序
この話は、作者的には「全年齢OK」 のつもりで書いていますが、途中、読む人にとっては不快に思われる描写も含まれると思われます。特に「3」以降はその傾向があると思いますので、「これはダメだ」と思われるようでしたら、読むのをやめるなり、作者にコメントするなりお願いします。
吐蕃暦331年、大陸の雄、吐蕃皇国は建国以来の大規模な国政の変革にさらされていた。
8月に行われた皇公会議の最中に発覚した「東姫密書の変」により、王妃・東の姫君とその実父、沢東公国の東公・琇倫が失脚、二人は処刑された。
更に琇氏一族係累全てが罪に問われ、琇倫の妻子はじめ近親者は処刑か追放。そして沢東公国から完全に琇氏の一族は追われることとなった。統治者を失った沢東公国には、後日正式な東公の後継者を指名することとなるが、それまで暫定的に、中央の吐蕃王国から役人が派遣され、公国の国政を執ることとなった。
これにより吐蕃皇国を支えてきた三公国体制が事実上崩壊した。
また、「東姫密書の変」で罪に問われたのは沢東公国の人間だけではなかった。沙南公国からの会議出席者にも、事前に謀議が交わされていたとの疑いが濃厚で、西公代理として出席していた副公にして沙南公国軍大将・珪節と宰相・景朔林は逮捕された。彼らはひとまず皇都に幽閉されていたが、相次いで獄死しているのが発見された。結局、沙南公国への疑いは嫌疑不十分で有耶無耶にされたが、皇国内での勢力を著しく落としたことは間違いがなかった。
そんな中で、謀反に関わったとされる中に有力者を出さなかった高蘭公国は、目立って勢力を落とすことがなかった。さりとてそれで何らかの得をしたわけでもなかった。しかし、直後「皇妃」の地位に任命された火晶妃は北公・曜黒の養女であり、出身部族は同じ高蘭公国の有力氏族、昌氏でもあったことから、明らかに皇の覚えも目出度く、僅かにだが優遇されている様が明らかであった。
建国から331年、歴代皇33代目にして、一皇三公体制によって国政の平穏と安定を維持し、繁栄を遂げてきた吐蕃皇国は今、確実に大変革の時を迎えていた。