第三十六話:国境までの道
1. 空の旅
滑空が始まった。
感覚としては、ジェットコースターに近い。
風が顔に当たり、景色が一気に流れていく。
ふと、俺は心配になった。
「なあ、ルーシェン」
『はい、何ですか?』
イヤリングから声が返ってくる。
風が強く、周囲の雑音は大きいが、イヤリング越しなら問題なく会話できた。
座席は、先頭に運転席があり、そこにエリシアが座っている。
その後ろに、二人掛けの座席が二列、縦に並んでいた。
前の座席に俺とルーシェン、後ろの座席にはファルマが一人で座っている。
「着地はどうなるんだ?」
『ああ、それは大丈夫です。着地時には自動で風の魔法が発動して、軟着陸できます』
『何度も実験して確認していますから』
「そうか……」
『ただし』
ルーシェンが釘を刺す。
『飛行時は、どうしても風の影響を受けます。突発的な乱気流による揺れには気をつけてください』
確かに、飛行は安定している。
だが、時折、風に煽られて大きく揺れることがあった。
気分は、絶叫マシンに乗っているようだった。
「……絶叫マシン、か」
俺がぽつりと呟いた瞬間――
『絶叫マシンとは?』
ルーシェンの、いつもの質問が始まった。
「いや、イヤリングの魔力を、必要な会話以外で消費するなよ……」
『近くなら話し続けても、半日は持ちますから大丈夫ですよ』
後ろの座席から、ファルマの苦笑いする気配が伝わってくる。
ファルマは飛竜での飛行に慣れているため、意外と平気そうだ。
前の席でいつもの光景が始まったことに、苦笑しているのだろう。
2. 白嶺山の麓
やがて、白嶺山の麓に近づいた。
最後は、塔を出発した時と同じように、ふわっと着地する。
ちょっと気持ちよかった、と内心で思ったのは内緒だ。
全員が降りた後、エリシアがボタンを押す。
すると飛行機は分解されながら小さくまとまり、そのままマジックバッグに収納された。
「では、登りますか」
ルーシェンが白嶺山を見上げる。
標高は、千メートルを超える山だ。
ルーシェンは、上部の着地できそうな、開けた地点へマーキングを飛ばした。
「私が先行します」
ルーシェンは、単独でも風の魔法で飛べる。
「問題なければ、イヤリングで連絡しますね」
「ああ、頼む」
ルーシェンが、空飛ぶ靴を使って移動する。
しばらくして――
『問題ありません。どうぞ』
イヤリングから連絡が入った。
「じゃあ、行くぞ」
俺たちも、空飛ぶ靴を使って移動する。
初めての靴の使用だった。
飛んだ後、着地は十メートルほど上からになる。
俺は闇の力を使い、無難に着地した。
一番不安だったファルマも――
「やった……!」
付与魔法による身体強化で、問題なく着地できていた。
「よくやった、ファルマ」
「えへへ……」
次も同じように、ほぼ山頂の、少し開けた場所へ飛ぶ。
そこからは――
「うわあ……」
遠くに、海が見える。
視界いっぱいに、絶景が広がっていた。
「綺麗……」
ファルマも見とれている。
その横で、ルーシェンは淡々と飛行機の準備を進めていた。
「あれが、ブレスタンの街です」
ルーシェンが、遠くに見える都市を指差す。
「そして、あの街道から少し離れた、小さな森の手前あたりで着地する予定です」
「まだ王国内ですが、飛行機はできるだけ人目には触れない方がいいですからね」
「そうだな」
3. 襲撃と着地
山の上から、滑空を始める。
滑空を始めてすぐ──何か飛行機の下に影が見えた。
風が、持ち上げられた。
「――下から何か来る!」
俺が叫んだ瞬間、機体が跳ね上がった。
腹の底から叩きつけられたような衝撃。翼が軋み、視界が一瞬、空と地面を入れ替える。
黒い影が、下から突き上げてきた。巨大な鷹の魔物。
「あれは天翼鷹です……!」
ファルマが叫ぶ。エリシアが飛行機を巧みに旋回させる。
その直後巨大な爪が、翼の下面をかすめる。
掴まれれば終わりだ。
「姿勢修正します」
操縦席のエリシアが、感情のない声で告げた。
だが操縦桿は、限界まで引き込まれている。
失速寸前。
「お、落ちる!?」
ファルマが悲鳴を上げる。
「無茶だ、落ちるぞ!」
「落ちません。――計算済みです」
次の瞬間、天翼鷹の嘴が空を切った。
突き上げの勢いを失い、機体の真下をすり抜けていく。
「今です!炎矢!」
だが、不安定な飛行機の上では、ルーシェンの魔法は定まらない。
放たれた炎矢は、天翼鷹から大きく逸れた。
揺れで魔力が散り、照準が合わない。
「直撃は無理ですね……炎壁」
代わりに、空を焼いた。
「ヒギャー!」
進路上に展開された火の壁に、天翼鷹が悲鳴を上げる。
翼を翻し、距離を取る。
エリシアの声が冷静に響いた。
「今のうちに、離れます」
機体は、再び安定した滑空に戻った。
天翼鷹は火を恐れたのか、追いかけてこない。
「天翼鷹は火が弱点です。火を使う相手をあえて襲うリスクを避けたのでしょう」
ルーシェンの言葉で俺は、ようやく息を吐いた。
「今度からは、飛ぶ前に周囲の確認が必要だな」
飛行機を襲う魔物が、実際にいる。
それを身をもって知れたのは――
まあ、空に放り出される前で良かった、と思うことにした。
その後は襲撃やトラブルもなく無事に、森の前に着地する。
周囲には人影もない。
「ここからは、国境を超えるまで陸路ですね」
「ああ。行こう」
俺たちは歩き始めた。
4. 街道へ
森を抜け、街道に出る。
森の中ではゴブリンかコボルトぐらいしか出ず、ほぼエリシアと俺だけで片付けながら進んだ。
ブレスタンの街が、遠くに見える。
「あの街で食料を補給して、国境を目指しましょう」
「ああ」
街道を歩く。
時々、商人の馬車とすれ違う。
「こんにちは」
「ああ、こんにちは」
普通の旅人として振る舞う。
空飛ぶ靴は、履き替えてマジックバッグにしまってある。普段履きにするには硬いからな。
「榊さん」
ファルマが小声で言う。
「何だ?」
「あの……これから、トレオン帝国に入るんですよね」
「ああ」
「大丈夫でしょうか……」
ファルマが不安そうにしている。
「大丈夫だ」
俺はファルマの頭を撫でる。
「お前も強くなったんだから。自信を持て」
「……はい」
ファルマが少し笑顔になる。
____
夕方頃、ブレスタンの街に到着した。
入口の検問では、宰相の通行証が威力を発した。かなり丁寧な対応で街に入る。
「では、宿を取りましょう」
「ああ」
街に入る。
国境近くだけあって、結構な規模の城塞都市だ。
宿を取り、食事をする。
「明日は、国境の砦を超えて、トレオン帝国の街エル・パソリアまで移動します」
ルーシェンが地図を広げる。
「乗り合い馬車があれば、1日で着くはずです」
「分かった」
その夜。
俺は宿の窓から、空を見上げていた。
(最果ての塔……ルシエル=ミラ・エリオス)
(俺の心の奥底と、向き合う)
(……できるのか?)
不安が、胸をよぎる。
「榊様」
エリシアが横に立っていた。
「エリシア……」
「大丈夫です。私が、そばにいます」
「……ああ」
俺は少しだけ、救われた気がした。
天翼鷹
最大翼幅が七〜八メートルにも達する巨大な鷹型の魔物。
主に標高千〜二千メートル級の山岳地帯に生息し、基本上空から獲物を狙って急降下する。
鋭い爪と嘴による攻撃は極めて危険で、人間程度の大きさであれば爪で掴んだまま飛翔することが可能。掴み上げた獲物を高所から落とすという残忍な狩りも行う。
火を嫌う性質があり、火属性の攻撃に弱い。十分な威力があれば討伐せずとも容易に追い払うことができる。
縄張り意識が強く、縄張りに入ったものに対しては、出ていくまで執拗な攻撃をしてくるので注意が必要である。




