第三十一話:天使と悪魔
1. 守護神への感謝
酒盛りの席で、その女性は、村人たちに慕われているように見えた。
甲斐甲斐しく酒を注ぎ、話を聞いては微笑んでいる。その仕草は、どこか聖女のようでもあった。
――だが、目には冷徹な光が見えた。
俺は酒盛りに参加するフリをして、村人たちの会話に耳を傾けた。エリシアも俺の隣で、静かに周囲を観察している。
「今年も豊作だな」
「ああ、守り神様のおかげだ」
「本当にありがたいことだ」
村人たちの言葉の端々に、守り神への感謝の言葉が聞かれる。
俺は近くの村人に話しかけた。
「守り神って、どういう存在なんですか?」
「ああ、あんたたちは知らないのか。この村にはな、守護神様がいらっしゃるんだ」
村人が嬉しそうに語る。
「その方がいるから、俺たちは安全で豊かに暮らせる。病気にもならないし、作物は異様なほどよく育つ。本当にありがたいことだよ」
「その守護神は、どこにいるんですか?」
「さあ……それは分からないな」
村人が首を傾げる。
「誰も会ったことはないんだ。でも、確かにいらっしゃる。それは間違いない」
他の村人にも聞いてみたが、同じような答えしか返ってこなかった。
「榊様」
エリシアが小さく囁く。
「何か……違和感があります」
「ああ、俺もだ」
村人たちは確かに幸せそうだ。だが、その幸せは──どこか歪んでいる。
2. 夜の訪問者
その夜遅く、俺たちが泊まっている家に訪問者が来た。
コンコン、と控えめなノックの音。
「誰だ?」
ドアを開けると、そこにいたのは──あの美しい女性だった。
「夜分に申し訳ありません。少し、お話ししてもよろしいでしょうか」
女性の声は柔らかく、優しかった。
俺は一瞬躊躇したが、エリシアと目を合わせてから頷いた。
「どうぞ」
女性を家の中に招き入れる。
だが、その瞬間──俺は感じた。
女性から、僅かに漏れ出す光属性の魔力。
「……!」
俺は思わず身構える。エリシアも油断なく、女性を注視していた。
女性はそれに気づいたようだったが、特に気にする様子もなく部屋に入る。
そして、手をかざした。
淡い光が部屋を覆う。結界――それもかなり高度なものだ。
「どこに目や耳があるか分かりませんから」
女性が静かに言う。
「私はセレナと申します。1ヶ月前から、この村に滞在しています」
「セレナ……さん」
「はい。単刀直入に申し上げます」
セレナが真剣な表情になる。
「この村の守護神と呼ばれているものは、バエル=クラウスと呼ばれる大悪魔です」
「大悪魔……?」
「はい。過去の神々との戦いで力を喪いましたが、この村を作り、定期的に生贄を取ることで、力を取り戻そうとしています」
生贄。
その言葉に、俺とエリシアは顔を見合わせた。
「そして、私は──」
セレナが胸に手を当てる。
淡い光が漏れ、一瞬だけ、背中に六枚の翼の幻影が見えた――人ならざる存在の証。
「その大悪魔を討伐するために、光の秩序神から派遣された天使です」
天使。
俺は更に身構えた。エリシアも緊張を隠さない。
だが、セレナは俺の闇の力に気づいた様子はなかった。
「あなた方に、バエルの討伐に力を貸していただきたいのです」
「待ってくれ」
俺は手を上げる。
「あんた、今感じる力は一般人より少し強い程度だ。そんな力で、大悪魔を倒せるのか?」
「仰る通りです」
セレナが頷く。
「私は今、現世に大きな影響を与えないために、力を封印されている状態です」
「封印?」
「はい。そして、その封印は私だけでは解けません。信頼できる人間に承認してもらう必要があります」
セレナが俺を見つめる。
「だからこそ、あなた方の協力が必要なのです」
「……」
「ただ、正直に申し上げますと──私は今まで長い間バエルを探し、やっとこの村を見つけました。ですが、未だバエルの居場所は特定できていません」
セレナが唇を噛む。
「返事はまた後日で構いません。ですが、バエルが出てきて私の封印が解けなければ……全てが終わります」
そう告げると、セレナは結界を解いて立ち上がった。
「それでは、失礼します」
セレナが去っていく。
部屋に、沈黙が残った。
「……エリシア」
「はい」
「どう思う?」
エリシアが少し考えてから答える。
「言っていることは、おそらく本当でしょう。ただし──」
「ただし?」
「全てを話しているとは限りません」
「そうだな」
俺も同意する。
「守護神については、こっちでも探ってみよう」
「了解しました」
その夜は、あまり眠れなかった。
3. 夢のような生活
次の日、俺とエリシアは村を歩いた。
村人は100人ほど。10歳前後の子供も3人おり、無邪気に遊ぶ姿が見られる。そして──村の至る所に、異常なものがあった。
「榊様、この畑を見てください」
エリシアが指差す。
種を植えると、異常な早さで収穫に至る畑。昨日植えたはずの種が、もう芽を出している。
「これは……」
「魔力による加速、でしょうか。ですが、この規模で常時発動しているとなると……」
エリシアが首を傾げる。
次に見たのは厩舎だ。
「家畜を屠殺しても、翌日にはまた同じ数に戻っているそうです」
村人がそう教えてくれた。まるで当たり前のことのように。
鳥小屋では、無限に卵を産む鳥がいた。
村の中心には、なぜか酒が湧き出す小さな泉。
そして、そこには先程の遊んでいた子供たちがいた。女の子1人と、男の子2人だ。女の子が俺たちに気づいて、近づいてくる。
「あ、この前きたおじ……お兄さんだ!」
今この子、素でおじさんって言おうとしたな。まだ25歳なんだが……。
「本当だ!」
「綺麗なお姉さんもいるね~」
2人の男の子もこちらにやってくる。
「ねえねえ、私アンっていうの、お兄さんたちのお名前は?」
アンの無邪気な問いかけに、思わず微笑む。
「俺は榊、こっちのお姉さんはエリシアって言うんだ」
エリシアが軽く会釈する。
「僕の名前はカイって言うんだ~」
「俺の名前はレオだ!」
2人の男の子も名乗る。
おっとりした子がカイ、わんぱくそうな方がレオか。
「このお水、お父さんもお母さんも飲んじゃダメって言うの」
アンが泉を指さしてから言う。
「大人になったら飲んでもいいんだって~」
「勝手に飲んだら、守護神様に怒られるんだ」
カイとレオも不服そうだ。
「お父さんもお母さんも、毎晩楽しそうに飲んでて、ずるいよね」
三人は口々にそんな事を言ってきた。
俺はそれを聞いて、苦笑いするしかなかった。
「今飲んでも、美味しくないと思うぞ」
「ね、ちょっとだけでも飲んだらダメかな?」
アンが上目遣いに聞いてくる。
「お父さんと、お母さんに怒られるぞ」
俺がアンの頭を撫でながらそう言うと、
「ちぇ、ダメかぁ……」
「でも守護神様に怒られたら嫌だもんね~」
「親父もお袋も怒ったら怖いしな……」
「あっちで遊ぼうよ」
そう言って、三人は笑いながら走って行った。その背中は、あまりにも無防備だった。
「子供もいるのですね」
エリシアが子供たちが走り去った方向を見ながら呟く。その目は優しさが感じられた。
「そうだな」
俺は、そう答えながら村の見回りを再開した。
そしてトイレは使ってもすぐ綺麗になり、風呂は常にお湯が張られて、いつでも入る事ができた。
「夢のような生活だな」
俺が呟くと、エリシアが答える。
「はい。ですが、これは全て──」
「守護神の力、か」
村人たちは、それを当たり前として使っている。
俺たちは村の中をくまなく探した。だが、結局バエルの手がかりすら見つけられなかった。
そして──村人たちの視線を感じた。
どこか、無駄なことをしている人間を見る目。
「……気味が悪いな」
「はい」
エリシアも同意する。
4. 悪魔の取引
その夜も、酒盛りが行われていた。
俺たちは参加もそこそこに、家に戻る。
「何か見落としがないか……」
俺とエリシアは話し合ったが、結論は出なかった。
「また明日、注意深く見てみましょう」
「ああ」
俺はベッドに横になった。
疲れていたのか、すぐに眠りに落ちた。
夢の中で、俺は立っていた。
暗闇の中。
そして──前に、何かがいた。
「……」
それは、ヤギの頭を持つ悪魔だった。
巨大な角。黒い体毛。だが、その瞳は──人間のように、悲しげだった。
「お前は……まだ、抗っているんだな」
悪魔が口を開く。
「誰だ、お前は」
「俺の名はバエル=クラウス。この村の守護神と呼ばれている存在だ」
「バエル……!」
俺は咄嗟に剣を抜こうとするが、手が動かない。夢の中だからか。
「取引をしよう」
バエルが言う。
「この村は、俺が力を取り戻すために必要だ。もし俺がいなくなれば、今までの加護がなくなる。それに慣れてしまった村人は、すぐに死んでしまうだろう」
「……」
「そもそも、村人は俺の排除を決して喜ばない。お前は、今いる村人たちから俺を取り上げた後の責任が取れるのか?」
その言葉に、俺は言葉に詰まった。
「……村人の中には、俺を恐れている者もいる」
「だが、それを口に出せる者はいない」
「俺はただ、ここで静かに暮らしたいだけだ。だが、今いる天使が障害となっている」
バエルが一歩近づく。
「もし天使を排除することに協力してくれれば、村を出て帰る便宜を図ろう。何より──お前と同じ闇の力を持つ身として、忠告しておく」
「闇の力……!?」
「万が一、天使にそれがバレれば、神にも最悪伝わる。お前も粛清対象になるぞ」
「……くそっ」
その言葉に、否定できない自分がいることが、何より腹立たしかった。
「俺は、最初から悪魔だったわけじゃない。ただの、力を失った哀れな存在だ」
バエルの声が、悲しげに響く。
「良い返事を期待している」
「榊様!」
エリシアの声で目が覚めた。
汗だくになっている。
「榊様、どうされましたか!?」
エリシアが心配そうに覗き込んでいる。
「エリシア……」
俺はしばらく、まともに答えられなかった。
夢の中のバエルの言葉が、頭の中でぐるぐると回る。
村人から守護神を取り上げた後の責任。
天使に闇の力がバレるリスク。
そして──バエルの悲しげな瞳。
「榊様……?」
エリシアが俺の手を握る。その手は、冷たかった。斥力があるため直接触れてはいない。それでも──確かに温もりを感じた。
「……大丈夫だ」
俺は無理に笑ってみせる。
「ちょっと、悪い夢を見ただけだ」
「悪い夢……」
エリシアが心配そうに俺を見つめる。
「榊様、無理をされないでください。私は……榊様の味方です」
その言葉に、俺は少しだけ救われた。
だが、心の奥底にある迷いは──消えなかった。
天使
神々は邪神とその眷属である悪魔に対抗するため、天使を創り出した。
天使は人々の祈りに応え、悪魔を打ち払う剣として現世に降臨する存在である。
天使は低位・中位・高位の三段階に分かれ、位階が高くなるほど翼の数が増える。
特に高位天使は現世への影響が大きいため、悪魔との戦闘時を除き、その力の大半が封印されている。
この封印は人との絆による承認がなければ解除できず、
人と神の絆こそが悪魔を打ち倒す力となる――
それが、神殿や聖典で語られている教えである。




