第三話:魔法
1. この世界の魔法体系
ルーシェンは一口お茶を飲んでから、話し始めた。
「まず、あなたが召喚されたことについてですが」
「はい」
「実は、異世界からの召喚というのは非常に稀なものなんです。記録に残っている限りでは、最後に召喚が行われたのは百年以上前のことです」
「百年以上……」
俺は驚いた。てっきり、もっと頻繁に召喚が行われているのかと思っていた。
「ええ。しかも、その時の召喚は国家規模のプロジェクトで、莫大な魔力と準備期間を要したと記録されています。さらにその時事故が起こり、異世界の来訪者が来るどころか、召喚方法までもが喪われたそうです。なので偶発的に召喚が起こるなど、本来はあり得ないことなんです」
「では、なぜ俺が……」
俺は思い出していた。あの夢のことを。
何度も何度も繰り返された、あの声。
『来い』
『待っている』
『お前が必要なのだ』
そして最後に聞こえた、あの言葉。
『見つけた』
『ようこそ』
引きずり込まれるような感覚。抗えない力。
「実は、俺が召喚される前、夢の中で何度も声が聞こえたんです」
俺は躊躇いながらも、ルーシェンに告げた。
「声?」
ルーシェンの目が鋭くなった。明らかに興味を示している。
「ええ。『来い』と何度も繰り返されて……最後には『見つけた』『ようこそ』と言われました。そして、足を掴まれて引きずり込まれるように、この世界に」
「興味深い……」
ルーシェンは顎に手を当てて考え込んだ。
「つまり、あなたの召喚は偶発的なものではない。国家規模のプロジェクトでもないのに明らかに何らかの意思が介在している」
「意思……?」
「ええ。誰か、あるいは何かが、あなたを意図的にこの世界に呼び寄せた。しかも、闇の力を持つあなたを、です」
ルーシェンの目が輝いた。まるで、重要な発見をした研究者のようだ。
「我々の世界の通常の召喚魔法では、このようなことは起こりません。最上位の召喚魔法使いに限られますが、別世界からの召喚魔法は白銀界の知恵ある魔物と契約をしての召喚に限定されています。何よりあなたのケースは、意図を持ってあなたを探し、見つけた上で引き寄せた」
この世界には異世界召喚以外の召喚魔法があるのか。それに白銀界?色々と疑問は出るがそれよりも…。
「誰が、何のために……」
「それはまだ分かりません。ただ、一つ言えるのは」
ルーシェンは真剣な表情で続けた。
「あなたが闇の力を持っていることと関係があるのは間違いないでしょう。邪神、あるいはその眷属である悪魔が関与している可能性が高い」
俺は背筋が凍った。邪神?悪魔?
「ですが、心配には及びませんよ」
ルーシェンは微笑んだ。その笑顔は、相変わらず目が笑っていない。
「むしろ、これは貴重な研究材料です。邪神や悪魔の意図を解明できる可能性がある。あなたは、非常に価値のある被験者なんですよ」
被験者。
やはり、この男にとって俺はそういう存在なのだ。
ルーシェンは一口だけお茶を飲み、すぐに本題へ入った。
まるで雑談をする気など、最初からなかったかのように。
「では、魔法について説明しましょう」
その声音は、森でゴブリンを焼き払った時と同じだった。感情の起伏がなく、淡々としている。
「この世界の魔法は、大きく六つの系統に分類されます」
六つ。俺はその時点で、正直なところ身構えた。
「……多いですね」
思わず本音が漏れる。
「そうですか?」
ルーシェンは本当に意外そうに首を傾げた。
「研究者の間では、むしろ簡潔な分類だと評価されていますが」
研究者基準で語られても困る。
「まあ、すべてを理解する必要はありません」
そう言いながらも、彼は止まらない。
「まず一つ目。自然魔法です」
俺は先ほどの光景を思い出していた。赤い光、炎の矢、焼け落ちて土に還るゴブリン。
「土、水、風、炎の四元素から力を引き出し、術者の魔力と意志によって行使されます。私の専門ですね」
専門。つまり、さっきのは「本気ですらなかった」ということだ。
「精霊のような存在は確認されていません。魔法は信仰ではなく、再現可能な現象です」
再現可能。その言葉に、背中がぞくりとした。魔法を、奇跡ではなく実験結果として扱っている。
「二つ目が空間魔法です」
結界の外に広がる森を、俺は一瞬思い浮かべた。
「あの光の膜も、これに含まれます」
「空間に制約を与えます。侵入禁止、条件付き通過、魔力遮断など」
「……空間に、制約を?」
「ええ。少し失敗すると、自分がその制約に巻き込まれますが」
さらっと、とんでもないことを言う。
「三つ目は付与魔法」
「物や生物に、一時的な効果を与えます。武器強化、防御向上、身体能力の底上げなど」
「それって……戦士も使うんですか?」
「使います。効率的ですから」
効率。またその言葉だ。
「極めれば、魔道具を作れます。永続効果を持つ道具です」
「今、この世界で作れる者は一人だけですが」
一人。桁違いの希少性を、彼は事実として述べるだけだった。
「四つ目が召喚魔法」
俺は無意識に息を詰めた。
「白銀界と呼ばれる別世界の魔物を使役します」
「卵を持ち帰り、孵化させ、寄生させる」
寄生。その言葉が、耳に引っかかる。
「魔力を与えることで実体化します。常時複数を抱えるのが一般的ですね」
一般的、という言い方が恐ろしい。
「五つ目は精神魔法」
ルーシェンの声が、ほんのわずかに低くなった。
「精神への干渉。催眠、幻覚、恐怖。熟練者なら、思考の読取も可能です」
俺は、反射的に視線を逸らした。
——今、この男は。
——俺の考えを、読んでいるのじゃないのか。
「安心してください」
ルーシェンは微笑んだ。
「私は精神魔法は使えません。少なくとも、今は」
“今は”。その一言が、余計に不安を煽る。
「最後が神聖魔法です」
「信仰によって得られる力。主に回復、不死者への対抗に特化しています」
「神は五柱。光の秩序神、武神、自然神、運命神、生命神」
五柱の神。その名前を聞いて、なぜか胸が重くなった。
「そして」
ルーシェンは、そこで一拍置いた。
「あなたが使った、闇の力」
空気が変わる。
「闇は、邪神と悪魔の力です」
断定だった。
「人が使えば、即粛清対象。例外はありません」
喉が、ひくりと鳴った。
「だから、人前で使ってはいけません」
「制御できるようになるまでは、特に」
その視線が、俺を貫く。
「……制御、できるんですか」
「理論上は」
理論上。それは、できない可能性も含んでいる言葉だった。
「だからこそ、研究する価値があります」
ルーシェンは、心底楽しそうに言った。
2. 取引
ルーシェンは少し間を置いてから、笑みを浮かべた。だが、その笑みは目に届いていない。
「闇の力は私にとっては非常に、興味深い研究対象です」
研究対象。
やはり、この男は俺をそうとしか見ていないのだ。
「実は、私は以前から闇の力に興味があったんです」
ルーシェンは目を輝かせて語った。まるで、待ちに待った実験材料を手に入れた研究者のようだ。
「神々が邪悪だと定義する闇の力。しかし、それは本当に邪悪なのか?魔法としての性質はどうなのか?長年、研究したいと思っていました」
「でも、危険なのでは……」
「ええ、非常に危険です。闇の力が使える人間は、見つかり次第粛清されますし、悪魔を捕らえても、彼らはすぐに消滅してしまいます。生きたサンプルがないのです」
生きたサンプル。
俺は、この男にとってそういう存在なのだ。
「私は長年、悶々としていました。研究したくても、研究対象がない。どうしたものかと」
ルーシェンは思い出すように語り始めた。
「それで、半年ほど前、王都で研究をしていた時のことです」
「王都、つまりムステル王国の首都ヴァレリアですが、そこに星詠と呼ばれる凄腕の占い師がいます」
「占い師?」
「ええ。彼女の占いは、ほぼ百パーセント当たると言われており、王族や貴族たちも、彼女に占ってもらいます。まあ彼女は気まぐれかつ、高位の空間魔法を使います。機嫌を損ねないよう貴族たちも、不可侵としていますのでなかなか占って貰えませんが」
ルーシェンは苦労しました、としみじみと話す。
俺は少し懐疑的になった。占いには嫌な思い出しかない。
「信じられませんか?」
ルーシェンは俺の表情を読み取って笑った。
「私も最初はそう思っていました。でも、実際に占ってもらうと、驚くほど的確でした。彼女はおそらく、運命神の加護を受けているのでしょう」
「運命神の……」
「ええ。彼女に占ってもらったところ、こう言われました。
『深き緑が、外の理を拒む場所にて。
空より落ちた余所の理は、まだ名も持たず眠るでしょう。
三十の隔たりを越えた先、
人の声が途切れ、知だけが息づく地。
そこに、灯はともります。
月が六たび満ち欠ける頃――
探し求めぬ答えが、あなたを見つけるでしょう』と」
そこでルーシェンはお茶を一口飲む。
「“深き緑”は、この森でしょう。神性や異界の干渉が弱まる区域です」
「“月が六たび満ち欠ける”は半年」
ルーシェンは、そこで言葉を切った。
「つまり――ここに半年後、あなたが現れる。それだけが、確定していました」
俺は驚いた。
「それで、あなたは……」
「ええ、すぐに王都を離れ、この森に来ました。そして、コテージを建て、研究所として整えました」
ルーシェンは誇らしげに言った。だが、その誇りは研究環境を整えたことへの誇りであって、人間的な温かみはない。
「畑も作りました。長期的な研究に集中するためには、自給自足できる環境が必要ですからね。そして、半年間、ずっとあなたを待っていたのです」
「俺を……」
「ええ。星詠の予言は、必ず当たります。ですから、あなたが現れることは確信していました」
ルーシェンは俺を見つめた。その目には、研究者の情熱が燃えている
「それで、あなたにお願いがあります」
俺は身構えた。
「あなたの闇の力を、研究させてください」
やはり、そう来たか。
俺は躊躇した。聞く限り闇の力は邪神由来の危険な力だ。もし、制御を失えば、誰かを傷つけてしまうかもしれない。何より存在が露見すれば粛清されてしまう。そして、この男に利用されるかもしれない。
だが、選択肢はあるのだろうか。
「ただし、誤解しないでください」
ルーシェンは丁寧な口調で続けた。
「私は、あなたを実験動物のように扱うつもりはありません」
嘘だ、と俺は思った。この男の目は、明らかに俺を実験材料として見ている。
「あなたは貴重な研究対象です。だからこそ、丁寧に扱わなければなりません」
やはり、研究対象なのだ。
「無理に実験を強要すれば、あなたのストレスが高まり、正確なデータが取れなくなります。ですから、あなたには自発的に協力していただく必要があります」
ルーシェンは真摯な目で俺を見つめた。だが、その真摯さは、より良い実験結果を得るための打算に基づいている。
「私が約束します。あなたの意志を尊重します。そして、研究を通じて、あなたが闇の力を制御できるように全力で手伝います」
制御できるようになること。それは、確かに俺にとって必要なことだ。
「闇の力は、確かに危険です。でも、それはあなたが制御できないからです。もし、完全に制御できるようになれば、あなたは自分の力を恐れる必要はなくなります」
「それに、あなたはこの世界に一人で放り出されました。知識も、この世界での身分も、何もない。生きていくためには、誰かの助けが必要でしょう?」
ルーシェンの言葉は正論だった。俺は異世界で完全に孤立している。この世界の常識も、生き方も分からない。
「私はあなたに住む場所を提供します。食事も、この世界で生きていくための知識も教えます。その代わり、あなたの力を研究させてください」
ルーシェンは手を差し出した。
「これは取引です。お互いにとって利益のある、公平な取引です」
公平、か。
俺にはそうは思えなかった。この男は、俺を貴重な実験動物として扱おうとしている。丁寧な言葉遣いも、礼儀正しい態度も、全ては良好な実験結果を得るための手段に過ぎない。
だが、選択肢は限られている。
右も左もわからないこの世界で、一人で生きていくことは不可能だ。そして、ルーシェンは少なくとも、俺を生かしておく理由がある。研究対象として。
それに、闇の力を制御できるようになることは、俺にとっても必要なことだ。このままでは、最悪暴走するかもしれない。
「分かりました」
俺は覚悟を決めて、ルーシェンの手を握った。
「ただし、条件があります」
「条件?」
ルーシェンは少し驚いた表情を見せた。おそらく、俺が従順に従うと思っていたのだろう。
「俺の力の制御を、本当に手伝ってください。それと……」
俺は真剣な目でルーシェンを見つめた。
「俺を人道的に扱うと、約束してください。実験動物ではなく、人間として」
ルーシェンは一瞬、目を細めた。その目の奥で、何かを計算しているのが分かった。
そして、微笑んだ。
「もちろんです。約束します」
その笑顔は、相変わらず目が笑っていなかった。
二人は握手を交わした。
俺は思った。この男を信用することはできない。だが、今は利用し合う関係を受け入れるしかない。
そして、いつか自分の力を完全に制御できるようになったら、その時は……。
まだ、その先のことは考えられなかった。
空間魔法
指定した空間に、侵入制限や効果の発動条件といった特定の制約を付与する魔法。
これを利用して、魔物が侵入できない結界を作り出すことも可能である。
また、術者が知覚でき、かつ魔力が届く範囲であれば、そこに存在する物に干渉することもできる。
基本的に効果は指定した空間にのみ及ぶが、高度な付与魔法によって杖などに空間魔法を施せば、空間そのものを術者と共に移動させることが可能となる。
さらに熟練し、座標や空間構造を正確に理解できるようになれば、空間移動――いわば瞬間移動も可能となるが、その習得難易度は恐ろしく高く、使い手はほぼ現存していないといわれている。




