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憂鬱スペクトロフィリア

 

「……竜か!!」


 広げる翼が竜の独特のシルエットを描く。カミナギリヤさんが射抜くものの、当たった気配はあるが効いた様子はない。

 逆光の中にあってその色は判然としない。いや、竜だけならばそこまで問題ではない。

 問題はその運搬物。何かが居る。確かめようとするまでもなく遥か上空からそいつらは降ってきた。言葉通りである。

 何の魔術もなく、生身であの高度から。土煙が上がる中に二人の男女。どちらも人間、男の方は異界人だが種族的には人間と言っていいだろう。

 イースさんや綾音さんとは違い、まっとうな人間種族に見える。


「あのおっさん……教団が飼ってやがる異界人か……!!」


 カグラが呻くようにしながら距離を取る。

 炎の如き紅き髪の毛を棚引かせる軍服のようなひっつめた服装の女性と、同じく軍服を着た、黒目黒髪の見た目ならばごく普通の眼光が異様に鋭いおっさん。

 手に持つは両人共に剣である。女性の方が大剣で男の方はサーベルだが。

 とはいっても観察の時間が取れたのは僅かだった。ずしん、大地が揺れたのがわかった。踏み込みなどという表現は生ぬるいであろう。

 砕けた大地、舞い上がった砂塵の中に姿はもう無い。男はこちらの懐に既に入り込み己の距離にこちらを捕らえている。

 太陽に照らされ銀の煌めきが視界を焼く。反応出来たのはブラドさんだけであった。以前に紳士のやることじゃ無いとかなんとか言っていたがそんな事に構っている暇は無いらしい。

 巨大な狼と化したブラドさんがその猛攻を唯一人で凌ぐ。風圧に煽られるままに砂がその軌跡を描く。一合打ち合う度にばぎゃんと重い金属音が空気を焼いて火花となって宙に幾つもの花を咲かせた。

 間断なく繰り出される斬撃は既に視認など出来るものではない。あれを凌げるのは他ならぬブラドさんだからだろう。

 どう見たって斬撃の速度が人間の反応速度を越えている。私から見ても筋肉の動き、視線の動きを読むなどと出来る技量じゃない。ブラドさんが反応出来ているのは人狼の勘だろうか?

 僅かな空気の揺らぎ、金属音、そこから見える極々細い糸。小さな針に通すが如くの、視界の一切合財を捨て去り、培ってきた経験、それだけを縁に只管に音を置き去りにする剣を無手で受ける。

 見逃されたのかブラドさんが隙を見出したか、一際大きな火花を散らして両者は跳ね回る駒の如くはじけ飛ぶ。

 こちらに歩み寄るは女性の方である。女性だからと男の方よりも弱いなどとはとても思われないが。前に立つはカグラ、聖銃は既に抜いている。その手の甲が手袋越しにも僅かに光っているのが見て取れた。

 氷雪王シルフィードの神器とすら真正面から撃ち合えたカグラが剣を構えもしていない女性を前に撃たないのはあまりにも隙がなさすぎるからだろう。

 口元に血が滲んでいるあたり、僅かなりとも瘴気を吸い込んでいるのは明白だがその動きは一切それを感じさせない。


「お初にお目にかかる、今代祈主、茨の王よ。私の名はジェダ=シュヴァルツヘルハルト。手合わせ願おう、ゆくぞ」


「剣聖が来るかよ…!ちっ…!!しかたがねぇ、剣聖は俺が相手する、アンジェラ!!

 そっちの異界人の男を抑えろ!!クソ人狼、アンジェラの間合いに入るな!!」


 再びこちらに打ち込んできた異界人の男の剣を、カグラの激に従いアンジェラさんは柔らかそうな腕でいとも簡単に受ける。

 火花が散った。

 ただの人間にしか見えない姿ながら、まるで鉄で出来ているかの如く。

 四肢が展開し、蜘蛛のように広がる。

 内部から現れた凶刃が視界に収めるなど不可能な速度で幾重の風となって振るわれた。空気が焦げる音が響く。


「お姉さんと遊びましょうねぇ」


「天使の複製品か。解せぬな。何故そちらにつくのだ。

 自律兵器なのだろう?与えられた命令をただ実行し続ける、魂無き機械である筈だが。

 それとも彼らの監視の任務でも受けたか?」


「お姉さんはねえ、カグラちゃんの監視と聖銃の守護を受けているのよ~」


 キリキリキリキリ。

 歯車の音がする。

 展開された四肢が巨大なシルエットを大地に落とした。

 異形の身体の中にぽかりと浮かぶいつも通りの穏やかな笑顔は普段と全く変わる様子もなく、機械の容赦のなさで攻撃の手を緩めることもない。

 アンジェラさんは多分これカグラより強いのでは。浮き上がった石礫がアンジェラさんの攻撃に巻き込まれて消し飛び閃光のような光を断続的に放つ。


「貴様の頭蓋に詰まった箱はそれが理由になっていないとわからんのかね。何故アルカ家に戻らぬ。

 アルカ家はまだ何も知らんが。お前は現状を理解しているのだろう。聖銃の回収をした上で戻るのが人形らしい判断だが」


「お姉さんと遊ぶのは嫌なのかしら~?

 ……あらあら、クーヤちゃんの監視は受けていないのよ~。何処に居るかなんてアルカ家の人達は知らなかったのだもの~。

 カグラちゃんはギルドの不穏分子の監視と報告、クーヤちゃんの捜索を言われていたの~」


「全く、話が合わんな。何処ぞの捩子でも外れたか。

 回収してアルカ家に恩を売るのも悪くはないが――――」


「ヒトは約束を守るものなのだもの~」


「人間でもないのに、かね?」


「ちっちゃなカグラちゃんがお姉さんをヒトとして扱ったのだもの~」


「笑み以外に表情が変わらぬ。

 受け答えは遅く、戦闘行為以外の動作も遅い。

 人の感情の機微を理解している様子もない。人間の真似事すら出来ていないな」


 目を焼くほどの巨大な火花が散る。男の首元に刃を滑り込ませようとしたアンジェラさんの動きを予測していたのか。方や首を、方や武器を狙った攻撃が互いを弾く。その勢いのままにアンジェラさんの間合いから逃れた男が私を見た。

 あの男、恐らくわざとアンジェラさんに隙を見せたのだろう。僅かな隙だったのだろうがアンジェラさんはその正確さでそれを捕らえてしまったのだ。

 アンジェラさんが再び攻撃体勢に入り、後肢が僅かに地面を噛むのが分かった。

 その予備動作の刹那に男は既にアンジェラさんの間合いを遥かに外れて私の眼前に。二人が襲撃してくるより永遠にも似た僅か数分、こちらにまともに立て直している奴は未だ皆無に等しい。

 この場の者達に宣言するかのように、目の前の男は私の前に立ちサーベルを掲げて布告する。


「深淵なる混沌、独り眠る静謐の夜。暗黒神アヴィス=クーヤ。

 私の名はゲルトルート=ガントレットという。

 さて、貴様の首を貰おう」


「ぬぬ……!!」


 漸く身体が動く。本を抱えて後ろに飛ぶが、私の足の短さでは殆ど距離など稼げはしない。ちらりと男の視線が横を向いた。

 視線の先に居るは、フィリア。


「ノーブルガードの娘。私の今の声が聞こえただろう。

 ただの逃避に付き合う程我々は暇ではないのだよ」


 その言葉に、フィリアの顔から表情が削げ落ちた。


「……暗黒神アヴィス、クーヤ、そう、そうですの……」


「フィリア?」


 声を掛けるが、フィリアは動かないままどこか遠くを見るような眼差しで静かにこちらを見つめている。

 その目に映る物が何であるか、イマイチよくわからない。

 感情の揺らぎも何も伺えない瞳は彼方の空をまるで酷く眩しいものを見るかのような。

 永遠に手の届かないものを見つめるような、谷底の縁でつま先立ちで微笑みながら闇の底を見つめるような、星々が遠くに瞬く宇宙の中に一人きりで人を求めて彷徨うような。


「クーヤさん、私、知りたくありませんでしたわ。

 どうして……」


「……フィリア?」


「だって、そうでございましょう?

 知らなければそれで済んでいたのです。目を閉じて耳を塞いでいれば幸せな夢に浸っていられたのに」


 例えばそれは祈りが届かないと悟った信者のようであり。


「救世主はどこにも居ない。命と願いと欲望、絶望と苦痛と死、その果てにあるただ一つの祈り。

 祈りの奥義。光の神は顕現する。

 大教皇セレスティア=クラドリール、彼女はただの人間でしたの。肉体はいずれ朽ち果てる。だから―――――」


 例えばそれは自らの全てが何の意味もないと突き付けられた老人のようであり。


「肉体は彼女のものに。

 ここにいるのは仮初の肉体を動かすだけのただの亡霊。

 この器はセレスティアが世界に干渉する為の端末の一つ―――――」


 フィリアの顔が引き攣る。何か、恐怖を象徴するものが近づいて来ている事を知っている、そのような顔だった。

 ぎゅぅと私の手をフィリアの手が握りこむ。必死の形相でフィリアは私を見つめ、言い募った。


「クっ、クーヤさん!

 わ、わたしの名はフィリアフィル=フォウ=クロウディア=ノーブルガード…っ!

 じゅ、十九年前にノーブルガードの家に生まれましたの!!

 生まれて直ぐに聖女の苦行に入って、他の姉妹も居たけれど生き残ったのは私だけで!!そして肉体は彼女のものになった……!

 白の子供達は皆行き着く先は無尽蔵の魔力を生み出し神を生み出す神の炉、身体から魂が離れればそこにしかいけない…!

 私の魂もまたあそこに居る、けれど精神はこの器を動かす為に呼び戻されましたの……!

 それからずっと当主のフェラリアス様やっ、あの、聖獣の血を継ぐエルマイヤ様をお慰めするノーブルガーディアンとして生きてきましたわっ…!

 自己嫌悪と苦しみと痛みしかない毎日で、ずっと、ずっと、何もかもが終わる事だけを祈って生きてましたの!!

 そ、そして、聖女として勇者バーミリオン様に付けとの命に従って冒険者になりましたのよ…っ!!ぼ、冒険者の生活はすごく、楽しくて……っ!!生まれて初めて楽しいっておもいましたの!

 外に出て、クーヤさんに出逢って、何もかもがかわりましたのよ…っ!!聖女じゃなくなったんですの!!私、生まれて初めて自由になったんですのよ…!!

 色んな人に逢いましたの、色んな事を知りましたの、世界を見て回るのは楽しくて…!!

 この身体を通じて皆さんにご迷惑をお掛けしているのは知っていましたけれど、どうしても離れられなくて、それで…!!

 す、好きな食べ物はグラタンですわ!!飲み物は柑橘系の果実を搾ったのが好みですの!!香草は嫌いですわ!!

 好きな本はこねずみちゃんの大冒険という絵本で、ああでも最近はクルコの実が一番好きで、ク、クーヤさんお願い私の事を忘れないでくださいまし……!!

 あと、それと好きな舞台はオリーヴィエの戯曲で、他には、この大地で自分の自由意志で生きる人達が好きで」


 繋がれた手が離れる。

 眩しいばかりの光が世界を満たす。

 最後に。

 微かな声が聞こえたのだ。


「クーヤさん、ねぇ、私、あなたとお友達に――――――」


 伸ばした手は届かない。

 吹きすさぶ風の中、彼女の背中に輝く光を見た。

 ああ、そうか。その瞳が映すもの、その胸に宿るものが何であったのか、私は悟る。

 彼女が覗き込んでいたものを、人は絶望と呼ぶのだ。


「フィリアアァァァアア!!」


 ただその名を叫ぶ。

 彼女の精神がもう彼処には居ないと知ってはいても、名を呼ばずにはいられなかった。

 目の前に居るのはもはやフィリアではない。

 その名を呼ばわる。

 私は彼女を知っている。


「レガノア」


 それは刹那にも満たない邂逅だったろう。

 ほんの僅かな時間だったが、確かに彼女と目があった。

 彼女があの不完全かつ彼女に相応しいとはとても言えない器に無理に宿り現世に顕現できたであろう時間は無に等しく。それでも確かに目があったのだ。

 吹きすさぶ風と逆光の中に、唯独りきりで立つ彼女の唇が薄く弧を描いて――――――。


「アヴィス」


 光が溢れる。質量を持った光が荒野を舐めた。

 大地から溢れる生命の息吹。罅割れた大地から植物が吹き上がり枯れてゆく。それを眺めてから彼女に意識を戻した時には既に彼女の気配はもうない。

 カサカサと枯れ落ちた植物が風に煽られ崩れてゆく。ふと、その枯れ屑の動きが変わった。我に返るがもう遅い。


「…………っ!!」


 レガノアに気を取られたのは一瞬のことである。だが気がつけば異界人の男はもはや私では避けようもない程に肉薄し、そして手にしたサーベルを私に振り抜き終わっていた。

 肩口から胸部へ、金属の刃がぬるりと滑る感触。斬撃の衝撃に足ががくんと折れた。真っ二つとは言わないがそれに近い状況に肩から先がまあ付いてると言えなくもないのは僥倖なのかどうなのか。

 どう考えても即死コースではあったが……あのサーベル、神剣の類かどうなのか。物質的な武器ではない。肩口より覗く断面は真っ黒で血は出ていない。ただの剣だったら今ので死んでいただろう。

 しかし、死んでないだけだ。これではどうにも出来やしない。上半身がズレている。横合いから飛んできた一足遅いカグラの銃撃に男は弾かれたが大地に転がった私の身体はこの傷をくっつけなければ立ち上がることすら困難である。

 数名が何とか我に返り異界人と剣聖に挑むが、あの二人、強い。シャレにならない。

 神の加護に頼り切りであった勇者達とは比較にすらならない。

 正しく人の限界を超えた人間、神の加護などなくともこの二人にはなんの意味もないに違いがない。


「ウルトディアス!お前は動くな!!その傷では死ぬ!!」


「ちえー」


「クッソ……!!当たりゃしねぇ……!!」


 こちらの攻撃は殆ど届かない。

 ある意味頼みの綱のおじさんは未だ固まったまま。クロノア君もブラドさんも攻撃を防ぐので手一杯。クロウディアさんの放つ魔法も意に介さず、これでは打つ手がまるでない。

 何とかせねば、周囲を見回せば風に煽られページの捲れる本が視界に入り、そこでそれに気づく。

 おそらく純粋な魔力の塊である魔石故だろう。魂とは違うそれは分解に時間のかかる代物ではなかったということだ。

 だがそんな事は今はどうでもいい。大事な事はあの魔水晶を取り込みそして私の魔力へと変換した事によりあの約束を果たせるということだ。今此処で。

 盤上を返す一手となりうるか、それはわからない。どちらにしても魔王ウルトディアス、魔王クロウディアの現状を思えばこの世界に黒魔力と呼ばれる物が無き今、どうしたって全盛期には程遠いだろう。

 魔力の殆どを持っていかれると言って差し支えない量だが、この地に再び戻る事は叶わぬのはわかりきったこと、それならばこの腕に。

 魔物達が領域とやらをこの地で広げ続けた筈、一体何処まで範囲が及ぶかはわからない。

 というよりも、この地の死霊達は既に自我もない混ざり合い呪いと化しているのならばそもそも巨大な一個の魂という扱いかも知れないが。

 これもまたどちらでも構いはしない。地に投げた地獄の穴、地の冥き底へ。手を伸ばしこの地に揺蕩う呪われた人魔の億の魂、その苦痛からの解放を此処に。

 吹き抜ける一陣の赤い風、悲鳴はもう聞こえない。

 罅割れ枯れた荒野、生命を蝕む怨嗟はもう無い。

 抜けるような遥か高い空の最中、どこからともなくこの空にあってなお高く、笛の音にも似た鳥の声が響く。

 本を取る。迷いはない。



 商品名 マリーの封印解除

 マリーに掛けられている封印を相殺し解除する。

 封印解除と共に、加護を与える事で全盛期まで能力を戻す事が可能。



 あの時の彼女の覚悟と笑顔に、今此処で応える。




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