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第二話:研究所

1. 森の道


「さあ、行きましょうか」

ルーシェンは軽やかな足取りで森の奥へと歩き出した。俺はその後を追いながら、周囲の様子を警戒する。先ほどの異形の怪物との戦いがまだ脳裏に焼き付いていた。

森は深く、木々が生い茂っている。地面には枯れ葉が積もり、足を踏み入れるたびにカサカサと音を立てる。木漏れ日が差し込む場所もあれば、まるで夜のように暗い場所もある。

「ルーシェンさん、この森は危険な生物が多いんですか?」

俺が尋ねると、ルーシェンは振り返らずに答えた。

「ええ、それなりには。土ゴブリンや土コボルトといった魔物が生息していますからね」

その声音は淡々としていて、まるで実験レポートを読み上げるような調子だった。しかし土?先ほどのゴブリンもかぎ爪が付いていたし、自分がゲームなどで知るゴブリンとは少し違うようだ。

「ただ、心配には及びませんよ。これらの雑魚魔物は、私一人で十分に対処できますから」

雑魚魔物、か。確かに先ほどの異形の怪物も、ルーシェンにとっては取るに足らない相手だったのかもしれない。だが、その言い方には妙な違和感があった。まるで、実験の邪魔をする虫を払うような、そんな感覚が滲んでいる。

二人が森の小道を進んで十分ほど経った頃、茂みの中から何かが飛び出してきた。

「ゲゲゲゲッ!」

甲高い叫び声とともに現れたのは、少し前に自分を追い詰めた緑色の肌をし、両手がかぎ爪の小柄な人型の生物だ。鋭い牙を剥き出しにして、俺たちに襲いかかってくる。

「土ゴブリンですね」

ルーシェンは立ち止まることなく、いつの間にか取り出していた杖を軽く振った。すると、その杖の先から赤い光が生まれ、一瞬で矢の形を成した。

「炎矢」

淡々とした声で呪文を唱えると、炎の矢が放たれた。それはゴブリンの胸を貫き、断末魔の悲鳴を上げて地面に倒れ込んだ。そして、数秒のうちに炎に包まれて最後には土塊となった。

俺は呆気にとられた。ルーシェンは歩みを止めることもなく、まるで邪魔な虫を払うかのような仕草で魔法を放ったのだ。そこには戦闘の緊張感も、生命を奪った重みも感じられない。

ただ、実験の障害を取り除いただけ。

そんな印象だった。

「今のが魔法……」

「ええ、炎の魔法です。基本中の基本ですよ」

ルーシェンは肩越しに振り返って微笑んだ。その笑顔は丁寧で柔らかいものだったが、どこか目が笑っていない。まるで、興味深い実験結果を眺めるような、そんな冷たさが瞳の奥に潜んでいる気がした。

「この世界の魔法は、自然の力を借りて行使します。私が使うのは自然魔法と呼ばれるもので、土、水、風、炎の四元素を操ります」

「四元素……」

俺は頷いた。ゲームや小説で聞いたことのある概念だ。だが、実際に目の前で使われると、その威力と現実感に圧倒される。

そして同時に思う。この男は、俺をどう見ているのだろうか。

「もっとも、元素から力を借りるといっても、おとぎ話の精霊のような存在がいるわけではありません。少なくとも、この世界では精霊の存在は確認されていませんから」

説明しながら、ルーシェンは再び前を向いて歩き続けた。俺もその後に続く。

それから三十分ほど歩いただろうか。再び茂みが揺れ、今度は三体のゴブリンが一斉に飛び出してきた。

「ガアアアッ!」「ギギギッ!」「グルルルッ!」

三方向から襲いかかってくる。俺は思わず後ずさりしたが、ルーシェンは相変わらず冷静だった。

「少し多いですね。まあ、問題ありませんが」

そう言いながら、ルーシェンは杖を前に突き出した。

「炎矢・三連」

同時に三本の炎の矢が生成され、それぞれが異なるゴブリンに向かって飛んでいった。三体とも同時に胸を貫かれ、炎に包まれて倒れそのまま土塊になって崩れる。そういえばファンタジーでおなじみの魔石みたいなのはないのだろうか。

しかしルーシェンは崩れた土塊に一瞥もせず、歩みを止めることすらなかった。

俺は背筋に冷たいものを感じた。確かに、強い。圧倒的に強い。だが、その強さの裏にある冷徹さが、魔石などの疑問よりどうしても気になってしまう。

この男は、俺を人間として見ているのだろうか。

それとも、貴重な実験材料として見ているのだろうか。

「榊さん?どうかしましたか?」

ルーシェンが振り返った。その表情は親切そうに見えるが、やはり目の奥には何か冷たいものがある。

「いえ、何でも」

俺は首を振った。今は、この男に頼るしかない。疑念を抱いても、選択肢はないのだ。

その後も、森を進む間に何度かゴブリンに遭遇した。多い時には五体が同時に襲ってきたが、ルーシェンは全て片手間に炎の矢で倒してしまった。

まるで散歩の途中で邪魔な小石を蹴飛ばすかのような自然さだった。

全く隙がない。

そして、そこに人間らしい感情が見えないことが、俺をますます警戒させた。


2. ルーシェンの研究所


それから約一時間ほど森を歩き続けた。俺の足は疲労で重くなっていたが、ルーシェンは全く疲れた様子を見せない。

やがて、森が開けた場所に出た。そこには、思いがけず牧歌的な光景が広がっていた。

石造りの小さなコテージが一軒、緑の草原の中に建っている。コテージの周りには整然と区画された畑があり、野菜や薬草のようなものが植えられている。さらに、その外周を取り囲むように、淡い青白い光の膜のようなものが張り巡らされていた。

「あれが私の研究所です」

ルーシェンは誇らしげに言った。

「どうです?研究に最適な環境でしょう?」

俺は頷いた。確かに、この場所は静かで美しい。だが、同時にどこか隔離された印象もある。外界から切り離された、閉鎖的な空間。

実験室として、完璧な環境だ。

「あの光の膜は?」

「結界ですよ。空間魔法の一種です。これがあれば、魔物は中に入ってこられません。また、内部の魔力の流出も防いでくれます」

「空間魔法……」

「ええ、私は自然魔法が専門ですが、結界を張るための空間魔法だけは習得しました。実験環境を守るために必要ですからね」

実験環境、か。やはり、この男にとってここは研究施設なのだ。そして、これから俺もその一部になる。

二人は結界に近づいた。ルーシェンが手をかざすと、結界の一部が扉のように開いた。

「さあ、どうぞ」

俺はルーシェンに続いて結界の中に入った。結界を通過する瞬間、微かな痺れのような感覚があったが、すぐに消えた。

コテージに近づくと、その造りの丁寧さに俺は少し驚いた。石壁は綺麗に積まれており、窓には硝子がはめ込まれている。屋根は焼いた赤い瓦で葺かれている。ドアは木製だが、精巧な彫刻が施されている。

「中へどうぞ」

ルーシェンがドアを開けた。俺は中に入って、再び驚いた。

内部は予想以上に広く、そして異様なほど整理されていた。入ってすぐの場所は居間のようになっており、木製の椅子とテーブルが置かれている。奥には小さな台所があり、その隣には本棚が壁一面に並んでいる。本棚には無数の書物が整然と並べられている。

魔法使いの住処と聞いて、俺は混沌とした魔法道具や薬品の瓶が散乱しているような光景を想像していた。だが、実際には驚くほど整理整頓されており、まるで研究機関のラボのような清潔感がある。

人間臭さがない。

生活感がない。

ただ、効率的に研究を行うためだけの空間。

「意外ですか?」

ルーシェンが俺の表情を読み取って笑った。

「魔法使いの研究所というと、多くの人が雑多で怪しげな場所を想像されるんですよね。でも、乱雑な環境では、正確な実験はできませんから」

実験、という言葉を、この男は自然に使う。

俺は警戒心を強めた。

「まずは座ってください。お茶を淹れますから」

「ありがとうございます」

俺はソファに腰を下ろし、改めて部屋を見回した。本棚の本には、様々な言語で書かれたタイトルが見える。ただ、不思議なことに、俺にはその文字が読めた。いや、正確には、見た瞬間に意味が頭に流れ込んでくる感覚だった。

「あの、この世界の文字が読めるんですが……」

「ああ、それはおそらく召喚の効果ですね」

ルーシェンが振り返って答えた。

「過去の文献で読みましたが異世界から召喚された者には、自動的にこの世界の言語、読解能力が付与されると言われています。文字も話し言葉も、全て理解できるようになります。召喚魔法の基本的な効果の一つのようですね。便利で良いことです」

その説明も、やはり実験レポートのような口調だった。言葉を教える手間が省けたという感情以外が欠落している。

やがて、ルーシェンがお茶を持ってきた。陶器のカップに注がれた淡い緑色の液体からは、爽やかな香りが立ち上る。

「森で採れるハーブのお茶です。疲労回復に効果がありますよ」

俺は一口飲んだ。ほのかな甘みと爽やかさが口の中に広がり、確かに疲れが和らぐような気がした。

もっとも、毒でも入っていないか、という疑念が頭をかすめないわけではない。

だが、今の俺にそれを確かめる術はない。

「それでは、約束通り、この世界のことをお話ししましょう」

ルーシェンも自分のカップを手に取り、ソファに座った。

その目は、興味深い実験対象を観察する研究者のそれだった。


自然魔法

地、水、風、火――四つの元素に魔力で干渉し、様々な効果を生み出す魔法。

土魔法による錬金から、風魔法による飛行、火魔法の攻撃に至るまで、その応用範囲は極めて広い。

使いこなすには相応の才能と血のにじむ努力が必要であり、多くの魔法使いは一つの属性に特化するか、あるいは広く浅く習得する道を選ぶ。

その中でもルーシェンは、すべての属性を高レベルで修めた稀有な麒麟児である。


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