第三十話:疑惑の村
1. 初めての食事
白銀界、シルフィの建物で休憩を取っていた俺とエリシアだったが、その時──
グゥ〜
盛大に腹が鳴った。
「……あー、そういえば食事してなかったな」
少し恥ずかしくて、わざと明るい声で誤魔化す。
「榊様、お腹が鳴っています」
「分かってるよ!」
エリシアの冷静なツッコミに、俺は思わず大きな声を出してしまった。
仕方なくマジックバッグから干し肉と黒パンを取り出す。携帯食料だから美味くはないが、背に腹は代えられない。
黒パンをちぎり、干し肉を噛んだ。硬くて塩辛い。
「……」
ふと、視線を感じた。
エリシアが、じっと俺を見ている。
「どうした?」
「いえ……」
「もしかして、食べ物食べられるのか?」
エリシアが少し考えてから答える。
「魔力補充の手段として、食べて魔力に変換することはできます。ただ、今は白銀界で魔力は充分にあるので必要ありません」
「そうか。じゃあ、味は分かるのか?」
「お父様のところでは、蜂蜜だけ摂ったことがあります。他のものは……ありません」
蜂蜜だけ、か。
もしかして会った時に、花を摘んでいたのはそのためか?
俺は少し考えてから、干し肉と黒パンを差し出した。
「美味くはないけど、食ってみるか?」
「必要ありません」
「食事ってのは、栄養だけじゃないんだよ。人にとっては楽しみでもある。それに、何事も経験だ」
エリシアはしばらく、じっと干し肉と黒パンを見ていた。
やがて、ゆっくりと手を伸ばし、受け取る。
そして、口に含んだ。
──小さく、慎重に噛む姿は──小動物みたいで、可愛い。
だが次の瞬間、エリシアの顔が僅かに歪んだ。
「……辛い、です」
「辛い?」
「舌が、ピリピリします」
干し肉の塩辛さか。エリシアにとっては初めての感覚なんだろう。
次に黒パンを噛む。モソモソとした食感に、また顔が歪む。
「不快です……でも」
「でも?」
「噛むと、少しだけ……甘い?」
黒パンの僅かな甘み。それにも気づくんだな。
「そうだ。黒パンは噛めば噛むほど、少しずつ甘くなる」
「未知の体験です」
エリシアが真面目な顔でそう言うから、俺は少し笑ってしまった。
「帰ったら、もっと美味いもの作って食わせてやるよ」
何でこんなことを言ったのか、自分でも分からなかった。
ただ――そうしたいと思った。
「……え?」
「約束だ」
エリシアが少し俯いた。
「楽しみに、しています」
その言葉を口にした瞬間、エリシア自身が一瞬だけ息を止めた。
「私が……楽しみ、という感情を……?」
戸惑うエリシア。その姿が、また可愛かった。
2. シルフィの忠告
そんな穏やかな時間は、長くは続かなかった。
「何イチャイチャしてんの?」
ドアが開き、シルフィが入ってきた。
「イチャイチャなんかしてねえよ!」
俺は少しムキになって反論する。エリシアは顔を伏せていた。
「あはは、顔真っ赤」
シルフィがニヤニヤと笑う。
しばらくそうしていたが、やがてシルフィの表情が真面目なものに変わった。
「ねえ、おっさん」
「何だよ」
「あんた、闇の力、使いこなせてないよね」
「……まだ修行中だからな」
「そういうことじゃないのよ」
シルフィが俺の目を真っ直ぐ見た。
「あんた、闇の力を信じきれてない。むしろ、心の底では疎んでるでしょ?」
その言葉に、俺は言葉に詰まった。
確かに、この力は便利だ。だが同時に、バレれば粛清される諸刃の剣でもある。
心の底では──疎んでいる自分がいる。
反論できなかった。
「やっぱりねえ。信じきれないものに、闇の力が完全に力を貸してくれるわけないじゃん」
シルフィが嘲笑するように言う。
「そんなんじゃ、いつか死ぬわよ」
その言葉に、俺はハッとした。
シルフィは──馬鹿にしているように見えて、実際は心配してくれているんだ。
「……ありがとな」
「は? なに言ってんのお?」
シルフィがため息をついた。
「そんな訳ないじゃん。……勘違いしないでよ」
そう言って、話を打ち切る。
「そろそろ回復しただろうし、さっさと帰ったら?」
そう言い残して、シルフィは去っていった。
3. 時空振動
建物を出る俺とエリシア。
振り返ると、来た時にも見たアウレリアがすぐ間近にあった。
その威圧に、背が冷たくなる。
だが同時に──懐かしさも覚えた。
「榊様、どうされましたか?」
「……いや、なんでもない」
俺たちは、来た道を戻り始めた。
帰り道、来る時と同じような召喚獣に襲われる。
だが、対処方法は分かっている。特に問題なく進んでいった。
中頃まで進んだ時だった。
ゴゴゴゴゴ……
大きな地震のような揺れが襲ってきた。
「これは……時空振動!?」
エリシアが驚いた声を上げる。
「何十年も起こっていなかったのに──」
その瞬間、俺たちの足元に大きな亀裂が入った。
「エリシア!」
俺は咄嗟にエリシアを抱きしめ、闇の力で覆う。
次の瞬間、二人は亀裂の中に飲み込まれていった。
4. 動き出す時計の針
一方、シルフィもアウレリアの麓で時空振動が起こったことに驚いていた。
「何十年も起こってなかったのに……まさか、アウレリアが怒ったの?」
アウレリアを見上げるが、沈黙している。
その時、突然ノインが現れた。
「時計の針が、進み始めた」
「!?」
「この時空振動は、そのひとつだ」
「でも、アウレリアの傷はまだ完全に回復したわけじゃないのに!」
シルフィが文句を言う。
「いずれ、調停者が出てくる。時間は、それほど残されていない」
そう告げると、ノインは消えた。
「言いたいことだけ言って消えやがって!」
シルフィが悪態をつく。
だが、大きくため息をついた。
「あー面倒だなぁ……むちゃくちゃ忙しくなるじゃん……」
文句を言いながらも、シルフィは動き出すのだった。
5. 見知らぬ森
意識を失っていた俺が気づくと、エリシアを抱きしめたまま、どこかの森の中にいた。
エリシアの斥力があるせいで、触っているようで触れない不思議な感覚。
「エリシア、大丈夫か?」
「はい、問題ありません」
エリシアが答えるが、表情は硬い。
「ただ……白銀界から突然現世に戻ったことによる環境の大きな変化で、システムの一部に不具合が出ている可能性があります」
「不具合?」
「本来なら座標でここがどこか分かるのですが……位置が特定できません。復旧にはしばらくかかります」
太陽の位置を見る。まだ昼前だ。
「最初の異世界召喚みたいなことになったな」
俺は苦笑した。
「でも、今回は信頼できるエリシアがいるから大丈夫だ」
エリシアが少し俯き加減になる。
「……できるだけご期待にお答えします……」
その姿は、どう見ても照れているように見えた。
「とにかく、ここがどこか分からないとな。遭難した時はどうするんだっけ……」
俺は考える。
「とりあえず、森をある程度見渡せる高いところか、高い木を探して動こう」
6. 森の中の村
途中、巨大蜘蛛が上から襲いかかってきたが、エリシアがすぐに切り倒した。しかし、わずかに着地が乱れた。
「やはり、動きに齟齬が出ています」
「分かった。戦闘は俺ができるだけする。エリシアは索敵に集中してくれ」
索敵に集中したエリシアの指示のもと、巨大蟻や蜘蛛を倒しながら進む。
やがて、一際大きな木があった。
「榊様、私が登ってきます」
「一人で大丈夫か?」
「斥力があれば、すぐに行って帰ってこられます」
エリシアが木の上まで登る。斥力を使って、跳ぶように上がっていった。
木の上から見渡すと、一面森で、遠くに山々が見える。
地形から判断すると──ここはおそらくアルセインの塔から北にある、未開の森の中。塔からはかなり離れているように見える。
少し行くと村らしきものも見える。
「榊様、村が見えました」
「そうか。じゃあ、そこに行って情報を集めよう」
村に向かう途中、霧が出てきた。
方向が分からなくなるが、エリシアの導きで何とか村に到着する。
「こういった村では、よそ者を排斥する傾向があるから、対応には注意しないとな」
俺はエリシアに話しながら、村の入口に向かう。
だが──
村の周囲に、普通ならあるはずの柵がない。入口にも門が無かった。
そして、入口近くにいた壮年の男の村人が、こちらに気づき親切に話しかけてきた。
「どうした? 迷ったのか?」
俺は戸惑いながらも答える。
「ええ、まあ……」
「それは大変だったな。疲れただろう? 」
男は温かく、俺たちを村に迎え入れた。
村に入ると、会う人会う人が親切に声をかけてくれる。
「お腹空いてないか?」
「汚れてたら風呂もあるぞ」
逆に不気味だった。
俺が情報が欲しいことを告げると、村長の家に案内された。
7. 村長の歓待
村長の家で、俺たちは歓待を受けた。
「来た時期が悪かったのう。今は村の周囲に霧が一日中出ることが多くてな。無理に村を出れば、確実に遭難するわい」
にこやかに高齢の村長が言う。
「霧が晴れる季節まで、しばらく滞在したらよろしかろう」
「いや、でも──」
「このおふたりさんを、空いてる家に案内してやってくれんかのう」
周りにいた村人のひとりが立ち上がる。
「どうぞ、こちらに」
俺が何かを言う前に、村長は他の村人に指示を出して空いている家に案内させた。
「ここを自由に使っていい」
案内された家はこじんまりとしながらも、綺麗な家だった。
村人に言われ入ると、家の中もとても綺麗で、常日頃から手入れされているのが分かる。
だが、あまりにも不自然だ。
「油断はできないな」
「はい」
エリシアも同意する。
8. 場違いな女性
その晩、酒盛りに誘われた。
情報収集のため、参加することにする。
村の広場で、酒と料理が並んでいる。村人たちが楽しそうに飲んでいる。
そして──
俺は、ある人物に気づいた。
金髪の女性。
腰近くまである薄く輝く金髪。優しげな青い瞳。スタイルの良い体型。
明らかに、この村では場違いな美しさだった。
「……誰だ、あれは」
俺が呟いた時、女性がこちらを見た。
その瞳に──俺は、懐かしさを覚えた気がした。
白銀界の主アウレリア=アルゲス
シルフィの友人である高位召喚獣。
その存在は一個の召喚獣という枠を超え、白銀界そのものに極めて近い。
姿は、山と見紛うほど巨大な白銀の獣とも、あるいは威厳ある人型とも捉えられ、その輪郭は白銀界のどこからでも視認できるという。
見る者の認識や精神状態によって、その姿が変わるとも語られている。
遥か過去、白銀界を滅ぼしかねない強大な敵との戦いにより深い傷を負い、以降は界の最奥にて長い眠りについている。
その眠りが続く限り白銀界は存続するが、目覚めの時が訪れれば、世界の均衡は大きく揺らぐとされる。




