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幕間:ファルマの回想3

1.狂い始めた街


デンヴァールの街は、変わらず活気に満ちていた。


石畳は毎朝きれいに掃き清められ、市場には新鮮な果実と肉が並ぶ。治安も良く、夜でも巡回兵の数は最小限で済んでいた。それはすべて、レオニス侯爵の治世によるものだった。


民は彼を名君と呼び、実際そうだった。

重税はなく、法は公平で、貧民街にも施しが行き届いている。


――少なくとも、表向きは。


ファルマが十六になった頃から、街に小さな違和感が混じり始めた。


最初に気づいたのは、商人たちだった。

「最近、妙な連中を見かける」と。


黒ずくめの外套をまとい、顔を深く隠した男たち。昼間でも灯りのない路地を歩き、兵士ですら視線を逸らす。彼らは何かを買うでもなく、誰かと長く話すでもなく、ただ街の中を静かに移動していた。


「侯爵様の客人らしい」


そんな噂が流れた。

それだけで、人々は納得してしまった。レオニス侯爵への信頼が、それほど厚かったからだ。


黄金の剣も、最初は気に留めなかった。


彼らは変わらず依頼をこなし、魔物を討ち、街を守っていた。

ただ、次第に依頼の内容が変わっていく。


盗賊退治のはずが、相手は装備の整った私兵だった。

魔物調査のはずが、立ち入り禁止区域の見回りだった。


「これ、侯爵家の仕事だろ」


アーロンが不満を漏らし、エリカは黙って地図を睨んだ。

ガレスは何も言わず、ブライアンは依頼書を静かに折りたたんだ。


断れない。だが、納得もできない。


そんな仕事が増えていった。


2.爆破の丸薬


シアンは、明らかに変わっていった。

夜遅くまで薬房の灯りが消えない日が続き、目の下には隈が濃くなる。処方を間違えはしないが、言葉数が減り、笑顔が消えた。


「兄さん、無理しすぎだよ」


ファルマが言うと、シアンは少し間を置いてから首を振った。


「……今は、必要なんだ」


それ以上は何も言わない。


奥の工房には、見慣れない素材が増えていた。金属粉、異様に純度の高い硝石、そして強烈な刺激臭を放つ粉末。


「鉱山用だ」


そう説明された。


落盤時の異物除去、ガスの発生を焼き払うための緊急用丸薬。理屈は通っている。シアンの説明は、いつも通り正確だった。


だが、ファルマは気づいてしまった。


あの丸薬は、使う者の生命力まで燃やす。一度使えば、もう二度と――。


それが何を意味するのか、考えたくなかった。


ある日、エリカが工房を訪れた。


「これ、完成した?」


彼女は冗談めかして言いながら、試作品を手に取った。

その重みを確かめるように、指先で転がす。


「……投げる前提だよね?」


その一言に、空気が凍った。

シアンは答えなかった。ただ、視線を逸らし、作業台を片付け始めた。

沈黙が、長く続く。


「……シアン」


エリカが、もう一度呼びかけた。


「これ、私たちに持たせるつもり?」


シアンの手が、止まった。しばらくして、彼は小さく頷いた。


「……いざという時のために」


そう言って、試作品をいくつか、布に包んで差し出した。


「これは、試作品だ。でも、十分に効果はある」


エリカは、それを受け取った。ずっしりとした重み。それは、薬の重さではなかった。


「……分かった」


彼女は、そっと懐にしまう。


「使わないで済むといいんだけどね」


「ああ」


シアンは、そう答えて、それ以上何も言わなかった。


4.ファルマの不安


その夜、ファルマは眠れなかった。

兄の部屋から、紙に何かを書く音が聞こえる。


ペンを走らせる音。途中で止まる音。また書き始める音。

そして――時折、小さく咳き込む音。

なぜか、それがとても冷たく感じられた。

まるで、何かが終わろうとしている音。


私は布団を被って、耳を塞いだ。

でも、その音は、朝まで止まなかった。

兄さんが何をしているのか、本当は分かっていた。


でも、聞けなかった。聞いてしまったら、もう戻れない気がした。

だから私は、見て見ぬふりをした。


――それが、私の最後の過ちだった。


4.狂っていく街


街では、行方不明者が増えていた。


孤児、流れ者、身寄りのない者。

共通点は、誰も大きな声で探さない人間ばかりだったこと。


兵士の巡回は増えたが、理由は公表されない。


市場の活気が減った。商人たちの値段交渉が、短くなった。

子どもたちが路地で遊ぶ姿を、見かけなくなった。


誰も、理由を口にしない。口にしないことが、一番の証拠だった。


夜の街は静かになり、笑い声が減った。


薬房の周りにも、常に黒装束の男の姿が見られるようになった。まるで監視しているかのようだった。


黄金の剣にも、直接の命令が下った。


「街の秩序維持に協力せよ」


拒否権はなかった。


断れば、冒険者ギルドからの除名。それは、この街で生きられないことを意味する。


ブライアンは理解していた。これは、もう冒険者の仕事ではない。


「……従うしかない」


ガレスの言葉に、誰も反論できなかった。


エリカは歯を食いしばり、アーロンは、珍しく冗談を言わなかった。


ファルマは、兄の背中を見ていた。日に日に重く、沈んでいく背中。


そして、十七になる少し前の夜。黒ずくめの男たちが、薬房を訪れた。

その日、シアンはファルマを奥へ下がらせ、扉を閉め、鍵をかけた。

外から聞こえる声は低く、感情がなかった。


何を話しているのかは分からない。

だが、長い沈黙のあと、シアンが一度だけ強く咳き込んだ音がした。


ファルマは胸を押さえた。

――何かが、終わろうとしている。


そして同時に、ここから逃げなければならないという確信だけが、はっきりと形を持って生まれていた。


その夜は、まだ静かだった。

だがそれは、嵐の前の、最後の静けさだった。


5. 忍び寄る影


その日の朝、薬房の前に見張りが立っていた。

侯爵家の紋章を胸につけた兵士が二人。表向きは「護衛」だと言われた。


「シアン様の安全のため」


そう告げられたが、誰の目にも明らかだった。これは監視だ。


兄は何も言わなかった。ただ、いつも通り薬房を開け、いつも通り調合を続けた。


でも、その手が震えているのを、私は見てしまった。


――――


昼過ぎ、黄金の剣が集まった。表向きは薬の補充。でも、全員の顔が硬い。


「……外、兵士増えたな」


アーロンが小声で言った。いつもの軽い調子はない。


「薬房だけじゃない。街全体だ」


ガレスが答える。彼の手は、無意識に剣の柄に触れていた。


「検問も増えた。理由を聞いても、誰も答えない」


エリカの声が低い。彼女は窓の外をちらりと見た。


見張りの兵士が、こちらを見ている。


「……もう時間がないかもしれん」


ブライアンが、初めて口を開いた。その言葉に、全員が息を呑んだ。


――――


夕方、兄が奥の部屋に私を呼んだ。


「ファルマ」


その声は、いつもより低かった。


「もし、俺が急にいなくなったら――」


「兄さん!」


思わず遮った。


「そんなこと、言わないで!」


兄は、優しく頭を撫でた。


「……ごめん。でも、覚えておいてほしい」


彼は懐から小さな袋を取り出した。


「これは、旅費だ。そして、これは叔父さんへの手紙」


震える手で、それを受け取る。


「もし俺が捕まったら、黄金の剣についていけ。必ず、お前を守ってくれる」


「……兄さんは?」


「俺は、ここに残る」


「侯爵は陶酔薬(エクスタシア)を作らせようとしている。それを何とかできるのは俺だけだ」


その答えは、あまりにも静かで、あまりにも決定的だった。


「兄さん……」


「大丈夫だ」


嘘だと、分かっていた。でも、私は何も言えなかった。


――――


その夜。


薬房の外で、足音が増えた。見張りが、四人に増えている。


月明かりの下、黒ずくめの影がちらりと見えた。それは、もう誰の目にも明らかだった。


――明日、何かが起きる。


ベッドに横になっても、眠れなかった。兄の部屋から、紙に何かを書く音が聞こえる。

ペンを走らせる音。途中で止まる音。また書き始める音。それが、夜明けまで続いた。


6.託されたもの


最初に異変を察したのは、ブライアンだった。


シアンが呼び出した場所は、薬房ではなかった。

街外れの、使われなくなった倉庫。人目につかず、音も漏れない。


「……こんな場所で話をするなんてな」


アーロンが軽口を叩こうとして、やめた。空気が、冗談を許さなかった。


シアンは痩せていた。目の奥が、削られたように深い。


「忙しいところを悪い」


それだけ言って、彼は深く頭を下げた。


――――


エリカが一歩前に出る。


「シアン。何が起きてるの?」


シアンはすぐには答えなかった。少し迷うように視線を伏せ、それから黄金の剣全員を順に見た。


「……いざという時の話だ」


その言葉で、全員が理解した。もう平時ではない。


「王都に、ファルマの叔父がいる。エドワードという男だ。第二騎士団の副団長をしている」


ガレスが眉をひそめる。


「聞いたことがある。腕のいい男だ」


「そうだ。俺に何かあったら――」


シアンは言葉を切り、はっきりと告げた。


「ファルマを、そこへ連れて行ってほしい」


一瞬、倉庫の空気が止まった。


――――


「"何かあったら"ってのは、どういう意味だ」


 アーロンの声が低くなる。


いつもの軽さは、どこにもなかった。彼は一歩前に出て、シアンの肩を掴んだ。


「一緒に逃げりゃいいだろ。飛竜もいる。今すぐ、二人まとめて街を出ろ」


 その言葉には、必死さが滲んでいた。シアンを、ファルマを、この街に置いていきたくない。でも――


「それはできない」


シアンの答えに、アーロンは歯噛みした。


「なんでだよ!お前が消えたって、街は回る!侯爵だって、別の薬師を――」


「回らない」


シアンの声が、初めて強くなった。


「俺がいなくなれば、レオニスは完成品を使う。実戦で、大規模に、容赦なく」


アーロンの手が、力を失う。


「……そんなの、理不尽だろ」


「理不尽だ」


シアンは自嘲した。


「でも、俺が選んだ道だ」


アーロンは、拳を握りしめた。何も言い返せなかった。


――――


「そうよ。私たちなら、二人まとめて守れる」


エリカも頷いた。

彼女の声は、いつもより高い。焦りが、隠しきれていない。


「ファルマちゃんだけじゃない。あんたも一緒に来なさい」


その言葉は、命令のようで、懇願のようだった。シアンは、ゆっくり首を振った。


「エリカ、お前は優しいな」


「優しくなんかないわよ!」


彼女の声が、わずかに震えた。


「ただ――あんたがいなくなったら、ファルマちゃんが――」


言葉が途切れる。

エリカは、ファルマを妹のように思っていた。

その子が、兄を失う姿を見たくなかった。

かつて自分が死にかけた時、ファルマがどれだけ泣いたか、知っているから。


「……ごめん」


シアンの言葉に、エリカは唇を噛んだ。


「謝らないでよ……」


彼女は視線を逸らした。涙を、見せたくなかった。


――――


ガレスは、黙って聞いていた。いつものように、感情を表に出さない。

でも、彼の手は、無意識に剣の柄を握っていた。


「……本気か」


ようやく、短くそう言った。


「ああ」


シアンが答える。


「お前が残れば、死ぬぞ」


「知ってる」


即答だった。ガレスは、深く息を吐いた。この男は、もう覚悟を決めている。それを崩すことは、誰にもできない。


「……分かった」


ガレスは、ゆっくりと頷いた。


「ファルマは、必ず守る」


その言葉は、誓いだった。命を懸けた、契約。


「助かる」


シアンは、初めて少しだけ笑った。それが、ガレスには辛かった。


――――


 ブライアンは、ずっと腕を組んだままだった。表情は、いつも通り硬い。だが、彼の目だけは、シアンを真っ直ぐに見ていた。


「……もう踏み越えているように見えるが」


その声は、静かだった。


「それでもだ」


シアンは答える。


「俺がいる限り、レオニスは"完全には"踏み越えない」


ブライアンは、しばらく黙っていた。

そして――


「お前は、馬鹿だ」


そう言った。


「……そうかもな」


「自分を犠牲にして、他人を救おうとする奴は、大抵、報われない」


その言葉は、経験から来るものだった。ブライアンもまた、かつて同じ選択をしたことがある。


「それでも、やるか」


「やる」


即答に、ブライアンは目を細めた。


「……なら、せめて祈らせろ」


彼は、胸の前で手を組んだ。武神への祈り。


「お前が、せめて苦しまずに済むように」


その祈りは、もう戦士のためのものではなかった。死を覚悟した者への、最後の慈悲。シアンは、深く頭を下げた。


「……ありがとう」


――――


シアンは懐から封筒を取り出した。


「これは、レオニスの計画だ。命令書、流通経路、完成品の用途……俺がわかる範囲で全部書いてある」


エリカが息を呑む。


「……証拠、ね」


「俺が捕まれば、これは処分される。だから――」


封筒は、ガレスの手に託された。


「ファルマが王都に着いたら、エドワードに必ず渡してくれ」


沈黙が落ちる。


黄金の剣は、冒険者だ。だが今、明確に国家の闇に足を踏み入れた。


「……分かった」


ガレスが短く答えた。


「命を預けられたと思っていいな」


アーロンも、エリカも、ブライアンも、無言で頷いた。それは、黄金の剣全員の誓いだった。シアンは、深く頭を下げた。


「頼む」


その言葉は、依頼ではなかった。遺言だった。

そして――

彼らは、もう二度と、シアンと笑い合うことはなかった。


7.逮捕


翌朝。ファルマは、いつもより早く目を覚ました。

理由は分からない。ただ、胸騒ぎがした。

階下に降りると、兄はもう起きていた。


「……おはよう、ファルマ」


その声は、いつもより優しかった。


「兄さん、眠ってないでしょ」


「ちょっとな」


彼は笑った。


でも、その笑顔は、どこか遠かった。


「ファルマ」


「……なに?」


「お前は、いい子だ」


突然の言葉に、私は戸惑った。


「急に、どうしたの?」


「いや」


兄は首を振った。


「ただ、言っておきたかった」


その瞬間。扉が、叩かれた。いや――叩かれたのではない。

蹴破られた。


――――


「シアン・アストン!レオニス侯爵の命により、貴様を拘束する!」


黒ずくめの男たちが、一斉に薬房に雪崩れ込んできた。

十人以上。全員が武装している。


「兄さん!」


私は叫んだ。でも、兄は動かなかった。


「……来たか」


その声は、驚きも、恐怖もなかった。ただ、諦めだけがあった。


「待って! 兄さんは何も――」


「ファルマ、下がれ」


兄の声が、初めて厳しくなった。


「でも!」


「いいから!」


その叫びに、私は足を止めた。黒ずくめが、兄の腕を掴む。背中に手を回され、縄で縛られる。


「シアン・アストン。貴様は国家反逆罪、及び禁制薬物の密造により――」


「待ってください!」


私は叫んだ。


「兄さんは、侯爵様に頼まれて作っただけ!何も悪いことなんて――」


「黙れ、小娘」


男の一人が、私を睨んだ。その目は、冷たかった。


「貴様も共犯だ。一緒に来てもらう」


その瞬間。


「それは、できないな」


低い声が、薬房に響いた。


――――


ガレスだった。いつの間にか、裏口から入っていた。

その後ろに、エリカ、アーロン、ブライアン。

黄金の剣、全員。


「……冒険者か」


黒ずくめが、剣を抜いた。


「邪魔をするなら、貴様らも――」


「邪魔をする」


ガレスが、即答した。


「ファルマは、俺たちが預かる」


「……ガレス」


シアンが、小さく呟いた。


「すまない」


「謝るな」


ガレスは、剣を抜いた。


「約束は、守る」


その瞬間。戦闘が、始まった。


――――


エリカが、一人を蹴り飛ばす。

アーロンが、召喚獣で壁を吹き飛ばす。

ブライアンが、無言で二人を沈める。


「ファルマ!」


ガレスが叫んだ。


「走れ!」


「でも、兄さんが――」


「いい!」


シアンが、叫んだ。


「お前は生きろ!ここから出て、叔父さんのところへ行け!」


「兄さん……!」


「行け!!」


その叫びに、私の足が動いた。

泣きながら、走った。

後ろで、兄の声が聞こえた。


「ファルマ……!生きてくれ……!」


それが、最後だった。


――――


外に出ると、エリカが手を引いてくれた。


「大丈夫、絶対に守るから」


その声も、震えていた。

街は、もう包囲されていた。

でも、黄金の剣は止まらなかった。

裏道を抜け、検問を破り、追手を振り切り――

夜明け前。


ようやく、街の外へ出た。

振り返ると、デンヴァールの街が、遠くに見えた。

兄がいる街。みんなと笑った街。

その街を、私は捨てた。


「……ごめんなさい」


誰に言ったのか、自分でも分からない。ただ、涙が止まらなかった。


――――


こうして、逃避行は始まった。

それが、黄金の剣が冒険者でいられた、最後の夜だった。


 そして――


私、ファルマが十七歳になった日だった。

最悪の、誕生日。


爆破の丸薬(試作品)

もともとは、魔力を込めて投擲することで爆破させる用途の丸薬である。

しかし、魔力のみでは相当量を注ぎ込まなければ十分な威力を発揮できず、実用化には至らなかった。

本試作品は、魔力に加えて使用者の生命力を強制的に吸い上げることで、驚異的な破壊力を得ることに成功している。

生命力を吸収された者は、ほぼ確実に死亡する。

理論上は成功作と呼べる性能を持つが、使用した瞬間に周囲を巻き込んだ殺戮が発生するため、通常の用途は存在しない。

――少なくとも、表向きには。


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