幕間:ファルマの回想4
ここからかなりの鬱展開になります。読むときは注意してください。
1.ブライアンの覚悟
街外れへと続く街道に出た瞬間、空気が変わった。
前方――
三十を超える騎士たちが、既に陣を敷いて待ち構えていた。
「……くそっ」
ガレスが歯噛みする。
背後からは、確実に追っ手が迫っている。
このままでは、前後から挟み撃ちだ。
飛竜で逃げようにも、弓を持った騎士も複数いる。
飛び上がる前に撃ち落とされてしまう。
誰もが一瞬、判断を失ったその時だった。
「――時間は、俺が作る」
低く、しかしはっきりとした声。
振り向くと、ブライアンが立っていた。
いつもと同じ、無骨で寡黙な顔。
だがその目だけが、静かな覚悟を宿している。
彼は歩み寄り、ファルマの前に膝をついた。
ごつごつとした手が、そっと彼女の頭に置かれる。
不器用だが、驚くほど優しい手だった。
「……いい子だ」
それだけ言って、彼は立ち上がる。
「ブ、ブライアン!?」
「待て、何を――」
ガレスやアーロンが声を上げるが、彼は振り返らない。
「俺が突っ込む。
騎士どもが混乱している隙に、飛竜で行け」
「そんなの……!」
ファルマが叫びかけた、その瞬間。
ブライアンは大きく息を吸い、天を仰いだ。
「――武神よ!」
その声は、街道に響き渡る。
「この身に刻まれた勇気を認めたまえ!
我が命、我が血、我が魂――
すべてを捧げ、今ここに力を!」
狂戦士化。
武神に仕える者のみに許された、神官最大の禁忌。
力と引き換えに、命を差し出す魔法。
光が、ブライアンの身体を包み込む。
骨が軋み、筋肉が膨張し、血管が浮き上がる。
理性は削られ、怒りと闘争本能だけが残っていく。
「……あ、あれは……」
「狂戦士化だ……!」
騎士たちの間に、明確な動揺が走った。
知っている者ほど、恐怖する。
あれと正面から戦って、生き残った者はいない。
次の瞬間――
ブライアンは、獣のような咆哮を上げて突進した。
盾が吹き飛び、槍が折れ、人が宙を舞う。
剣を振るうたび、血が飛び散る。
騎士たちはもはや隊列を保てない。
目の前の“怪物”に対処することで、精一杯だった。
「今だ!」
ガレスの叫びと同時に、アーロンが召喚した飛竜が翼を広げる。
ファルマは振り返った。
――まだ、ブライアンが戦っている。
その視線を、彼は横目で捉えた。
狂戦士化により、意識はほぼ持っていかれている。
だが、その一瞬だけ――
彼の脳裏に、遠い過去の光景が蘇った。
小さな家。
笑顔の妻。
自分の足にしがみつく、幼い娘。
神官として、父として、
当たり前の幸福の中にいた日々。
――だが、ある日。
留守にしていた家は、荒らされ。
妻と娘は、盗賊に殺されていた。
復讐は果たした。
だが、それで心が満たされることはなかった。
生きる意味を失い、
死に場所を求めて、彷徨い続けた。
そんな彼の前に現れたのが――
黄金の剣と、ファルマだった。
薬を調合する小さな手。
無邪気に笑う顔。
あの子は、娘に似ていた。
気づけば、守りたいと思っていた。
理由など、もうどうでもよかった。
――死に損ないの俺が。
――もう一度、娘を守れるのなら。
それ以上の、救いはない。
ブライアンは、吼え、戦い続けた。
槍が刺さり、
矢が身体を貫き、
ついには片腕すら、切り落とされた。
それでも、倒れなかった。
そして――
すべてが終わった時。
彼は、立ったまま、息絶えていた。
全身を無数の武器に貫かれながら。
血に塗れながら。
その顔には――
まるで、長い旅路を終えたかのような、
穏やかな微笑みが浮かんでいた。
2. 飛竜での逃走とファルマの悲嘆
飛竜の背で、ファルマは声を上げて泣いた。
風が強く、涙はすぐに攫われていく。
それでも、嗚咽だけは止まらなかった。
「……ブライアン……」
前方で、アーロンは歯を食いしばっていた。
いつもの軽口は、どこにもない。
ただ、飛竜を操りながら、
涙を流していた。
(……すまない、ブライアン)
(俺が、もっと早く飛べれば)
名前を呼ぶたび、胸の奥が引き裂かれる。
さっきまで、頭を撫でてくれていた手。
「いい子だ」と言ってくれた声。
それがもう、この世界のどこにもない。
ファルマは身体を丸め、震えながら泣き続けた。
飛竜の鱗に爪が食い込むほど、必死に何かに縋って。
その小さな背を、後ろから包む腕があった。
エリカだった。
何も言わず、ただ抱き寄せる。
自分の喉にも、熱いものがこみ上げているのを感じながら、それを飲み込む。
「……大丈夫」
自分に言い聞かせるように、低く囁く。
「今は、泣いていい。全部、吐き出して」
ファルマの肩が、さらに大きく震えた。
少し前で、ガレスはただ拳を握りしめていた。
強く、強く。
爪が食い込み、血が滲んでも気づかない。
言葉が、何一つ出てこなかった。
――守られた。
ブライアンに。
その命を代償に。
その重さが、今になって骨の奥まで沈み込んでくる。
だが、空は待ってくれない。
後方――
同じく空を裂く羽音。
「……来た!」
アーロンの声に、全員が顔を上げる。
追っ手だ。
しかも、飛竜。
「ちっ……しつこすぎる!」
アーロンは歯を食いしばり、魔力を絞り出す。
飛竜が唸り、急旋回する。
岩肌すれすれを抜け、雲の中へ潜り、谷間へと落ち込む。
何度も、何度も。
「右、来る!」
「高度下げて! 霧に入れる!」
エリカの判断と、アーロンの操縦が噛み合い、
追っ手は少しずつ距離を失っていく。
だが――
「……く、そ……」
アーロンの声が、かすれた。
一昼夜、ほとんど休まず飛び続けた。
限界は、とっくに超えている。
ようやく追っ手の姿が見えなくなった頃、
飛竜は山深い森の中へ降り立った。
「……ここで、休む」
全員が飛竜から降りると、
簡易的なカモフラージュを施し、息を潜める。
緊張が解けた瞬間だった。
ファルマは、その場に崩れ落ち、
そのまま眠ってしまった。
泣き疲れて、力尽きるように。
彼女の寝顔を見下ろし、三人は無言で立ち尽くす。
「……必ず」
最初に口を開いたのは、ガレスだった。
「必ず、エドワードの元まで届ける」
「ブライアンの命を、無駄にしない」
エリカは、静かに頷いた。
アーロンも、強く歯を噛みしめる。
「誓うさ。絶対に」
3.エリカの覚悟
休憩を終え、身体が少しだけ回復した頃。
三日目の朝だった。
食料も少なくなり、
追っ手の気配も薄れてきた。
「……行こう」
そう言って立ち上がった、その瞬間だった。
――殺気。
「伏せろ!」
黒装束の男たちが、森の影から一斉に躍り出た。
完全に、狙われていた。
気が緩む、その瞬間を。
剣が交わり、血が飛ぶ。
数は多いが、何とか押し返す。
だが――
「エリカ!」
ガレスの叫び。
エリカの身体が、深々と貫かれていた。
「……あ、は……」
血が溢れ、膝が崩れる。
「だめ……待って……!」
ファルマが駆け寄り、必死に鞄を漁る。
だが――
ない。
この傷を治せる薬は、どこにも。
回復魔法が使えるブライアンもいない。
エリカは、ファルマの頭を撫でた。
「……ごめんね」
その声は、驚くほど穏やかだった。
遠くから、また気配が迫る。
追っ手が、態勢を立て直して来ている。
エリカは、懐から小さな丸薬を取り出した。
ガレスが、全てを察する。
「……やめろ」
エリカは、微笑んだ。
そして――
ガレスの胸元を掴み、唇を重ねる。
短く、でも確かに。
「……この子、お願い」
「――エリカ!」
泣き叫ぶファルマを、ガレスは抱き締めた。
抱え上げ、アーロンの元へ走る。
「行って!!」
背後で、エリカの声が響いた。
一人、立つ。
追っ手の気配が迫る。
(……楽しかったな)
薬房で笑った日々。
ファルマの無邪気な声。
ガレスの不器用な優しさ。
そして――
お腹に、そっと手を当てる。
(ごめんね)
あなたに会いたかった。
ガレスと三人で、
笑い合いたかった。
でも――
(私が止めなきゃ、ファルマちゃんが死ぬ)
指先に、まだ温もりが残っている。
さっき、頭を撫でた時の感触。
あの子は、妹みたいだった。
いや――
もしこの子が生まれていたら、
きっと、あんな子になっただろう。
(だから、せめて)
エリカは、丸薬を握りしめた。
(あの子だけは、生かす)
追っ手が、丸薬に気づき、青ざめる。
「――止めろ!!」
エリカは、目を閉じた。
――光。
――轟音。
山が、揺れた。
空へ舞い上がる衝撃の中、
飛竜は飛び立つ。
爆発を、確かに確認して。
そして――
ファルマの、
獣のような泣き声だけが、山に響き続けていた。
「やだ……やだやだやだ……!」
言葉にならない叫び。
「エリカさん……! ブライアンさん……!
兄さん……!!」
失ったものの名を、
一つ一つ呼ぶたびに、
声が裂けていく。
ガレスは、
彼女を抱き締めたまま、
何も言えなかった。
言葉では、
もう何も救えない。
アーロンも、
ただ飛竜を飛ばし続けるだけだった。
目的地は、王都。
でも――
そこに着く頃、
この子の心は、
まだ残っているだろうか。
空は、どこまでも青く、
残酷なほど美しかった。
狂戦士化の魔法
武神に仕える高位以上の神官のみが使用を許される禁忌の魔法。
武神がその者の勇気と覚悟を認め、力を貸すに値すると判断したときにのみ発動する。
神の膨大な力をその身に受けた使用者は理性を失い、あらゆる敵を殲滅する狂戦士と化す。
ただし武神の加護により敵味方の識別は可能であり、敵以外を攻撃することはない。
この魔法の代償として、使用者は例外なく死亡する。
また、この狂戦士と敵対して生き延びた者は存在しないとされており、知る者にとっては恐怖そのものの魔法である。




