表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
84/109

可能性の果て

1 棺桶の上の存在

 

 部屋の中央に浮かぶルシエラを、俺はしばらく黙って見ていた。

 半透明の銀色のローブが、風もないのにゆっくりと揺れている。目は閉じられたまま。その下には石造りの棺桶が一つ、ただ静かに置かれていた。

「その棺桶の中に——」

「私の本体が眠っています」

 ルシエラが先回りして答えた。声は部屋全体に広がるような、どこから来るとも言い切れない響き方をした。

「なぜ眠っている」

「奴らにまだ見つかる訳にはいかないから」

 奴ら。その言葉の輪郭を俺は探った。

「奴らというのは——」

「今は教えられません」

 俺の問いを、ルシエラは静かに断ち切った。拒絶というより、まだその時ではないという確信を持った遮り方だった。

 ルーシェンとファルマとエリシアが俺の後ろで静かに立っていた。誰も口を開かなかった。この場の空気が、余計な言葉を寄せ付けなかった。

「榊」

 ルシエラが俺の名を呼んだ。

「闇の力と、本当に向き合う覚悟はありますか」

 その問いを、俺は自分の中に落とした。

 ここまで来た。試練をいくつも越えて、バエルの言葉を受けて、日本の世界で決断して——ここに来た理由は最初から一つだった。

「そのためにここへ来た」

 ルシエラは何も言わなかった。しかし何かが変わった気がした。空気の密度が、わずかに変わった。

「目を閉じてください。そして——私の手を取りなさい」

 

2 暗闇の中の声

 

 目を閉じた。

 手を伸ばすと、指先に何かが触れた。温度のない、しかし確かな感触。ルシエラの手だと理解した瞬間——床が消えた。

 浮かんでいた。

 暗闇の中に、俺一人が浮いていた。上も下も前も後ろも、全て等しく暗い。その暗闇は恐怖を呼ぶ類のものではなかった。静かで、深く、まるで宇宙の底にいるような感覚だった。

 しばらく、何も起きなかった。

 それから——声が来た。頭上から。

「闇の力が何か、あなたは知っていますか」

 見上げると、ルシエラがいた。しかし次の瞬間にはもういなかった。代わりに、背後から同じ声が続いた。

「あなたが今まで使ってきた力は、確かに闇の力の一部です」

 振り返ると、俺の右斜め下にルシエラが浮かんでいた。また消える。

「しかしその本質を、あなたはまだ触れていない」

 今度は左から。俺は追うのをやめた。声が来る方向に意識を向けながら、ただ浮かんでいた。

「闇の力の本質とは何か——あなたに問いかけます」

「知りたくてここへ来た」

俺は答えた。

「では聞きなさい」

 声が、前から来た。ルシエラが正面に現れて、今度はすぐに消えなかった。目を閉じたまま、暗闇の中に浮かんでいた。

「闇の力とは——」

ルシエラの声が一度途切れた。

「人々の可能性を信じる心が具現化したものです」

 俺はその言葉を、すぐに理解できなかった。

「可能性を、信じる心」

「そうです」

「それが力になる、ということか」

「力そのものです。炎を操る者は炎への理解と想像から魔法を扱う。水を操る者は水の性質を体で知ることで力を引き出す。しかし闇の力は違う。それは外にある何かを操るのではなく——人が諦めずに在り続けようとする、その心の根にあるものが形を持ったものです」

 俺は黙って聞いていた。

「無理だと言われたことでも、それでも乗り越えられると信じる心」

「不可能だと決めつけられても、それでも試そうとする心。可能性を信じるとはそういうことです」

「……俺はそれを使っている」

俺は言った。

「白銀界でも、ここへ来るまでの戦いでも——闇の力で戦ってきた。自分の力として使ってきた」

「そう思っているのですね」

 ルシエラの声が、わずかに変わった。否定でも肯定でもない、ただ確認するような声だった。

「では——あなたの心の奥底を見せましょう」

その言葉と同時に視界が闇に覆われた。

 

3 遺物の世界

 

 気がつけば、俺は洞窟の奥深くにいた。

 目の前に台座があり、その上に何かが置かれていた。光を帯びた、古い意匠の片手剣だった。触れた瞬間、それが何かを理解した。伝説の遺物——この世界のあらゆる魔法と物理的な攻撃を防ぎ、使用者の力を数倍に引き上げる、神代の時代に作られた武具だ。

 俺はそれを手に持った。

 重さがなかった。まるで最初から俺のために作られたように、手に吸い付いた。

 洞窟の外に出ると、空が割れていた。天から何かが降りてくる。巨大な、人の形をした存在が雲を割って降下してくるのが見えた。神か、神に近い何かだった。

 ファルマが俺の後ろで震えていた。

「あれは——」

「大丈夫だ」

 俺は遺物の剣を構えた。

 存在が降りてきた。その圧力だけで地面が歪む感覚があった。しかしその全てを、遺物の光が弾いた。俺の体はびくともしなかった。

 斬り込んだ。遺物が光を帯びて、存在の体に深く刻まれた。

 一合、二合、三合——そのたびに確かな手応えがあった。俺は恐怖を感じなかった。この武器がある限り、俺は負けない。

そう確信していた。

 確信の根拠は、俺の中にある力ではなかった。

 手の中の遺物にあった。

それでも——どこかで、胸の奥が妙に静かだった。

 世界が——消えた。

 

4 魔力の世界

 

 次に立っていたのは、広大な平野だった。

 空が赤い。遠くに軍勢の影が見えた。数千、あるいはそれ以上の規模だった。こちらの側には百人もいない。

 俺は自分の手を見た。

 掌の中心から、何かが渦巻いていた。魔力だとわかった。圧倒的な密度の魔力が、俺の体の中に満ちていた。体が軽かった。どんな魔法でも、イメージするだけで形になる気がした。

 エリシアが俺の横に立っていた。今のエリシアは補助術師として俺の後ろについており、術式を組みながら言った。

「展開範囲の計算、終わりました。いつでも」

「待て」

俺は平野の先の軍勢を見た。

「まとめて終わらせる」

 魔力を練った。火でも風でもなく、全てを包む広域の術式を組んだ。それが当然のようにできた。詠唱もいらなかった。俺の魔力がそのまま意志を持って広がっていった。

 術式が展開した瞬間、平野の向こうで何かが起きた。軍勢の前列から崩れていった。悲鳴と混乱が遠くまで届いた。

 ルーシェンが感嘆したように言った。

「……やはり、榊さんの魔力量は規格外です」

 ファルマが俺を見上げながら言った。

「いつも心強いです」

 俺は答えながら、次の術式を組んでいた。考えるより早く魔法が形になる。この力は俺の意志に完全に従っていた。何も考えなくていい。信じる必要もない。ただ行使すればいい。

 それが、気持ちよかった。

 確かに、気持ちよかった。

 世界が消えた。

 

5 銃声の世界

 

 暗闇が裂けた。

 気づいた時、俺は見知らぬ村の外れに立っていた。

 夕暮れの空の下、石造りの建物が並び、遠くで何かが燃えている。異世界の村だとすぐわかった。空気が違う。草の色が違う。しかし俺はそこに自然に立っていた。まるで最初からそこにいたかのように、体が馴染んでいた。

 背中に、何かがあった。

 手を回すと、指に金属の感触が当たった。引き出すと——銃だった。

 見たことのある形ではなかった。この世界の素材で作ったのだろう、木と鉄を組み合わせた、しかし確かに銃の機能を持つものだった。弾倉もある。俺はその仕組みを、なぜか完全に理解していた。どう分解して、どう整備して、どう撃てばいいか——全部わかった。

 村から走ってくる人影があった。

 ルーシェンだった。

 ルーシェンは息を切らしながら俺の前に立った。今のルーシェンは魔法使いの格好ではなく、革の軽鎧を着ていた。その目が真剣だった。

「榊さん、来ました。北の丘に大型の魔物の群れ、少なくとも三十体以上。村の防衛線が崩れそうです」

「わかった」

 俺は銃を構えながら走り出した。

 丘に着くと、ファルマが弓を構えて必死に矢を放っていた。エリシアが術式を展開しながら、しかし一体また一体と押し寄せる魔物の数に追いつけずにいた。

「下がれ」

 俺は声をかけた。

 銃を構えた。引き金を引いた。

 音と共に、前列の魔物が倒れた。装填して、また引いた。また倒れた。俺の後ろでルーシェンが魔法を使い、左右を固めた。俺は前だけを見て、撃ち続けた。

 補給の計算が自然に頭に浮かんだ。弾薬の残量、魔物の密度、陣形の崩れ方——すべてが見えた。俺はそれを処理しながら指示を出し、撃ち続けた。

 圧倒的だった。

 俺の手の中にある技術が、この世界では誰も持っていない知識だった。魔物は倒れ、防衛線は保たれ、村は守られた。戦いが終わった後、ファルマが目を輝かせながら言った。

「榊さんの武器、すごかったです。魔法みたいでした」

「魔法じゃない。技術だ」

 俺はそう答えながら、銃を確認した。手の中に収まるその重さが、妙に心地よかった。

 この力は——俺のものだ。俺が知っている知識から生み出した、確かな力だ。

 そう思った瞬間——世界が消えた。

 

6 突き付けられたもの

 

 暗闇に戻った。

 俺は浮かんでいた。先ほどと同じ、均等な暗闇の中に。

 しかし体の奥に、重いものが残っていた。

 ルシエラの声が来た。今度は位置が定まらないまま、暗闇全体から響いてくるような声だった。

「どれが一番、気持ちよかったですか」

 俺は答えなかった。

「答えなくてもわかります」

ルシエラは続けた。

「三つとも——闇の力ではない力でした。あなたの知識から生まれた技術。あなたに与えられた絶大な魔力。あなたの手に渡った強大な武具。三つとも、確かな力でした」

「……」

「そしてあなたはその三つの世界で——今まで感じたことのない、迷いのない力を振るった」

 俺は否定できなかった。

 あの三つの世界では、疑いがなかった。銃の力を信じた。魔力の強さを信じた。遺物の加護を信じた。それは全部、俺の外にある確かな根拠があったからだ。

「闇の力は違う」

ルシエラの声が、俺の背後に現れた。

「あなたは今まで、闇の力を使いながら——心のどこかで、これは本当の力ではないと思っていた」

「そんなことは——」

「自分の声を、もう少し正直に聞きなさい」

 俺は黙った。

 正直に聞いた。

 ……あった。確かにあった。

 俺は何度も闇の力を使ってきた。戦いを乗り越えてきた。しかしその度に、どこかで思っていた。もし違う力があったなら。もし最初から、あの三つの世界のような力を与えられていたなら——もっとうまくやれた。もっと確かに守れた。もっと迷わずに動けた。

 闇の力は強い。それは本当だ。しかし見つかれば粛清される。扱いに迷う。どこまで使えるか、どこまで信じていいか——その答えが出ないまま、俺はずっとそれを握り続けてきた。

「あなたは闇の力を信じていなかった」

ルシエラが言った。

「信じようとしていた。しかし信じきれなかった。だからその力は、いつまでも十全に応えなかった」

 体の奥から、焦燥のようなものが滲んだ。

 知っていたくなかった真実が、こんなに明確に形になって目の前にあった。俺は闇の力を自分のものだと思っていた。しかし本当は——ずっと、別の何かを欲していた。

「では」

俺は絞り出すように言った。

「どうすれば信じきれる」

 ルシエラの声が止んだ。

 しばらく、暗闇だけがあった。

 それから声が来た。正面から、静かに。

「信じるのではありません」

「どういう意味だ」

「信じるという行為は、まだ疑いを前提としています。信じようとする限り、疑う余地が残る」

ルシエラは続けた。

「受け入れるのです。これが自分の力であると。これ以外の力を求めることをやめて——今ある力が、自分の全てであると」

 俺はその言葉の意味を、暗闇の中でゆっくりと咀嚼しようとした。

 しかし次の瞬間——世界が変わった。

 

7 逃げる足音

 

 建物の影を走っていた。

 夜だった。どこかの街の路地だった。石畳の上を俺は走り、その後ろをルーシェンとファルマとエリシアが続いていた。

 追われていた。

 複数の足音が後方から迫っていた。魔力を帯びた光が背後の角を照らした。

「あっちだ」

という声が遠くで聞こえた。

「闇の力の持ち主がいる——逃がすな」

 俺は走り続けた。

ルーシェンが振り返った。

ファルマも、エリシアも——俺を見ていた。

 手の中に、闇の力が渦巻いていた。使えばいい。使えば振り切れる。わかっていた。しかしその力を全力で解放することが——まだ、できなかった。

 何かが足りなかった。

 何かが、足りなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ