第四十五話:海底集落にて
1. 集落への道
痛みが、全身を蝕む。
左半身から、鈍い痛みが途切れることなく襲ってくる。
傷は治った。
だが、その代償として、痛みは1.5倍。
「ぐっ……」
歯を食いしばりながら、俺はエリシアを横抱きにして歩く。
エリシアの体は、思ったより軽い。
だが、この痛みの中では――重い。
「榊さん……」
ファルマが、心配そうに俺を見る。
その表情には、心配と――何か言いたげな色が浮かんでいる。
だが、ファルマは何も言わなかった。
ただ、俺の苦痛に満ちた表情を見つめるだけ。
(大丈夫だ……耐えられる……)
俺は、前を向く。
アムフィが、先導してくれている。
集落まで、もう少し。
その時――
「アムフィ!」
別のセイレーンが、泳いできた。
アムフィより少し小柄で、髪が長い。
「エルフィ!」
アムフィが、そのセイレーンの名を呼ぶ。
「深淵遊弾魔獣が倒されたの!?本当に!?」
エルフィが、嬉しそうに言う。
「ええ、この方たちが倒してくださったの」
アムフィが、俺たちを指す。
エルフィの表情が、喜びから――懸念へと変わる。
「でも……人間たちが、集落に近づいてくるなんて……」
エルフィが、警戒の色を見せる。
「エルフィ!」
「待って、アムフィ。確かに深淵遊弾魔獣を倒してくれたことは感謝するわ。でも、あなたたちに秘宝を報酬として渡したのでしょう? それで十分じゃない?」
エルフィが、腕を組む。
「そんな……!」
アムフィが、反論する。
「この方たちは、私たちを救うために戦ってくださった。その戦いで、大きく傷ついた仲間がいるの」
アムフィが、俺の腕の中のエリシアを指す。
「この方を回復させるために、魔力溜まりの魔力が必要なの」
「でも、魔力溜まりは――」
「わかってる。私たちにとっても大切な場所。でも、エルフィ」
アムフィが、エルフィを真っ直ぐ見つめる。
「秘宝とは言え、ただ物を渡してそれで終わり? それでいいの?」
「それは……」
「特に、助けを必要としている人を目の前にして、助けないの? それが、私たちセイレーンのやり方?」
アムフィの言葉に、エルフィが言葉に詰まる。
エルフィは、俺を見た。
痛みに耐えながら、エリシアを抱える俺。
そして、必死そうな目で訴えるファルマ。
「……はぁ」
エルフィが、ため息をつくように水を吐き出した。
「わかったわ。でも、アムフィ」
「何?」
「族長には、あなたが説明するのよ」
「もちろん」
「なら、先に人間たちが来ることを伝えてくるわ」
エルフィは、そう言い残して泳いでいった。
「……ありがとう、アムフィ」
俺が言う。
「いえ。さあ、行きましょう」
アムフィが、再び先導を始める。
俺たちは、歩みを再開した。
2. 族長シャルリア
しばらく進むと――
集落が見えてきた。
サンゴでできた家々が、海底に立ち並んでいる。
色とりどりのサンゴが、美しい景観を作り出している。
だが――
集落の前に、10人ほどのセイレーンが並んでいた。
そして、その中央に――
他のセイレーンより一回り大きく、美しいセイレーンがいた。
長い銀髪を持ち、威厳のある表情。
俺たちが近づくと、そのセイレーンが口を開いた。
「ようこそ、人間たちよ。私は、この集落の長、シャルリアと申します」
低く、落ち着いた声。
「深淵遊弾魔獣を倒していただき、感謝いたします」
シャルリアが、頭を下げる。
他のセイレーンたちも、それに倣う。
「事情は、エルフィから聞いております」
シャルリアが、顔を上げる。
「しかし、魔力溜まりは、私たちセイレーンにとっても生命線。そう簡単に、通すわけにはいきません」
「……なら、どうすればいい」
俺が、問う。
シャルリアは、少し考える素振りを見せた後――
「仲間を一人、入口の建物に預けていただきたい。保険として」
「何……!?」
俺が、何かを言おうとする。
だが――
「それなら、私が」
ルーシェンが、前に出た。
「ルーシェン!?」
「大切なのは、エリシアさんを回復させること。私なら、大丈夫です」
ルーシェンが、アルセインと通話できるイヤリングを俺に返す。
「アルセインさんと連絡が取れるよう、これを」
「待て、ルーシェン――」
「榊さん。時間を無駄にしないでください」
ルーシェンが、微笑む。
「私は、魔法使いです。そう簡単には、やられませんよ」
そう言って、ルーシェンはセイレーンたちの元へ歩いていった。
「ルーシェン……」
「さあ、参りましょう」
シャルリアが、集落の奥へと泳ぎ始める。
俺は、エリシアを抱き直して――
その後を追った。
3. 魔力溜まりへ
集落の中を進む。
サンゴでできた家々が、美しく立ち並んでいる。
色とりどりの光が、サンゴから放たれている。
まるで、海底の宝石箱のような景色。
だが――
俺には、それを楽しむ余裕がなかった。
痛みと、疲労。
そして、エリシアとルーシェンへの心配。
それらが、俺の心を占めている。
シャルリアが、小声のようなもので話しかけてきた。
「……集落を救っていただいたのに、このような不義理をして、申し訳ございません」
「……」
「ですが、こうでもしないと……魔力溜まりを失うことを恐れる他のセイレーンたちが、納得しないのです」
シャルリアの声には、申し訳なさが滲んでいた。
「……ごめんなさい」
後ろから、アムフィの小さな呟きが聞こえた。
俺は、何も言わなかった。
ただ、前を向いて歩く。
集落の奥に、一際大きなサンゴの建物が見えてきた。
「ここです」
シャルリアが、建物の前で止まる。
「この中に、魔力溜まりがあります」
俺は、建物の中に入った。
中は広い。
だが、何もない。
ただ――
中央に、景色が歪むほどの魔力が渦巻いている。
魔力溜まり。
「ファルマは、ここで待っていろ」
「え……?」
「あの魔力に当てられたら、危ない」
「で、でも……」
「大丈夫だ」
俺は、一人で魔力溜まりに向かう。
濃密な魔力が、肌に纏わりつく。
息が、少し苦しい。
だが、構わない。
俺は、魔力溜まりの中に――
エリシアを、横たえた。
その瞬間――
エリシアの体が、ふわりと浮かび上がる。
俺の目線の高さまで。
そして、微かに光を放ち始めた。
「エリシア……」
俺は、エリシアの体に触れる。
斥力が――戻っている。
わずかだが、確かに感じる。
(回復している……)
俺は、安堵のため息をついた。
「エリシア……待ってろ。すぐに、元に戻るからな」
俺は、エリシアの頬に触れた。
冷たい。
だが、生きている。
それだけで、十分だ。
俺は、ファルマの元へ戻った。
「……ここに、いてもいいか?」
俺が、シャルリアに問う。
シャルリアは、少し悩む素振りを見せた。
「……アムフィとエルフィを監視につけるなら、よろしいでしょう」
「監視!?」
アムフィが驚く。
「え、私も?」
エルフィは、今様子を見に来たところのようで、状況がよくわかっていない。
「頼みましたよ」
シャルリアは、そう言い残して建物を出ていった。
「え、ええっ!?」
エルフィが混乱している。
「エルフィ、族長の命令よ」
「そ、そうだけど……」
エルフィが、困惑したまま俺たちを見る。
俺は、建物の片隅に座り込んだ。
エリシアが見える位置。
「榊さん……」
ファルマが、俺の隣に座る。
そして、俺にもたれかかってきた。
「ファルマ……?」
「少し……休ませてください……」
ファルマの声が、小さい。
疲れているんだろう。
「ああ」
俺は、ファルマを支えるように座り直す。
ファルマは、いつの間にか――
寝息を立てていた。
(寝たのか……)
俺も、猛烈な疲れを感じていた。
結界で、常に日中と同じ明るさ。
時間の感覚が、わからない。
「今……どれくらいの時間なんだ?」
俺が、アムフィに聞く。
「ええと……もう、陽の光が真上にあるくらいですね」
「真上……?」
ということは、正午か。
(そんなに時間が経っていたのか……)
想像以上だ。
痛みによる覚醒も超えて瞼が、重くなる。
(寝るわけには……)
何とか起きようとする。
だが――
「大丈夫ですよ」
アムフィが、優しく言う。
「何かあっても、私たちが守りますから」
「監視じゃなくて……護衛じゃないか……」
俺は、苦笑する。
「いえ、監視です」
アムフィが、微笑む。
「……ありがとう」
俺は、もう耐えられなかった。
ファルマにもたれかかられたまま――
座った状態で、意識が落ちた。
4. 目覚めと会話
「……だって、あの人、いい男じゃない?」
「アムフィ、あなた人間に興味あるの?」
声が、聞こえる。
アムフィと、エルフィの声。
(目が覚めたのか……)
俺は、目を閉じたまま意識を取り戻す。
体の調子は――だいぶ戻ってきていた。
痛みも、鈍痛程度。
(傷薬の副作用が、切れてきたのか……)
エリシアは――
目を少し開けて確認する。
相変わらず、浮いたまま。
変わりはないように見える。
「興味って……でも、ほら、顔立ちもいいし、仲間を大切にしてるし」
アムフィの声。
「私はもう少し、線の細い男の方が好みかな」
エルフィの声。
(……何の話をしてるんだ)
少し、恥ずかしくなる内容だ。
俺は、目をつぶって寝たフリを続ける。
「榊さん」
突然、後ろから小声が聞こえた。
ファルマの声。
(起きてたのか……!?)
「モテますね」
冷たい声。
(いや、違う! 俺は何もしてない!)
内心で、慌てて否定する。
その時――
グゥゥゥゥ……
可愛らしいお腹の音が、鳴った。
ファルマの腹だ。
「……!?」
ファルマが、慌てる気配。
そして、次の瞬間――
グゥゥゥゥゥ……
今度は、俺の腹が鳴った。
「……ぷっ」
ファルマが、笑いをこらえる声。
「ふふっ……」
そして、俺も笑ってしまった。
「あれ、起きてたんですか?」
アムフィが、こちらに気づく。
「ああ……少し前に」
俺は、体を起こす。
「お腹、空いてるんですか?」
エルフィが、聞いてくる。
「まあ……な」
俺は、マジックバッグから携帯食料を取り出す。
「これがあるから、大丈夫だ」
乾パンのような固い食料。
「それ、何ですか!?」
アムフィとエルフィが、興味津々に見てくる。
「携帯食料だ。保存が効く」
「すごい……!」
「あの、もしよろしければ……」
アムフィが、遠慮がちに言う。
「私たちセイレーンは、基本的に魔力があれば食事は必要ないんですが……食べないわけではないので」
「魔力効率はとても非効率なんですけどね」
エルフィが、補足する。
「私たちが時々食べるものも、食べますか?」
「どんなものがあるんだ?」
「魚はもちろんですが……カニやエビも、たくさんありますよ」
「カニ……エビ……!?」
俺は、思わず身を乗り出した。
「本当か!?」
「え、ええ……」
アムフィが、少し驚く。
「ぜひ、欲しい!」
「……そんなに喜ぶものなんですか?」
エルフィは、少し呆れてるようだ。
「なら、取ってきますね」
エルフィが、建物を出ていった。
5. 海の幸
しばらくして、エルフィが戻ってきた。
両腕に、大きなカニとエビを沢山抱えている。
そして、俺はそれを見て――
「うおおおおっ!!」
思わず、飛び上がった。
ズワイガニ!
いや、それに似た何か!
そして、伊勢海老!
いや、それに似た何か!
「すごい……! これ、本当にいいのか!?」
「ええ、どうぞ」
エルフィが、カニとエビを差し出す。
「ナイフみたいなのは、ないか?」
「ナイフ……? これでいいですか?」
アムフィが、腰につけていたナイフを渡してくれる。
未知の鉱石でできた、鋭いナイフ。
「ありがとう!」
俺は、カニとエビを受け取る。
「榊さん……火もないのに、どうやって食べるんですか?」
ファルマが、不思議そうに聞く。
「こう食べる」
俺は、ナイフを手に取り――
カニを捌き始めた。
6. 刺身の饗宴
カニの甲羅を外す。
ズワイガニ、いや、それに似たこのカニ。
甲羅の下には、白く透き通った身が詰まっている。
(これは……間違いない)
俺は、慎重にナイフを入れる。
カニの脚を一本ずつ外し、殻に切れ込みを入れる。
そして――
殻を割ると、中から白く美しい身が現れた。
プリプリとした弾力。
透明感のある白さ。
(完璧だ……!)
次に、伊勢海老。
いや、それに似たこのエビ。
頭を外し、背中から殻を剥いていく。
ぷりっ、ぷりっと音を立てながら、殻が剥ける。
そして――
現れたのは、透き通ったエビの身。
薄く桜色を帯びた、美しい身。
(これも……完璧だ!)
「え……生で……?」
ファルマが、少し引いている。
「見てろ」
俺は、ナイフを使って薄く切り分けていく。
カニの身を、薄く削ぐように切る。
エビの身も、薄く切り分ける。
そして――
「ファルマ、皿を出してくれ」
「は、はい……」
ファルマが、マジックバッグから皿を取り出す。
俺は、その皿に――
切り分けたカニとエビの刺身を、美しく盛り付けた。
白く透き通るカニの身。
桜色に輝くエビの身。
それらが、皿の上で芸術品のように並ぶ。
「綺麗……」
アムフィが、感嘆の声を上げる。
「本当に、美しいですね」
エルフィも、目を輝かせる。
「でも……これ、本当に食べられるんですか?」
ファルマが、少し気味悪そうに見ている。
「見てろ」
俺は、マジックバッグから塩を取り出す。
調味料は、これしかない。
だが――
刺身に、塩だけで十分だ。
俺は、カニの刺身に軽く塩を振り――
口に運んだ。
「――!」
瞬間、口の中に広がる甘み。
プリプリとした食感。
カニの繊維が、口の中でほぐれていく。
塩が、カニの甘みを引き立てる。
(うまい……! うますぎる……!)
次に、エビの刺身。
口に入れると――
ぷりっとした弾力。
濃厚な旨味。
エビの香りが、鼻腔をくすぐる。
(これも……最高だ……!)
「榊さん……?」
ファルマが、恐る恐る声をかける。
「食べてみろ」
「で、でも……」
「いいから」
俺が促すと、ファルマは恐る恐る――
カニの刺身を口に運んだ。
「……!」
ファルマの目が、見開かれる。
「お、美味しい……!」
「だろ?」
俺は、ニヤリと笑う。
「私たちも、食べていいですか?」
アムフィが、遠慮がちに聞く。
「もちろん」
アムフィとエルフィも、結界内に入ってきて刺身を口にする。
「美味しい!」
「こんな食べ方、初めてです!」
二人のセイレーンも、感動している。
(意外と結界内でも普通に動けるんだな)
俺はそんな事を思いながら、次々とカニとエビを捌いていく。
刺身の山が、皿の上に積み上がっていく。
そして、四人で――
刺身を堪能した。
カニの甘み。
エビの旨味。
塩だけで、これほど美味いとは。
(日本に帰ったら……いや、帰れないか)
俺は、少し寂しい気持ちになる。
だが――
(いや、この世界でも、こんなに美味いものがある)
それだけで、少し救われた気がした。
「榊さん、本当に美味しいです!」
ファルマが、嬉しそうに笑う。
「だろ?」
俺も、笑う。
アムフィとエルフィも、幸せそうな表情だ。
だが――
俺は、ふとエリシアを見た。
浮かんだまま、動かないエリシア。
(エリシアにも……食べさせたかったな)
俺は、心の中で呟く。
(復活したら……必ず食べさせよう)
俺は、そう決意した。
エリシアと一緒に、また刺身を食べる。
その日を夢見て――
俺は、再び刺身に手を伸ばした。
再生促進薬(アストン式)
ファルマが調合した、回復力に特化した薬。服用、または傷口に直接かけることで、短時間のうちに組織の修復を促す。指の第一関節程度の欠損であれば再生も可能。
ただし副作用として、治癒中および再生過程における痛覚が通常の約1.5倍に増幅される。そのため、鎮痛作用を持つ睡眠薬との併用が原則とされている。




