第二十二話:マーキング
1.宿での一日
次の日、俺たちはほとんど宿で過ごすことにした。
「……この街、なんか変ですよね」
ファルマが小さく呟いた。
「ええ。……私もこの街でこんなに長く過ごしたことはなかったので、気づきませんでした」
ルーシェンも、珍しく表情を曇らせていた。
「通過点としてしか認識していなかったので……こういった街だとは知りませんでした」
俺は窓から街を見下ろした。
豊かで、平和で、秩序だった街。
だが、その裏に——何かが、確かにあった。
「そうそう、そういえば忘れてました」
ルーシェンが何かを取り出す。
「これはあなたが、マーキングを受け付けないことを、どうにかしようと作ったものです」
「これから先マーキングを受け付けないと色々困りますからね」
差し出されたそれは首元につける幅広のネックレスみたいなものだ。
「これは?」
「あなたの身体は闇の力で魔力を受け付けません。そこで代わりにマーキングを受けてくれるものです」
「いつの間にそんなものを……」
「いえ、研究所で既に完成してたのですが、渡すのを忘れていました。いやあ、思い出して良かったです」
忘れてたって……
「とりあえずそれを首に直接つけてください。誤魔化せるはずです」
「ただ万能ではありません。あくまで“人間として扱われる”ためのものです」
呆れながらも、ありがたく受け取る。これで明日からも大丈夫だな。
そのやりとりを見ていたファルマは、少し寂しそうだった。
「……夕方になったら、ファルマとの約束、果たしますか」
俺がそう言うと、ファルマの顔が明るくなった。
「……魚の煮付け、ですか?」
「ああ。宿の人に頼んで、庭で作らせてもらおう」
「……はい!」
ファルマの笑顔を見て、俺は少しだけ安心した。
(……せめて、ファルマの笑顔だけは守らないとな)
11.魚の煮付け
夕方、俺は宿の庭で七輪のようなものを借り、魚の煮付けを作り始めた。
「榊さん、料理できるんですね……」
「まあ、一人暮らしだったんでね。これくらいは」
魚を捌き、生姜と酒で煮込んでいく。
香ばしい匂いが庭に広がり、ファルマは目を輝かせていた。
「……いい匂いです……」
「もうちょっと待ってろ」
煮込み終わった魚を皿に盛ると、ファルマは嬉しそうにフォークを取った。
「いただきます……」
一口食べて——。
「……美味しい……!」
ファルマの顔が、満面の笑みになった。
「本当に、美味しいです……! 榊さん、ありがとうございます……!」
「そう喜んでもらえるなら、作った甲斐があったよ」
俺も笑って、自分の分を食べ始めた。
ルーシェンも静かにフォークを取り、一口食べて頷いた。
「やっぱり、美味しいですね」
「でしょ?」
三人は静かに食事を楽しんだ。
その時間だけは——街の違和感を忘れることができた。
12.乗合馬車乗り場へ
翌朝、俺たちは早めに宿を出て、乗合馬車乗り場へと向かった。
街はまだ朝の静けさに包まれていたが、既に倉庫街では労働者たちが動き始めている。規則正しい足音と、淡々とした指示の声。この街の「秩序」は、朝も変わらず機能していた。
「……早く出たいですね、この街」
ファルマが小さく呟いた。
俺も同感だった。この街に長居すればするほど、何かが心の中に染み込んでくるような気がした。
「ええ。今日は出発日ですし、早めに馬車に乗りましょう」
ルーシェンも珍しく足早に歩いている。彼もまた、この街の異様さに気づいていた。
乗合馬車乗り場に到着すると、既に何人かの乗客が待っていた。
商人風の男が二人、旅装束の若い女性が一人、そして——。
「……ん?」
俺の視線が、馬車の脇に座り込んでいる男に向いた。
高身長で、がっしりとした体格。肩には傷跡が見え、腰には長い槍が立てかけられている。男は槍を抱えたまま、目を閉じて静かに座っていた。
……強い。
俺は直感した。
この男から発せられる力は、アルヴァスよりも、いや——比較にならないほど強大だった。だが、それは威圧的なものではなく、静かに、ただそこに「在る」だけの力だった。
俺が警戒しながら視線を向けていると——。
男が目を開けた。
その瞬間、男の視線が俺を捉えた。
「お?」
男はゆっくりと立ち上がり、俺に向かって歩いてきた。
俺は反射的に身構えたが、男は——破顔一笑した。
「兄ちゃん、妙な気配してんな」
豪快な笑い声。
男は俺の前で立ち止まり、右手を差し出した。
「……安心しろ、俺は敵じゃねえ」
俺は少し警戒を緩め、その手を握り返した。
「……榊です」
「グレン・マッケイ。槍使いの戦士だ」
グレンの握手は力強かったが、嫌な感じはしなかった。むしろ、まっすぐで清々しい印象を受けた。
「そっちの嬢ちゃんたちも、フレズナール行きか?」
「ええ、そうですが……」
俺がそう答えると、グレンは豪快に笑った。
「なら道中、よろしく頼むぜ」
その時、ルーシェンがグレンの姿を見て、目を見開いた。
「……グレンさん?」
「ん? ……ああ!」
グレンはルーシェンを見て、さらに笑顔を深めた。
「ルーシェン先生じゃねえか! 久しぶりだな!」
「お久しぶりです。まさかここで会うとは」
ルーシェンも珍しく表情を緩めている。
「知り合いなんですか?」
俺が尋ねると、ルーシェンは頷いた。
「ええ。過去に何度か、研究のための探索に同行してもらったことがあります。彼は非常に優秀な戦士で……」
「やめてくれよ、照れるぜ」
グレンは豪快に笑いながら、槍を肩に担いだ。
「それより、兄ちゃんたちもフレズナールに用か?」
「ええ。その先のアルセイン翁の塔まで行く予定です」
「アルセイン翁? ……ああ、あの浮遊してる塔か。先生らしいな」
グレンはそう言って、少し真面目な顔になった。
「俺はフレズナールに用がある。街の知り合いから依頼があってな」
「依頼?」
「ああ。シエラディム山系に強大な魔物が出たらしい。放っとくと、いずれ街が一つ消える。だから行くだけだ」
グレンの口調は淡々としていたが、その目には静かな決意が宿っていた。
「……危険じゃないんですか?」
ファルマが心配そうに尋ねると、グレンは笑って頭を撫でた。
「大丈夫だ、嬢ちゃん。俺はそう簡単には死なねえよ」
その言葉に、俺は少しだけ安心した。
……この人なら、本当に大丈夫そうだな。
13.乗合馬車出発
やがて、馬車の準備が整い、乗客たちが乗り込み始めた。
馬車は大型で、十人ほどが座れる広さがあった。俺たちとグレン、そして商人風の男二人と若い女性が乗り込んだ。
「では、出発いたします」
御者が声をかけると、馬車がゆっくりと動き出した。
リノアの街並みが後ろへと流れていく。整然とした倉庫群、清潔な石畳、礼儀正しく働く人々。
だが、俺はもう振り返らなかった。
……もう、この街には来たくないな。
馬車が街の門を抜けると、騎士たちが立っていた。
「通行のための認証をいたします」
騎士の一人が馬車に近づき、俺たち一人一人に手をかざした。他の乗客には行かないところを見ると、既にマーキングを済ませているようだ。
俺の胸につけたネックレスに、微かな熱を感じた。騎士に違和感は持たれていない。
……これが、マーキングか。
騎士は全員を確認し終えると、静かに頷いた。
「問題ありません。お気をつけて」
馬車は再び動き出し、街道へと入っていった。
14.穀倉地帯への道
街を出てしばらくすると、景色が一変した。
見渡す限りの平原。
収穫を終えた稲田が黄金色から淡い土色へと変わり、その合間に若い緑の筋——冬麦が規則正しく走っている。
「……すごい……」
ファルマが馬車から外を見て、感嘆の声を上げた。
「見渡す限り、畑……」
「これが王国最大の穀倉地帯だ」
グレンが馬車の外を見ながら言った。
「ここの穀物が、王国全土を支えてる。だから、管理も厳重なんだ」
俺も窓から外を見た。
畑の端には、騎士の姿が見える。そして、その影には——何かが、動いていた。
(……あれは、召喚獣か?)
俺は目を凝らしたが、その姿はすぐに風景に溶け込んで見えなくなった。
「……気づいたか」
グレンが俺を見て、静かに言った。
「あれは擬態型の召喚獣だ。穀倉地帯を守るために配置されてる。近づくと、容赦なく襲ってくる」
「……擬態型?」
「ああ。稲穂や麦に完全に擬態する。音も匂いも消す。だから、どこにいるか分からない」
「昔、うっかり街道を外れた仲間がいてな……」
グレンの声には、警戒と後悔の色が滲んでいた。
「この街道以外を歩くってのは、つまり——そいつらの縄張りに勝手に入るってことだ」
俺は改めて窓の外を見た。
美しく整然とした畑。
だが、その裏には——見えない牙が、確かに潜んでいた。
15.馬車の中での会話
馬車が穀倉地帯を進む中、グレンは俺たちに色々と話しかけてきた。
「兄ちゃん、戦えるのか?」
「……まあ、一応は」
「一応? 謙遜すんなよ。お前からは、妙な力を感じる」
グレンはそう言って、少し真剣な顔になった。他の客がこちらに注意を向けてないことを確認し、顔を寄せ耳元で驚くべき言葉を小声で言った。
「……闇の力、か?」
俺は驚いた。
「……分かるんですか?」
「ああ。俺も色んな奴と戦ってきたからな。お前の力は……珍しい」
グレンはそう言って、再び笑顔を見せた。
「でも、悪い力じゃねえ。それは分かる」
俺は少しだけ安心した。
「……ありがとうございます」
「礼なんざ要らねえよ。ただ、忠告だけはしとく」
グレンは進行方向を見ながら言った。
「この先、シエラディム山系は危険だ。魔物が多いし、道も険しい。もし何かあったら、無理すんなよ」
「……はい」
「生きて帰れりゃ、それで十分だ」
グレンの言葉には、深い重みがあった。
俺は頷いた。
……この人、本当にいい人だな。
16.突然の停止
馬車が穀倉地帯を進んでいると——突然、馬車が止まった。
「どうしました?」
ルーシェンが御者に尋ねると、御者は少し緊張した声で答えた。
「騎士の検問です。マーキングの確認を行うとのことです」
乗客たちの表情が、一瞬だけ硬くなった。
やがて、騎士が馬車に近づいてきた。
「通行確認をいたします」
騎士は一人一人に手をかざし、マーキングを確認していった。
俺、ファルマ、ルーシェン、グレン——問題なし。
商人風の男二人——問題なし。
そして、若い女性に手をかざした時——。
騎士の表情が変わった。
「……少し、降りていただけますか」
「え……?」
女性の顔が青ざめた。
「い、いえ、私は何も……!」
「マーキングの更新日が一日過ぎています」
騎士の声は穏やかだったが、有無を言わさぬ重みがあった。
「降りてください」
女性は震えながら立ち上がり、馬車から降りた。
「待ってください! 一日だけです! たった一日……!」
「規則は規則です」
騎士は女性の腕を掴み、静かに連行していった。
女性の悲鳴が、遠ざかっていく。
馬車の中は——沈黙に包まれた。
誰も、何も言わなかった。
商人たちは視線を逸らし、ファルマは震えている。
俺は拳を握りしめたが——何もできなかった。
何も出来ない自分に、吐き気がするほど腹が立った。
「……出発します」
抑揚のない御者の声が響き、馬車は再び動き出した。
17.グレンの言葉
しばらくの沈黙の後、グレンが静かに口を開いた。
「……慣れるな」
「え?」
俺が顔を上げると、グレンは馬車の外を見ながら言った。
「この”当たり前”に、慣れるな」
グレンの声は、静かだったが、強い意志が込められていた。
「人が人を、こんな風に扱う世界。それを”仕方ない”と思うな」
その言葉は、どの神の教えよりも、真っ直ぐだった。
「……はい」
「お前は特殊な力を持ってる。なら、お前にしか見えないものがある」
グレンは俺を見て、静かに笑った。
「その目を、失うなよ」
俺は胸に熱いものが込み上げるのを感じた。
「……ありがとうございます、グレンさん」
「礼なんざ要らねえよ」
グレンは再び豪快に笑い、槍を抱え直した。
「さて、もうすぐフレズナールだ。ここでお別れだが——お前たちも、気をつけろよ」
「はい。グレンさんも」
「ああ」
グレンは遠目に見えるフレズナールの街を見ながら、静かに呟いた。
「生きて、会おうぜ」
穀倉地帯を支える召喚獣(非戦闘)
耕作・土壌管理
・地鋤牛:地中を進みながら耕す巨大獣
・柔土蟲:土壌を柔らかく保つミミズ型
・均畝走鼠:畝を整える小型群体
播種・成長補助
・播種風霊:均等に種を散布。小さな鳥型
・育成苔精:根の成長を促進。地面を走り回る土の小人
収穫・運搬
・刈走馬:高速で刈り取りを行う
・穀運蟻:大量輸送に特化した群体獣
・圧穂亀:穂を傷めず圧縮梱包
保管・管理
・湿度鴉:倉庫の湿度を調整
・害虫喰蜥:穀物害虫専門捕食
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穀倉地帯を守る擬態型召喚獣(戦闘可・隠密特化)
・稲影豹
稲穂に完全擬態、音も匂いも消す待ち伏せ型
・麦偽人
麦穂でできた案山子に見えるが近づくと襲う擬態種
・穂群狼
群れ全体が風景に溶け込む連携捕食者
・土眠守
畑そのものに見える擬態型防衛獣。生き埋めにして肥料に変えてしまう




