第七話:星詠の招待
1. 研究の進歩
研究所での生活が始まって、さらに二ヶ月が経過していた。来た時は春だった季節も、夏を越え、秋になろうとしていた。
「榊さん、あなたの世界では、どのような交通手段があるんですか?」
ルーシェンは目を輝かせて聞いてくる。
「交通手段ですか?そうですね、電車とか、車とか、飛行機とか……」
「飛行機!空を飛ぶ乗り物ですか。どのような原理で?」
俺は溜息をついた。また始まった。
この二ヶ月、闇の力の研究よりも、俺の世界の話をしている時間の方が長かった気がする。
「いや、それを説明するのは難しいんですけど……」
「ぜひ教えてください!異世界の技術体系を研究することは、魔法学の発展にも繋がるかもしれません!」
結局、その日も闇の力の研究はほとんど進まず、俺が元の世界の飛行機について延々と説明することになった。
「なるほど、強い推力で翼に風を受けて飛ぶ…風の魔法では自分しか飛べませんし、召喚獣の飛龍はたしかに人を乗せて飛びますがそれは数人が精々…数百人もの人を乗せて飛ぶには…翼の角度が…耐久性も…」
こうなるとなかなか帰ってこない。俺は一人で剣の訓練をするのだった。
だが、その一方で、俺の闇の力の制御は着実に上達していた。
毎日の訓練を通じて、俺は闇の力をほぼ完璧に制御できるようになっていた。
体から闇の力を漏らさずに、最大限の力を引き出すこともできる。
剣の訓練も続けており、今では土のゴーレム二十体を同時に相手にしても、余裕で勝てるレベルになっていた。
「榊さん、あなたの成長は目覚ましいですね」
ルーシェンは感心したように言った。
「闇の力の制御は、もはや完璧と言っていいでしょう。私もお墨付きを与えます」
「ありがとうございます」
俺は素直に礼を言った。
ルーシェンの質問攻めに付き合いながらも、確実に強くなっていた自分を実感していた。
「では、次の研究テーマをどうしましょうか」
ルーシェンは顎に手を当てて考え込んだ。
「闇の力の応用的な使い方を調べるのも良いですし、あるいは闇の力と他の魔法の相互作用を……いや、待ってください。その前に、あなたの世界の通信技術について教えていただけますか?電話というものが非常に興味深くて……」
「ルーシェンさん、研究はどうしたんですか」
俺は呆れて言った。
「研究ですよ。異世界技術の研究です」
「闇の力の研究は?」
「それも大事ですが、今は異世界技術の方が……」
もう、この人には何を言っても無駄だ、と俺は悟った。
2. 召喚獣の来訪
そんなある日の午後。
俺たちが研究所の庭で、また異世界談義をしていると、空から何かが飛んできた。
「ん?」
ルーシェンが空を見上げた。
俺も視線を向けると、一羽の鳥が研究所に向かって飛んでくるのが見えた。
ハヤブサのような鳥だが、ハヤブサよりも一回り小さく、昔見たチョウゲンボウに近い。
「おや、これは……」
ルーシェンは手を差し出した。すると、その鳥はルーシェンの腕に止まった。
「召喚獣ですね」
「召喚獣?」
「ええ。正確には、伝達鷹という召喚獣です」
ルーシェンは鳥を撫でながら説明した。
「白銀界の生物で、魔力消費が非常に少なく使い勝手が良いんです。この子一羽だけの召喚維持なら、自然回復と消費がほぼ同じくらいですね」
「へえ」
「鷹のような見た目で強そうですが、攻撃力はほぼありません。とにかく飛ぶ速度が早いので、主に手紙の伝達などに使われます」
「どれくらいの早さで飛ぶのですか?」
「時速百キロメートル以上は出ます。そして、術者が魔力でマーキングした場所や相手のところまで、たどり着く能力を持っているんです」
なるほど、便利な生き物だ。いや召喚獣か。
ルーシェンは鳥の足に結ばれた小さな筒を取り外し、中から手紙を取り出した。
「誰からですか?」
「……星詠からですね」
ルーシェンの表情が少し驚いたものになった。
「星詠?あの占い師の?」
「ええ」
ルーシェンは手紙を読み進め、眉をひそめた。
「榊さんについて話したいことがあるから、共に王都に来て欲しいとのことです」
「星詠が、わざわざ?」
「ええ。これは……珍しいですね」
ルーシェンは手紙を読み返した。
「星詠は、基本的に自分から人を呼ぶことはありません。占いを求める者が訪れるのを待つのが彼女のスタイルですから」
「それなのに、わざわざ呼び出すということは……」
「何か重要な用事があるのでしょう」
ルーシェンは少し考え込んでから、ふと気づいたように言った。
「そういえば、この伝達鷹は、私の魔力マーキングを辿ってきたことになりますが……」
ルーシェンは自分の体を調べ始めた。
「確かに、マーキングされていますね。いつの間に……」
「気づかなかったんですか?」
「ええ。本来、魔法使いなら違和感を覚えるはずなのですが……」
ルーシェンは悔しそうな顔をした。
「星詠め……いったいどうやって……これは研究する価値がありますね。魔法使いに気づかれずにマーキングする技術とは……」
ルーシェンの目が研究者のそれになった。
「ちょっと待ってください」
俺は慌てて言った。
「今はそれどころじゃないでしょう。星詠が呼んでるんですよね?」
「ああ、そうでしたね」
ルーシェンは我に返った。
「では、王都に行きましょう。出発しますよ」
「ええ…今から?明日の朝じゃなくて?」
「もちろんそうですよ」
ルーシェンはもうそのまま出かけそうだ。
「もう夕方前ですよ、じきに辺りも暗くなります。危険でしょう」
俺は周りを見回した。
「それに留守にする家の片付けや、結界の強化、出かけるための準備も済ませないといけないのでは?」
「ああ、確かに」
ルーシェンは手をポンと打って頷いた。
「って、そういうの、言われなくても気づいてくださいよ」
「え?言われないと分かりませんよ?」
ルーシェンは本当に不思議そうな顔をした。
俺は溜息をついた。
この人、本当にポンコツだな。
3. 出発の準備
その日の夕方から夜にかけて、俺たちは出発の準備を進めた。
「王都までは、約三十キロメートルです」
ルーシェンは地図を広げて説明した。
「もちろん、直線距離ではありませんし、途中に小さいですが山もあります。徒歩だと、一日以上かかるでしょう。私一人なら風の魔法で飛んですぐなのですが、今回はあなたもいますからね」
「そんなに遠いんですね」
「ええ。ですから、森を出て街道に入ったら、ちょうど中間地点にある街で一泊する予定です」
ルーシェンは地図上の街を指差した。
「ここ、ストークレンという街です」
泊まると言うが俺は1文無しだ。お金は大丈夫なのだろうか。
「一泊する余裕はあるんですか?」
「ええ、問題ありません。実は、私、お金持ちなのですよ」
「え、そうなんですか?」
「ええ。様々な研究成果を売ったり、魔法学校の臨時教師をしたりして、それなりに稼いでいますから」
ルーシェンは少し誇らしげに言った。
「では、明日の装備について説明しますね」
ルーシェンは、床にどさりと大きな背負い袋を置いた。
見た目は普通の袋だが、妙に口が歪んでいる。
「……それ、随分大きいですね」
「中身の割には、軽いですよ」
言われて持ち上げてみると、拍子抜けするほど軽かった。
「これは、マジックバッグです」
やっぱりか。ファンタジーでよく聞くやつだ。
「袋一つで、部屋一つ分くらいは入ります。ただし――」
ルーシェンは袋の口を指でつまむ。
「入口より大きい物と、生き物は入りません」
「便利だけど、万能じゃない、と」
「ええ。値段は万能級ですが」
さらっと言われたが、後で聞いたら王都に家が建つ値段だそうだ。この人、本当に金の感覚が壊れている。
「私の装備は、いつも通りこのローブです」
ローブを指差すだけで、それ以上は語らない。
「……それ、防具なんですよね?」
「ええ。鎧と同じくらいは守ってくれます」
“同じくらい”で済ませるあたりが怖い。
「さて、榊さんの装備ですが……」
ルーシェンは少し視線を逸らし、一本の剣を差し出した。銅製。形はいびつで、正直言って不格好だ。ただ、柄の装飾だけはやたら凝っている。
「……装飾だけ豪華ですね」
「得意分野ですから」
胸を張るところじゃない。
「鉄があれば、もう少し整ったものが作れたのですが。銅でも、下手な鉄剣よりは丈夫ですよ」
握ってみると、確かに折れそうな不安はない。ただ、重心は少しズレている。
「まあ、木刀よりはマシですね」
「それは良かったです」
絶対、褒めてない。
「服はこちらです」
渡されたのは、丈夫そうな旅人用の服と青いマントだった。
「鎧はありませんが、その分動きやすいでしょう。一応、丈夫な繊維で多少は補強しています」
着てみると、悪くない。
……悪くないが。銅の剣、旅人の服。
「初期装備感がすごいな……」
思わず呟いた。
「初期装備?」
「いえ、こっちの話です」
「ゲームですか?」
「今はそれどころじゃないでしょう!」
こうして、翌朝の出発準備は整った。
召喚魔法
召喚魔法は、使用者が持つ最大魔力(いわば最大MP)を代償として、召喚獣を自らの身体、あるいは魔力回路に寄生させる魔法である。
本来は「使役魔法」と呼ぶべき体系だが、通常の魔物を使役する魔物使いとの混同を避けるため、召喚魔法と区別されている。
その性質上、召喚魔法使いにとって「どの召喚獣を寄生させるか」は、人生を左右する最重要の選択となる。
最大魔力は鍛錬によって増加するため、召喚魔法使いは他系統の魔法使いよりも、最大魔力の増強を重視する傾向が強い。
その反面、細かな魔力制御や瞬間的な出力調整といった技量は、その他の魔法使いより低い場合が多い。
召喚獣が倒された場合、その個体は再生のため待機状態へと移行する。
この間、召喚魔法使いは通常時よりも多くの最大魔力――おおよそ通常の二倍――を失い続ける。
最大魔力がマイナスに転じることは、すなわち精神の死を意味するため、最大魔力を限界まで使用している状態で召喚獣が敗北すれば、致命的な結果を招くことも少なくない。
低位の召喚獣は代償となる最大魔力も少なく、その卵も一般市民が多少の無理をすれば購入できる価格帯にある。
汎用性にも優れているため、1〜2体の召喚獣を保持する市民も多い。
彼らは召喚獣を労働に出し、副業として報酬を得ることで、生産力の補助と経済への貢献を果たしている。




