を掛けて消滅していく魂達、消滅しながらもその感情は喜びしかない。炎に焼かれながらその生が終わることを心から喜ぶ、彼らの生きた時間が一体どのようなものであったか。

 炎の精霊との契約をしていなかったフィリア、自分の魂が行き着く先を思えばそういう気にもならなかったのだろうか?

 炉の中に手を伸ばす。何やら邪魔してくる奴らがいるがしっしと追い払った。鬱陶しい奴らである。

 伸ばした手に縋り付いてくる者達もいる。まぁ別に好きにすればいいのだ。大した重さじゃないし。出たければ勝手に掴め。

 おりゃーと底に手をつけた所で、横合いからただならぬ視線を感じてそちらを向けば、一人の男。

 エルマイヤ=エードラム=アーガレストア、霊獣と人間の血を継ぐ呪われた一族の男。私を認識しているのは霊獣の血のなせる技か?

 色が抜けているらしい白い身体に赤い目、そして白っぽい獣の名残が身体のあちこちに残っている。着飾った身体を見るに教団でも重要な地位に居るのであろう。

 眺めているうちにガリガリと頭を掻き毟って泡を吹いて痙攣し始めるに正気は失いつつあるようだが。

 それにしても、それでもなおこちらに手を伸ばしてくるのは中々の根性だ。しかし残念。もうおめえの出番ねえから。フィリアの運命はフィリアが決める。

 聖女の運命に抗い、地獄に身を落とさんと悪魔召喚の奥義に手を出し肉の欲に溺れ妖精王の里を訪れ、楽園の中に潜む悪神なる蛇の姿を求め続けたフィリアに聖女の資格はないと私がお墨付きをくれてくれるわ。

 炉の方に視線を戻す。業火に炙られている真っ黒な人型の炭としか表現しようもなく造形など崩れ果て見る影もないが私が間違えるわけもない。

 フィリアに差し出した手を精神と魂だけながらフィリアは虚ろな眼窩で確かに見ていた。だが、ゆらゆらと炎の中で揺れながらフィリアの魂は見つめているだけで動こうとはしない。

 なんだ、何か不満だというのか。めんどくさい元聖女である。仕方がない。


「クルコの実入りグラタンでもやるからはやく来るのだ!」


 更に手を突き出すと、物で釣ることに成功したらしくフィリアが炭化した腕をそっと伸ばしてくる。燃え盛る魂は見るからに熱そうで今のフィリアに触ったら火傷の一つもしそうだがこの炉の業火も私には関係ない話である。

 紅の炎を纏った黒い人影、その目玉らしき白い空洞からぼたぼたと白いものが何やら落ちてくる。でっけぇそれをとめどなく落としながら、白く光る私の指先にフィリアの小さな黒い手が乗った。

 ん、わかりにくいがもしや泣いているのか?

 クルコの実入りグラタンで泣くとはそんなに嬉しかったのか。しょうがない、みかんジュースも付けてやる。だから泣くなよ。何をそんなに泣くのだ。

 なんだかその姿を見ていると昔見たものが思い出された。

 ――――――そうだ。あいつらも馬鹿みたいに泣いていたな。私には何をそんなに目から水を出すのかとしか思えないのだが。

 短い命で笑っては泣き、運命に抗い心を繋ぎ生まれては死んでいく。眩しい光を目玉から零し続けるフィリアもまた同じなのだろう。

 彼女もそうだった。人に憧れ、人を愛し、人を憎悪しながらも、人になる事を願い、その果てに人と添い遂げた。

 その名を、同情、怨嗟、憧憬、自分でもよく分からないままに静かに口にする。


「レガノア」


 意識が飛ぶ。光指すあの楽園へ。

 突然に馬鹿で頭の悪いことを言い出した光の神。

 私とは正反対の金の髪に褐色の肌、三つの目はそれぞれ光と天使と調和を表す色。


「わたしはひとになりたいのです」


 何を馬鹿な事を。


「おおくのひとがわたしにいのり、ねがい、わたしのめのまえをはかなくうつろう。そのすがたがわたしはいとおしいのです。わたしはひとになりたい」


 どうやら彼女は人間に毒されてしまったようだ。

 人間などになってどうするというのだ。

 人として生き、人として死にたい?

 よくわからないな。

 私がこの目で見る人間はとても少ない。

 悪魔は多く居るが彼らは私の内側にこそ住まうもの、そう決められている。外側の私が触れることは叶わず見ることすらない。悪魔達が何を考え何を想い生きているかなど私の預かり知るところではない。好きにさせている。

 例えば私が触れることが多いのは霊的に恵まれた種族。魔族や竜族などが殆どだ。それも未だ10にも満たない数であったが。

 だが彼女はその役柄、その本質において自由を司る存在である人間を見る機会が多い。

 その違いだろうか。

 人間などどれも同じではないか。小さくか弱く愚かだ。目を凝らしても見分けすら付きはしない。

 それとも彼女には違うのか?


「さいきん、ひとりのにんげんがわたしにねがうのです。わたしにあいたいと」


 それは無理な注文だ。

 どうしたって越えられない壁はあるのだ。

 物質界を這いずり回る彼らは最も偉大なる者によって創造されたばかり。私達とは一線を画す存在。

 幾つかの次元が創造され、そのうちの一つに私達は創造された。

 この次元に新しく物質界が創造され、その箱庭で彼らは箱庭の法則に従い生まれた。

 そして私達はそれぞれ物質界での役割を与えられる。

 天国と地獄、それぞれの神域を作り、魂の持つエネルギーの方向性に従い流れてきた魂を洗い流し、無意識の海へと流す。

 そしてレガノアは霊的な神殿にそれぞれ物質界とのチャンネルを持つ端末を設置し、普遍的に彼らの願いや祈りを聞き届け、魂の多くが同じ望みを持った時にのみ奇跡を起こす。

 対する私はたった一つの閉じた端末しか持たず、霊的な能力を究極的に高め、その端末へ至る事が出来た者にのみ力を与える。

 それが私達のルールである。

 箱庭のルールに縛られながらも、彼らがその命を燃やし、生活を営む事で物質界は既に無限に近い広がりを見せており、私達にはもう及びも付かない物になりつつある。

 彼らの意識下の創造に従い、上階層に彼らの意識集合体とも呼べる新たな神々が生まれた。

 これからも彼らの魂の有り様と共にこの宇宙は多様化していくだろう。

 霊質と物質と自我を備えた、私達とは違う魂と呼ばれる殻と肉体と呼ばれる器と精神と呼ばれる心を持つこの世で最も新しい生き物達。

 霊質しか備えない私達に出来ることはこの宇宙に則った方法でのみ、彼らと一方通行で触れ合う事だけだ。

 彼らの中でも人間とは可能性を突き詰めた生き物、それ故に、波長が合うのであれば彼女の声くらいは時折聞こえるかもしれないが。


「かれはまいにちいのっているのです。いつもいつもねがっているのです」


 だからどうしたというのだ。

 貴女も会いたいと?まさか。


「そうです。わたしもあいたいのです。かれのかんじょう、かれのこころにふれたい。

 そうすればわたしの……この……よくわからない、しょうどうのしょうたいがわかるきがするのです」


 ……意味がわからない。

 私には貴女の言葉の意味がわからないな。

 レガノア。


 私の言葉に目の前の彼女は光溢れる慈愛に満ちた眼差しで―――――春を待った花が鮮やかに咲き誇る、そう、まるで人間のような。美しい微笑を浮かべて――――。




「私達には無い、心というものを持つ彼らはとても生命力に満ち溢れていて、祈り、願い、自分が信じる未来の為に、万に一つの可能性にその命を懸ける。その姿はとても尊くて美しいの。いつか貴女にも分かるわ。アヴィス」




 はたと我に返った。

 何か思い出した気がしたがすっぽーんと頭から消えてしまった。ま、どうでもいいことだろう。大したことじゃあるまいて。

 べしょべしょと泣くフィリアを眺める。


「やっぱりわかりゃしないな」


 誰にともなく返事をしてから縋ってきた者達とフィリアをしっかと手の平にすくい上げて炉の中に立ち上がる。ふと下を見下ろせば畜生の性を持った人間の男は喚き散らし暴れのたうち、狂気の目でこちらを見つめていた。

 まあいい、その顔覚えたぞ。



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