未送信
夜になると、どうしても開いてしまうフォルダがある。
名前は、ただの「音源」。
無機質なその言葉とは裏腹に、そこには、もう戻らない時間が詰まっている。
再生ボタンに指をかけて、やめる。
それを、何度も繰り返している。
――聞いてしまえば、終わる気がするから。
出会いは、音声投稿サイトだった。
声だけで人とつながる場所。
顔も知らない、名前すら本当か分からない。
でも、だからこそ、心の奥まで触れられる場所だった。
そこで出会ったのが、あいつだった。
女の名前で、女の声で、でも心は男だと言っていた。
不思議なやつだったけど、話してみれば妙に気が合った。
ゲームをして、雑談して、
気がつけば、当たり前みたいに一緒にいる存在になっていた。
ある日、あいつが言った。
「姉貴、いるんだよね」
軽い調子だった。
その時は、特に何も思わなかった。
でも、その姉と話すようになって、世界が少しだけ変わった。
声は、やわらかかった。
少し笑うだけで、空気が軽くなるような。
そんな人だった。
気づけば、好きになっていた。
でも、それを言葉にすることはなかった。
ネットの向こう側なんて、そんなもんだと思っていたから。
ある日、突然、連絡が途絶えた。
最初は、ただの寝落ちか、忙しいだけだと思っていた。
でも、違った。
「姉貴、死んだ」
それだけだった。
理由も、状況も、何も分からない。
ただ、その事実だけが、画面の向こうから突きつけられた。
何もできなかった。
葬式にも行けない。
花も送れない。
最後に、何か一言すら、残せなかった。
「ありがとう」も、「好きだった」も、全部。
未送信のまま、残った。
それから、俺は一人になった。
コラボも減って、
いつの間にか、ソロが当たり前になっていた。
ちょうどその頃、流行っていたんだ。
サブ垢。
なんとなく、軽い気持ちで作った。
名前を、あの人にした。
理由なんて、うまく説明できない。
ただ、消したくなかったんだと思う。
しばらくして、あいつとまたつながった。
久しぶりだった。
少しだけ、安心した。
でも。
俺は、名前を変えるのを忘れていた。
気まずい沈黙。
何も言われなかった。
でも、それが逆に、刺さった。
結局、そのあと、また連絡は途絶えた。
今度は、完全に。
何が正解だったんだろう。
名前を変えるべきだったのか。
そもそも、使うべきじゃなかったのか。
それとも、何もしないのが正しかったのか。
分からない。
誰も、答えてくれない。
今、手元に残っているのは、一つの音源だけ。
三人でやろうって言って、収録したやつ。
あいつと、あの人と、俺。
笑ってる声が、そこにある。
まだ、MIXしていない。
いや、できない。
完成させたら、本当に終わってしまう気がして。
再生ボタンに、指を置く。
押せない。
今日も、押せない。
「クズだな」
小さく呟く。
返事は、ない。
ただ、夜だけが、静かに続いていく。
実話です。




