鬼の住む島
いつからか。
鬼が出る、と話があがった。それはまことしやかに囁かれ続ける。
大地に染み込み、空気に溶け込み、一つの悪しき意識となって立ち上がる。
人を喰らい、獣を喰らい、人の倫理に仇する悪しき鬼。
遠く霞む小さき島。其処に彼らは住まうのだ。人を釜茹でにし、子供に石を積ませ、この世の地獄の如き宴を開き嗤うておるのだ。
鬼ヶ島、その島はそう呼ばれた。海神の気に満ちたる日には姿を現すこと無き夢幻の島。
灰色の雲が覆う嵐の海、その最中にその島は在るのだ。
嵐が来れば人々は海に人を貢ぎ、金銀細工を貢ぎ、そして祈る。自らの安寧を。
浜に流れ着く残骸に震え、怯えながらただ祈り続ける。
いつか訪れた男は言った。己が助かりたい一心で女子供を海に流すのか、獣奴らが。
その言葉に打ちのめされたる人々は海の向こうに流した人柱を偲ぶ。
然して人々は立ち上がる。己が子供を喰わせてなるまいかと。子々孫々に至るまで鬼共に怯えさせてなるものか、と。
彼の島にて享楽に耽けたる悪鬼羅刹、鬼畜生共を悠久に封ずらんと欲す。
人々は一人の巫に鬼を誅すべく願う。
私は求め続ける、真の鬼を。
「鬼ごっこを致しましょう」
女は言った。
辿り着いた先、というかまぁ、そんなに歩いていないが。
そいつは静かな大広間に鎮座していた。
見た目は……うむ、まぁ普通の女性っぽい。どっちかといえばカミナギリヤさんの方がよっぽど鬼っぽい。
角は生えているが。ショボいな。牙もなさそうだ。ムキムキのガチムチでもない。
ちなみに一番の特徴としては死んだ目が挙げられる。マジで死んでるな、うむ。魚の目のようである。
黒い髪の毛を腰まで伸ばし、着物のような服を着ているがいろいろと怪しい。まあ鬼のパンツ一丁よりは全然マシであろう。
漂う紫がかった煙はあちこちの香炉から漂っているらしい。クンクンと鼻を鳴らしてみた。くせぇ。つまんだ。
「鬼ごっこ、ですの?」
「そう。私は鬼ごっこがしたいわ」
「ふむ、予想外じゃの。まあ良いわ。遊戯の説明を聞こうかの。
汝、如何な遊びを所望する?」
「戯れの約定は単純明快。
私が鬼、貴方達が逃げる。時は三刻。一人でもその時を逃げおおせれば貴方達の勝ちと致しましょう。
この島からの解放を約束致します。私の勝ちなれば、全員共々鬼共の餌となって頂きましょう。
簡単で御座いましょう?」
「………ふん、そのようじゃがな。鬼とは主だけか?」
「私だけ。千を数えましょう。お好きに逃げなさい。私は千の間、此処で待つ」
「千か、良かろう」
「ほ、鬼ごっことは愉快愉快。しっかと走りゃんせ」
「仕方がありませんわね」
何やらいつの間にか話が進んでいる。まぁ好きにしてくれ。
私たちはしりとりに忙しい。
「チンジャオロース」
「スロウウェル北陸ダーダロウネス公国!」
「首」
「ビール蒸し饅頭」
「ウェイロール大隊独立辺境守護五十五番隊翼竜騎士団ロイヤルローズ部隊!!」
「胃袋」
「ロールケーキ」
「……きーっ!!クルシュナさっきから食べ物ばっかりじゃんか!
私のお腹が減るから別のものにするのだ!他にも色々あるじゃんか!!」
「幹細胞」
「うるさーい!変態も人体にこだわりすぎだわーい!!」
盛大に文句を垂れてやった。
全く、しりとりくらいまともにやれないのかこいつら。
「何を遊んでいますの。行きますわよ」
「主らに緊張感を求めるが愚かというものかえ?
まあ良いわ。鬼姫よ、いざいざいざ、ゆるりと愉しもうぞ。
なぁに、その退屈、暫し忘却の彼方へと誘ってしんぜようぞ」
「ほう、それはまた。
期待しています。今まで訪れたる者達と同じ事を申して、そして同じ道を辿らぬように。
それでは、参りましょう。
…………準備はよろしいか」
「無論。
……ふん、余は魔王ぞ。
ようも言うた。余に対して準備は良いか、とはのう。
抜かしよるわ」
「魔王、ふふ。
魔王などと。取るに足り申さぬ麿虫でございましょうや。
西の地にて魔王を名乗りたる魔族、その尽くが人の子に悪戯に遊ばれているだけではありませんか。
世界の理すら捻じ曲げる魔力を有し、天と地の狭間、その全ての真理と遍く叡智を求める魔なる王。伝承とは程遠い。吹けば飛ぶ、塵の如し。
時の流れとは無常なるもの。記録は欠損する。世代は移り変わる。血と共に伝わるお伽話もまた然り。
嘗て少しばかり魔に優れた者達が居た。その程度だったのでしょう。太古においてはそれでも伝説となるには十分だったというだけのこと。
貴女がいつこの島に入り込んだかは知りませんが。大口を叩くには些か足りないようですね」
「………ふん。余こそ主には聞きたい事がある。汝、何者なるや?
余を封じた力。違えよう筈もない。
神羅大封印。シヴァ原典に記された創生の神ヴィオラ=スーが世界を作り上げる際に澱となりてその重みで世界を中心へと沈め続ける、漂う者達を世界より祓う際に用いたという絵巻。
世界創生レベルの神の工芸品なんぞとうにこの世から失せておる筈じゃが。アレは本物じゃったぞ。確かに神話に記されておった絵巻じゃった。
まぁ、実際に世界創生に使われたわけでもあるまいがな。どこぞの阿呆が作った贋作と見るが道理じゃが。
何をどうすればあの様に作れる物か。興味深いものじゃ。正気の方法ではあるまいて。
マァ、そんな事はどうでのよいのじゃがの。神羅大封印に封ずられ、余は気付けばここにおった。
この神域に閉じ込められ、神域のルールに則り出ること叶わじ。
……さて、理屈が合わぬ。確かに出られぬ。じゃが、出られる手段があるとは。どう考えても神羅大封印による封印結界内とは思えぬ。
真に神羅大封印ならば、結界の主などというものが在るわけもなく、ましてや封じられた余達が主に干渉出来るなど在るわけがないわ。
此処はどこじゃ?余は一体どこから来た?
あの絵巻は本物じゃったというに、此処は贋作世界よ。入り口が本物なれど、中身が贋作とは。
空間が捻れておったか、時空が捻れたか。何れにせよ奇妙な話じゃ。神羅大封印とは永久なる封印、出られる手段が存在しているというのがそも、おかしいのじゃ。主が居るはおかしい。余は長く脱出の方法を探っておった。出られるとは思うておらなんじゃが…主の存在に気付いた時に確信したわ。此処は違うとな。
創生神話に記されておるはこうじゃ、絵巻に封ずられた漂う者達は永遠にこの世界に出る事も出来ずに闇へと葬られた、と。
本物と贋作、順序が逆であろうが。最初は本物じゃった、最後は偽物なぞと。主はその答えを知っておるのかえ?」
「………神羅大封印、神話に残る神の工芸品は此処に在る。人々は望んだのです。
あの工芸品をこの世に再び取り戻し、闇を、悪を、魔を、鬼を永遠に封ずらん、と。
贋作などではありませぬ。汝らは出られぬ。此処は神羅大封印。嘘も真も、汝らが此処で朽ちれば消える。
汝らが出られぬならば、それは本物だということです」
「ふん、因果の逆転だとでも?
なるほど、この世界のルール、それを制約として作り出しておるのじゃな。
遊戯に勝てば出られる、それを対価にこの強固な結界を生み出しておる。
そしてその遊戯に汝が勝ち続ければ脱出者もないまま、誰ぞが脱出したという事実がこのまま観測されねば何れそれも百年、二百年のうちに真実になる。人間共の神産みでもあるまいに。
わからぬな。では、何故此処に余は封じられたのじゃ。ただの封印結界に余が封じられるものかよ。
本物の神羅大封印だったからこそ抗う間もなかったのじゃ。ハナから贋作ならば打ち砕いてやったわ。
阿呆に聞くも話が通じぬ。余を封じたのは阿呆じゃがそれを指示したるは主ではないのか。主はとうに飽いておろうが。繰り返し続けた舞台、幾人消したかは知らぬ。主は何処ぞで望んでおる。敗北を。この世界の終わりを。鬼の姫よ、今一度問おう。汝、何者なるや?」
「……………魔王を名乗りたる者よ。
私こそ貴女に問いたいわ。貴女。一体どうやって此処に来たのです?
私は貴女など知らない。貴女の言っている事を私は知らぬ。阿呆?そこの男の事ですか?
私はそんな男など知らぬ。神羅大封印がその男の手にあったと?
何を言っているのです」
「………………話が通じぬな。
では余を封じたのは真にそこの阿呆ということか。何処からか本物となった神羅大封印を入手し嘗て余を封じたと。
阿呆が正気を失っておるのが悔やまれるのう。余こそこの男を知らぬわ。行き成り現れそして余を封じた。
見たことも聞いたこともない男というに、巫山戯た力を有しておる。無名の人間などとはとても信じられぬ。それこそ伝説に名高い三勇者と言われても信じかねぬわ。
……まあよい。主が偽りを申しておらぬとも限らぬ。ゆっくりと聞かせて貰うかの」
「出来るものならば。さぁ、参りましょう」
「お」
顔をあげる。
どうやら始まるらしい。
長い話であった。最初の部分しか聞いていなかったがまあいいだろう。
別に大した話でもあるまい。
立ち上がって膝をはらう。さて、鬼ごっこか。すたこらっさっさと走るのだ。
真面目に聞いていたらしいフィリアがちらりとこちらを見た。
む?
なにやら考えているらしい。結構真面目な顔をしている。なんであろうか。
アホとクルシュナは特に何も考えている様子はないので聞いていなかったのだろう。
しかたがないのだ。話が長い。
「いざ」
「尋常に」
「――――――――始めましょう。さぁ、お逃げなさい!!
私は鬼、今より時を数えます。
此処はヴィオラ=スーが手にしたる神羅蓬莱絵巻、鬼ヶ島の章。人が出られるなど在り得ぬ!!
皆此処で鬼の餌となりて消えよ!!
それが揺るぎなき真実であるが故に!!」