チビな暗黒神様と嗤う悪魔1
――――――ああ、そうだ。
長きに渡る逃亡の果て、最早この世界の何処に行こうともこの閉塞に終わりは見えない。
迫りくる者達から逃れるように、藻掻くように足掻いて走る。
喉はとうの昔に裂け、呼気と共に血が吹き上がっても尚。
その鉄錆の味が終には肺をも満たし、息すらままならぬ有様になろうとも。
動かぬ手足を、天より落ちる糸が引くように。走る動作をただ無限とも思える時間ただ繰り返し続ける。
眩き閃光が濡れたアスファルトを照らし出す。
時速数十キロの鉄の塊の衝撃を防ぐ手立てはその手に既に無く。
なれど、こちらを見やる者達に向けて確かに笑っていたのだ。
この絶望の世界に取り残される事への、ほんの僅かなる憐憫を込めて。
さようなら貴方。どうぞ、その人生が幸せでありますように。
ふと目が覚めた。
目は開けたもののその視界は白とも黒ともつかぬ色が満たすばかりで天地すらも判然としない。
地に足をつけているような気もするが、浮いているような気もする。
今の今まで寝ていたのに地に足を付けているというのも変な話だが。
わからないな。まあいいか。
今まで私は何をしていたのだっけ?
少しばかり考えてから思い出した。そうだ、事故にあったのだ。
微かに遠くから眺めるような光景を覚えている。
弾き出された世界。引き剥がされた魂。
これがきっと私の記憶に違いがない。
私はそう、次に行かねばならない。答えは得られなかった、故に。次の世界と魂を選ばねばならないのだ。転生する先を見つけなければならない。
行く先は無限大、私に行けない場所はない。さて、次はどこに行こうか?
意気揚々と思ったが、第十八次元二十三層八次反応性法則型宇宙、此処にしか行けないようだった。
しかしそもそもが此処以外に場所がないのがわかる。む、ないならば仕方がないな。残念。
適当な魂を選び出して適当に行く先をトントントンと並べ替えてみた。
女性、男性、その他。その他が多少気になったがまあそういう人もいるだろう。
人間、エルフ、獣人、ドワーフ、妖精、多種多彩にして実に色とりどりなことである。
あとは……運命係数に因果律操作、魂の変質?
謎の項目である。かこかこ、適当に弄繰り回して遊んでみる。
炎魔法適性、音楽適性……才能だろうか?
これは見れるだけで弄る事は出来ないようだ。どちらかと言えば遺伝子の分野だからか。
大量にありすぎて見るのもうんざりする量であるがこれら全てがこれから産まれくる予定の生命なのだ。生命の神秘なのである。
ふむふむと頷く、種族やらなんやらの選択肢の多さからして残った世界はファンタズィーな面白世界に違いなかった。
それはいい。とりあえず性別は女性にしておく。そんな気がする。
種族は人間以外がいい。せっかくなのだ。人間飽きた。
さて、何を選ぼうか知らん、やっぱりエルフだろうか。
何せエルフだ。人類の夢と希望が詰まっている。誰かがそう言ってました。
エルフ人生も中々に面白そうだ。悪くない。うむ。
さて、取り憑いてやろう、思った時だった。
ぞぞと背中を這い上がるものがある。それが恐怖というものであった事を認識する前に首がキュッと絞まった。
鷲掴まれた魂。何かに押さえつけられるように小さなものに押し込められようとしている。
入るものか。苦しい、そんな小さなものには入らない。
暴れのたうつが、押さえ込まれ小さくされて私は酷く小さな物に無理やりに詰め込められてしまったのである。
残念な事である。
受精。産道。胎児。産声。覚醒。生。死。神降ろしの儀。
「懸けまくも畏き我らが神、我らが神籬へ天降りますよう恐み恐み申し上げる」
「んがっ」
今度こそ目が覚めた。
むくりと起き上がる。見渡す辺りは薄暗いものの、停滞し淀んで湿った空気と見える範囲いっぱいの岩肌にここが何やら洞窟のような場所だという事はわかる。
どの方向を向いても壁らしきものは見当たらず、闇に沈む先、果てなど無いとさえ思えるほどに深い闇。
夢でも見ていたのか。夢にしては些かリアルであったが。
自分の両手を眺めてみる。……ふむ、幼い。
にぎにぎとしてみる。思うままに動く。どうやら怪我だとかなんだとかの問題はないらしい。
長い黒髪を摘んで眺めてみた。枝毛はなさそうだ。健康そうでいいことだ。
「……うーむ」
顎に手を当てて唸る。この身体のサイズからして多く見積もっても十歳かいくかどうかであろう。
辺りを探ってみれば―――少々、いや、かなり場違いだが。
細い20cmほどの長さの木の枝。青々とした葉っぱが一枚だけついている。
周囲に樹など見当たりはしないが。草の一本も生えていない。
よくわからないがとりあえず持っておく事にした。いざとなれば葉っぱ一枚でも食べれるだろう。
ようようと立ち上がり、自らの装備を確認した。自由の女神ルックである。つまり手持ちは木の枝一本と布一枚のみ。
その場でぐるっと回転、あちょーと荒ぶる鷹のポーズを決めてやった。
人は得てして辛い現実からは逃避できるような精神構造になっているのだ。
さて、出口を探すとしよう。
というわけでとっとことずっと歩いてみるが。一向に壁が見えてこない。
時間の感覚も無いし足も短いのであまり距離は稼いでいないにしてもおかしい。
手に握った木の枝をふりふりとしつつ歩き続ける。
「………」
何時間歩いたろうか。
……これ以上は無駄だろう。
踏みしめた地面の感触さえ変わらない。
恐らく果てなど無いのだ。この空間は。
となれば、少々困った事になった。
果てが無い。つまり出ることが出来ない。
仕方ないので座り込んだ。奇妙と言えばもう一つ。
喉を押さえてみる。続いて足を眺める。
先ほどから喉が渇く事が無い。お腹も減らないようだ。
こんな幼児の身体でありながら歩き続けた足にはなんのダメージも見られなかった。
ここから出られないとくれば疲れない、食事が要らないというのはかなり助かるからいいけど。
はて、ここに時間というものはあるのであろうか。
「…………………」
暇なので木の枝で落書きを始めた。
地面は存外に柔らかい。
ぐりぐり。ぐりぐり。
分で飽きた。無明無音の空間で何故こんなさもしい真似をせねばならないのか。
立ち上がる。
ここには私しかいないのだろうか?
つまらない。そんなのはつまらない。
私はもう退屈なるものを知っている。
無為に時間を過ごすのは苦痛ではない。苦痛ではなかった。だが今は違う。
何故なら私は人間なので。
「もしもし」
出口、そうとも。出口を探さねばならない。
「もしもーし」
もしかしたらどこかにあるかもしれない。
探せばあるだろう。
「もーしーもーしー」
外へ出るのだ。ここには快も不快もありはしない。
「返事しろやメスブタ」
色んな意味でもぎゃーと悲鳴を上げた。
何と言うか派手な男だった。
黒の燕尾服に反してシャツは鮮やかなワイン色だ。
懐中時計らしき銀細工のチェーンや襟にはカフスが飾り付けてありそれらがキラキラと光っている。
手には装飾細やかなステッキ。
明らかに血の通っていない肌は蝋人形みたいに真っ白だ。
目元の真っ赤なアイラインがやけに目立つ。
化粧?オシャレさんのようだ。
背はかなり高い。私がチビなだけかもしれないが。
髪の毛は私と同じく漆黒、綺麗にセットした髪型はいいけどくるんとしたもみあげはどうかと思う。
なんというかまあ、手品師というか詐欺師というか、道化師というか。
映画に出てきそうな……如何にも、な出で立ちだった。
人ではない。
それぐらいは雰囲気でわかる。そのくらい異様な男だった。
赤と金色の混じった虹彩に爬虫類のような縦長の瞳孔、実に不気味である。じーっとよく見ると何やら渦を巻いている。気味が悪いな。近寄らんとこ。
「……誰さ?」
「悪魔のパンディルガーヤ=アグリデウス=アンタレス=カードラヤーディヤと申しマス。暗黒神様」
なげぇ。
「とりあえずアスタレルとお呼び下サイ、暗黒神様」
何をどう略したらそうなるのだろう。
どっから抜き出してもそうはならないだろう。見た目通り適当な奴だな。
……ん?
「……誰が?」
暗黒神?
目の前の悪魔を名乗る男は実に爽やかな胡散臭い笑みを浮かべ―――手に持ったステッキでスカン、と見事に私の眉間を打ちぬいた。あまりにも容赦がない。
なんて野郎だ。そしてさっきのメスブタ発言といい口が悪い。
今は敬語で喋ってはいるがどう聞いても片言だ。
絶対にわざとだ。
「痛いわーい!」
慌てて眉間を隠した。再攻撃を受けてはならん。
何か奇妙な横線に腫れたような感触がある。先の攻撃のせいだろうか。
……しかし、暗黒神?
話の流れとしては多分私の事なのだろうとは思うが。
なんだそりゃ。なんかの舞台か?そんなのは知らないぞ。
暗黒神……あからさまに邪悪系だな。
「そりゃ私のことか」
「ソウデスヨ」
なんて棒読みだ。
「辞退は」
「出来まセン」
即答であった。
渋い顔で口を尖らせてやった。何をいうのだ。
「……ふむ、ここは闇の領域、その最深部。暗黒神様はたった今生まれたばかりデスからね。
何やら記憶も混濁なさっておられるご様子デスシ。少々説明致しましょうカ」