第二十一話:秩序の街
1.サクラモント出港
朝靄がまだ薄く残る船着き場に、俺たち一行は集まっていた。
「よう、来たか」
既に待ち構えていたのは、昨夜別れたばかりのボスと幹部たちだった。朝日を背に立つ彼らの姿は、静かな威厳を纏っていた。
「お前たちなら、いつでも歓迎だ。また気が向いたら、顔を出してくれ」
ボスの言葉に、俺は軽く頭を下げた。
「お世話になりました。また機会があれば、ぜひ」
視線を船着き場に向けると、そこには約束通りの船が係留されていた。
大きさは中型漁船程度だが、船体には精緻な装飾が施されている。船首には何かの聖獣を模した彫刻、舷側には波紋のような模様が流れるように刻まれていた。ただの移動手段ではなく、明らかに「見せる」ための船だった。
「……本当に用意してくれたんですね」
「約束は守る。それがこの街の流儀だ」
ボスは短く笑うと、手を振って見送りの合図をした。
「じゃあな。死ぬなよ」
「はい。ありがとうございます」
俺たちが船に乗り込むと、船尾に控えていた船頭が静かに立ち上がった。
年の頃は五十過ぎ。痩せた体躯に深い皺が刻まれた顔には、長年湖上で過ごしてきた者特有の静けさがあった。
「では、出港いたします」
船頭が手をかざすと、船の前方に繋がれていた召喚獣たちが一斉に身を起こした。
それは俺たちがサクラモントに入った時にも見た——滑らかな青灰色の体表を持つ、イルカに似た召喚獣——《河導》。全部で六頭が犬ぞりのように繋がれ、規則正しく並んでいた。
「河導は泳ぎが速く、力も強い。長距離の船旅には最適な召喚獣です」
船頭の説明と共に、河導たちが一斉に泳ぎ始めた。
ゆっくりと動き出す船。
揺れは驚くほど少なく、まるで湖面を滑るように進んでいく。
「わあ……すごい……」
ファルマが船縁に身を乗り出し、小さく感嘆の声を上げた。
「ほとんど揺れませんね……それに速いです……」
船頭が静かに答える。
「時速にして30から40キロほどですな。通常の船の1.5倍ほどの速度が出ます」
湖面を切り裂きながら進む船。風が心地よく、朝日が水面を金色に染めていた。
俺も船縁に立ち、流れていく景色を眺めていた。岸辺には小さな集落が点在し、漁師たちが網を手入れしている姿が見える。遠くには低い山並みが連なり、その向こうには雲がゆっくりと流れていた。
「……いい景色ですね」
思わず呟いた俺の言葉に、ルーシェンが隣に立ちながら応じた。
「あなたは既に飛竜で空を飛んだでしょう? 同じどころか、もっと壮大な景色を見たはずですが」
「いえ、違うんですよ」
俺は視線を湖面に落としたまま答えた。
「空もすごかったです。それは認めます。でも、水と空じゃ感じ方が違うんです」
「……ほう」
「空は”上から見る”感覚ですけど、水は”流れに乗る”感覚なんですよね。自分が動いてるっていうより、世界が動いてる感じがします」
ルーシェンは少し考え込むように視線を遠くへ向けた。
「なるほど。……感覚的な話ですが、理解はできます」
ファルマも船縁に肘をついて、控えめに笑った。
「榊さん……たまに、いいこと言いますね……」
「そうか?」
軽口を叩き合いながら、船は順調に進んでいった。
2.ダホ湖へ
約一時間ほど進むと、湖の様相が少しずつ変わり始めた。
水の色が深くなり、透明度が増していく。岸辺の集落も疎らになり、代わりに広大な平野が視界を占めるようになった。
「ここからがダホ湖です」
船頭が静かに告げた。
「サクラモントまでは支流域。ここからが本湖になります」
確かに、湖の規模が一気に広がった。
見渡す限りの水面。風が少し強くなり、波が規則正しく船体を撫でていく。
俺は何気なく湖面を覗き込んだ。
透明度の高い水の中を、魚の群れが泳いでいる。銀色の鱗が日光を反射して、まるで流れ星のように見えた。
「……ん?」
その時、俺の視界に何かが映った。
魚の群れの向こう——湖底に、何か人工的な構造物が沈んでいるのが見えた。
「あれ……建物ですか?」
俺の呟きに、ファルマとルーシェンも身を乗り出して湖底を覗き込んだ。
確かに、そこには何かの建造物らしき影があった。崩れかけた石造りの壁、柱のようなもの。規則正しく並んだ構造は、明らかに自然物ではない。
「船頭さん、あれは何ですか……?」
ファルマが尋ねると、船頭はちらりと湖底を一瞥して、淡々と答えた。
「昔からある遺跡ですな。いつの時代のものか、誰が建てたのか、記録も伝承も残っておりません」
「遺跡……」
「ええ。ダホ湖には、あのような沈んだ建物がいくつもあります。引き上げようとした者もいましたが、いずれも途中で断念しています。水深が深すぎるのです」
「どれくらいの深さなんですか?」
俺の問いに、船頭は静かに答えた。
「100メートルは優に超えているでしょう。人の手が届く場所ではありません」
俺は湖底の遺跡をじっと見つめた。
その時——。
(……これは)
俺の胸に、何か懐かしいような、痛いような感覚が走った。
それは闇の力に似ているが、もっと深く、もっと静かな波動だった。まるで誰かが、ずっと昔から俺を待っているような——。
「……ルーシェンさん」
「はい?」
「あの遺跡から、何か力を感じます。……懐かしい、ような」
ルーシェンの表情が一瞬で変わった。
「……本当ですか?」
「はい。……多分、俺の力に近いものです」
ルーシェンは即座に湖底を凝視し、魔力を展開して探査を試みた。
しばらくの沈黙。
「……確かに、何かはあります。ですが、水深が深すぎる。今の私の魔法では、あそこまで行くのは難しいですね」
「そうですか……」
俺は少し残念そうに視線を落としたが、すぐに顔を上げた。
「でも、行きたいですよね?」
「……ええ」
ルーシェンの目が、珍しく興奮の色を帯びていた。
「私も、あなたも、です。なら、いずれ行く方法を考えましょう。約束です」
「はい。……ところで、水深が深いって話ですけど」
俺は少し考え込むように言葉を選んだ。
「水圧って、ご存知ですか?」
「……水圧?」
ルーシェンの目がさらに輝いた。
「詳しく教えてください!」
俺は少し困ったように頭を掻いた。
「えっと、水の中って深くなればなるほど、上から押される力が強くなるんです。だから深い場所に行くと、体が潰されちゃうんですよね」
「……上から押される?」
「はい。水自体に重さがあるので、その重さが積み重なって……」
「待ってください。水に重さ? 当然ですが、それが”積み重なる”とは?」
「え、えっと……」
俺が説明を続けようとした瞬間、ルーシェンの質問攻めが始まった。
「水の重さはどう計測するのですか?」
「どのくらいの深さで、どの程度の圧力になるのですか?」
「その圧力に耐えるには、どのような防護が必要ですか?」
「圧力は均等ですか? それとも方向性がありますか?」
「魔力で圧力を相殺することは理論上可能ですか?」
矢継ぎ早に飛んでくる質問に、俺は完全に防戦一方になった。
「ちょ、ちょっと待ってください! 俺、そんな詳しくないんで!」
「では知っている範囲で結構です。すべて教えてください」
「いや、だから……!」
ファルマが小さく笑いながら、俺の袖を引いた。
「榊さん……頑張ってください……」
「お前も助けろよ!?」
結局、リノアの港に到着するまで、俺はルーシェンの質問攻めに遭い続けることになった。
3.リノア到着
夕刻、船はリノアの港に到着した。
港は広大で、無数の船が整然と並んでいた。倉庫群が整然と並び、その一つ一つに番号が振られている。
「……すごい規模ですね」
俺が呟くと、ルーシェンが静かに頷いた。
「リノアは王国最大の穀倉地帯であり物流都市です。ここから穀物が全土へ運ばれます」
船を降りると、街の空気が肌に触れた。
清潔で、整っていて、活気がある。
だが——。
「……なんか、変な感じだな」
俺が小さく呟いた。
その言葉に、ファルマも小さく頷いた。
「……そうですね。なんだか……息苦しいような……」
ルーシェンは特に反応を見せなかったが、俺の違和感は消えなかった。
(なんだろう、この感じ……)
街は確かに豊かで、平和そうに見える。
だが、その平和さが——どこか、不自然だった。
「とりあえず、フレズナールへ向かうための乗合馬車の乗り場に行きましょうか」
ルーシェンの提案に、一行は街の中へと進んでいった。
石畳は綺麗に整備され、ゴミ一つ落ちていない。
人々は礼儀正しく、道を譲り合っている。
子どもの声は——聞こえなかった。
「……綺麗すぎるんだ。傷のない包帯みたいに」
4.乗合馬車乗り場にて
乗り場に到着すると、受付の男性が丁寧に対応してくれた。
「フレズナール行きですね。次の便は……三日後になります」
「三日後?」
俺が少し驚いた声を出すと、男性は穏やかに頷いた。
「はい。街道の管理上、便数は限られております。ご了承ください」
「……なら、歩いて行きます」
俺がそう言った瞬間、ルーシェンが俺の腕を掴んだ。
「待ってください」
「え?」
「この街では、街道を出る際に徒歩で行くことは禁忌とされています」
「……は?」
俺は思わず聞き返した。
「禁忌って……なんでですか?」
「穀倉地帯の管理規則です。許可なく街道を歩く者は、不審者として扱われます」
受付の男性も、静かに頷いた。
「その通りです。街道は厳重に管理されております。違反者は……処罰の対象となります」
「処罰って……」
俺の背筋に、冷たいものが走った。
「……わかりました。三日後の便で行きます」
「ありがとうございます。では、宿の手配もいたしましょうか?」
「いえ、自分たちで探します」
俺は早々に乗り場を後にした。
5.宿と街の観光
宿は港に近い場所に取った。
清潔で、料金も手頃だった。部屋に荷物を置くと、俺は窓から街を見下ろした。
「……三日、か」
「せっかくですし……街を見て回りましょう」
ファルマの提案に、俺たちは街へと繰り出した。
街の中心には大きな広場があり、その中央には巨大な神殿が建っていた。
白い石造りの神殿は、荘厳で美しく、多くの人々が祈りを捧げていた。
「あれは……光の秩序神の神殿ですね」
ファルマが小さく呟いた。
神殿の前では、老齢の神官が説教をしていた。
「恐怖があるから秩序は保たれるのではありません」
神官の声は穏やかで、優しかった。
「秩序があるから、恐怖は不要なのです。神の光に従えば、すべては正しく導かれます」
人々は静かに頷いている。
俺はその光景を見ながら、胸に違和感を覚えた。
(……違う)
何が違うのか、言葉にはできない。
だが、確かに——何かが、違った。
6.商店街にて
商店街は活気があり、多くの店が並んでいた。
食料品店に立ち寄ると、その値段に俺は驚いた。
「……安いですね」
パンが一つ、銅貨一枚。
魚が一匹、銅貨二枚。
野菜は銅貨一枚で山盛り買える。
「穀倉地帯のおかげです。食料は常に潤沢にあります」
店主は誇らしげに語った。
俺たちが店を出ようとした時、隣の店で何かが起きた。
騎士が一人の商人に声をかけている。
「少しお話があります」
「……はい」
商人は穏やかに頷き、騎士に従って店を出た。
周囲の人々は——誰も騎士を見ていなかった。
視線を逸らし、何事もなかったかのように買い物を続けている。
「……なんだったんでしょう」
ファルマが小さく呟いた。
俺は何も答えられなかった。
7.宿での夜
宿に戻ると、宿の子どもが俺たちに話しかけてきた。
「お兄ちゃんたち、旅の人?」
「ああ、そうだよ」
俺が優しく答えると、子どもは無邪気に笑った。
「フレズナールに行くの?」
「そうだけど……どうして知ってるんだ?」
「だって、ここに泊まる旅人はみんなフレズナールに行くんだもん」
子どもはそう言って、少し声を潜めた。
「でもね、穀倉地帯には勝手に入っちゃダメだよ」
「……どうして?」
「勝手に入ったらね、土になるんだよ」
俺の背筋が凍った。
「……土に?」
「うん。でもそれで麦が育つから、いいことだよね」
子どもは屈託なく笑っている。
その時、宿の女将が慌てて駆け寄ってきた。
「すみません! 変なこと言って!」
「それよりリノアでは小麦の料理がとても美味しいんです!どうですか?」
女将は子どもを引っ張り、話題を変えようと必死だった。
その笑顔は——硬かった。
8.夜の音
その夜、俺は眠れずにいた。
窓を開けると、遠くから微かに音が聞こえた。
ゴリ、ゴリ、と——何かを攪拌するような音。
そして、微かに魔力の残滓を感じた。
「……何だ、あれは」
俺は窓から街を見下ろしたが、何も見えなかった。
ルーシェンもファルマも寝息も立てず寝ている。
ただ、音だけが——静かに、街に響いていた。
9.翌朝
翌朝、俺たちは再び街を歩いた。
昨日、騎士に連行された商人の店に立ち寄ると——。
「いらっしゃいませ」
別の商人が、何事もなかったかのように店に立っていた。
「……あの、昨日の方は?」
俺が尋ねると、商人は首を傾げた。
「昨日? 私はずっとここにいますが」
「いや、でも……」
「何か、お困りですか?」
商人の笑顔は——完璧だった。
俺は何も言えず、店を後にするしかなかった。
リノアの街
ダホ湖沿岸に沿って広がる湖畔型物流都市。王国最大の穀倉地帯(約5万ヘクタール)の玄関口。穀物流通は完全な国営事業で、マフィアですら手出しできない「国家の生命線」リノア常住人口は約12万人。
内訳
•倉庫・物流関連労働者:約4万5千人
•騎士団関係者(家族含む):約2万5千人
•商人・加工業者・帳簿係・監査官:約2万人
•召喚術・魔法関連技術者:約1万人
•その他(宿屋、医師、職人、飲食、雑務):約2万人




