幕間 ファルマの回想1
1.ファルマの回想
五歳の頃の記憶は、ところどころが曖昧だ。
でも、匂いだけは今も覚えている。
薬草を干したときの、少し苦くて青い香り。
父と母の背中。
王都の石畳を歩く音。
そして――
その匂いと音が、ある日突然、消えた。
事故だった、と大人たちは言った。
薬師として名の知れた両親が、
依頼先への道中で巻き込まれた事故。
詳しい話は、誰も教えてくれなかった。
家には帰れなかった。
帰っても、そこに父と母はいなかった。
兄のシアンは、泣かなかった。
泣かなかったけれど、笑わなくなった。
私は泣いた。
たくさん泣いて、眠って、目が覚めて、
それでも世界は元に戻らなかった。
そんな私たちを引き取ってくれたのが、
母の弟――エドワード叔父さんだった。
忙しい人だった。
王都で騎士として働きながら、
私たちの面倒も見てくれた。
夜、寂しさで私が泣いてしまった時は、
一緒に寝てくれた。
夜遅くに帰って来ることも多かった。
それでも必ず私の話を聞いてくれた。
兄は必死に勉強していた。
父と母の名に恥じない薬師になるために。
私は、兄の背中を見ていた。
追いつこうとするよりも、
ただ、その背中が遠くへ行ってしまわないように。
――そんなある日。
「ファルマ、日記をつけてみないか」
エドワード叔父さんが、そう言った。
「言葉にすると、気持ちは整理できる。
それに、あとで振り返ったとき、
ちゃんと“生きていた”証になる」
私は、うなずいた。
理由はよくわからなかったけれど、
叔父さんの言葉は、いつも正しかった。
2.ファルマの日記
――王都歴××年 夏
今日から日記を書くことにしました。
叔父さんに言われたからです。
何を書けばいいかわからないけど、
とりあえず今日のことを書きます。
兄さんは、今日もすごかったです。
難しい調合を一人でやっていました。
私は横で材料を並べるだけでした。
でも、「助かった」って言われました。
それだけで嬉しかった。
―――――
――王都歴××年 秋
10歳になりました。
今日は、とんでもない人が来ました。
名前はルーシェンさん。
兄さんの知り合いらしいけど、
最初から最後まで騒がしい人です。
薬棚を勝手に開けて、
兄さんの白衣を引っ張って、
叔父さんに怒られていました。
でも、兄さんは笑っていました。
久しぶりに見た気がします。
―――――
――王都歴××年 冬
ルーシェンさんは、毎日のように来ます。
爆発しました。
薬が。
理由はよくわかりません。
「ちょっと試しただけ」だそうです。
叔父さんが本気で怒って、
兄さんは頭を抱えて、
私は後片付けを手伝いました。
でも、なんだか楽しかったです。
―――――
――王都歴××年 春
ルーシェンさんが、旅に出るそうです。
突然でした。
いつもの調子で、
「それでは」とだけ言って。
兄さんは引き止めませんでした。
ただ、少しだけ、寂しそうでした。
私も、寂しかったです。
思わず泣いてしまいました。
ルーシェンさんの少し困ったような顔が、
印象的でした。
家が、少し静かになりました。
―――――
――デンヴァール歴××年 初夏
12歳になりました。
兄さんについて、デンヴァールに引っ越して来ました。
レオニス侯爵とかいう、偉い人に兄が認められて誘われたそうです。
「俺がこれからファルマを育てて、守ります」
エドワード叔父さんにそう言って、王都を出ました。
叔父さんは寂しそうでした。
ここは王都より空が広いです。
風が強くて、草の匂いがします。
今日は、冒険者の人と知り合いました。
女の人はエリカさん。スカウトとかいう職業だそうです。
強くて、笑顔がきれいで、すぐに私の頭を撫でました。
男の人はガレスさん。二本の剣を使う剣士さんです。
無口で怖そうだけど、 エリカさんを見る目はとても優しいです。
私は「妹みたいだ」と言われました。
なんだか、胸があたたかくなりました。
この街でも、きっと、いい日々が続くと思います。
――ファルマ
3.エリカさんが倒れた日
――デンヴァール歴××年 秋
今日は、エリカさんが本当に危なかったです。
今書くと、少し落ち着く気がします。
でも、本当は今も手が震えています。
帰ってきたとき、エリカさんは血の気がなくて、
目も、ちゃんと開いていませんでした。
ガレスさんが、「毒だ」と言いました。
私は、頭が真っ白になりました。
薬棚をひっくり返して、知っている解毒剤を全部並べて、でも、どれも違うと分かって。
それでも、何かしないと、何もしないと、エリカさんがいなくなる気がして。
兄さんに、お願いしました。
正確には、泣きながら、縋りつきました。
兄さんは、すごく、怖い顔をしていました。
でも、何も言わずに、外へ出ていきました。
材料が揃うまで、とても長かったです。
エリカさんの額に、冷たい布を当てました。
何度も、何度も。
それしか、できることがなくて。
エリカさんの呼吸が、だんだん浅くなって。
ガレスさんは、ずっと手を握っていました。
私は、何度も「ごめんなさい」と言いました。
何に対してか、自分でも分かりません。
薬ができたとき、兄さんは、少しだけふらついていました。
エリカさんに薬を飲ませて、しばらくして、胸が上下したのを見た瞬間。
足の力が、抜けました。
生きてる。
それだけで、全部、どうでもよくなりました。
後で聞きました。
材料は、本来、私たちが一生触れないようなものだと。
兄さんは、私に怒りませんでした。
ただ、頭を撫でて、「もう大丈夫だ」と言いました。
兄さんの手は、いつもより少し震えていました。
怒っていないのは、分かっています。でも、それが何より、申し訳なかったです。
それが、一番、つらかったです。
もし、私がもっと薬師として優れていたら。
もし、私が大人だったら。
そんなことを考えてしまいます。
でも、エリカさんが生きている。
それだけで、今日は、終わりにします。
――ファルマ
4. エリカの回想(あの日のこと)
それは、油断だった。
レア個体だと分かっていた。でも戦闘力は低い。だからこそ、勝てると慢心した。
牙がかすった瞬間、焼けるような痛みが走り、次の瞬間、世界の色が一気に薄くなった。
「エリカ!」
ガレスの声が、遠い。
呼吸がうまくできない。指先が冷たい。身体が、私のものじゃなくなっていく。
毒だ、と頭では理解していた。でも、それ以上のことを考える余裕はなかった。
ただ一つ、はっきりしていたのは――これは、助からないかもしれないということ。
目を閉じると、暗かった。
夢か現実かも分からない場所で、私はただ、浮かんでいた。
(ああ……ガレス)
彼の顔が浮かぶ。不器用で、優しくて、私よりずっと弱いところを隠してる人。
(置いていくのは、嫌だな)
身体が、どんどん軽くなっていく。痛みは消えたけれど、それが逆に怖かった。
(死ぬのかな)
そう思ったとき、強烈な苦味が喉を焼いた。
「……っ!?」
息が、戻ってくる。無理やり肺に空気を詰め込まれる感覚。
視界が、滲んで、次第に輪郭を取り戻していく。
「エリカ……!」
ガレスの声が、すぐ近くにあった。
横を見ると、青白い顔をした小さな女の子と、疲れ切った顔の兄妹。
(……助けられた)
そう理解した瞬間、涙が止まらなくなった。
生きていることが、こんなにも重たいなんて、知らなかった。
5.誓い
後で聞いた。
高価な材料。本来なら無理な調合。命を削るような無茶。
それを、あの兄妹はやった。
「借りを返すなんて、簡単に言えないよね」
そう言ったとき、ガレスは静かにうなずいた。
「命を預けた。それ以上も、それ以下もない」
それで十分だった。
この人たちのためなら、剣を振る理由は、もう迷わない。
6.ファルマの日記
アーロンが来た日
――デンヴァール歴××年 夏
13歳になりました。
気づけば、ここでの暮らしも一年が経ちました。
今日は、うるさい人が増えました。
名前はアーロン。
召喚魔法を使う人で、ずっと喋っています。
「将来はファルマちゃんをお嫁さんに――」
と言った瞬間、エリカさんに殴られ、ガレスさんに蹴られていました。
でも、悪い人じゃないです。困っている人を見ると、すぐに前に出ます。
いずれ飛竜と契約するのが夢みたいで、 飛竜の話をする時だけ、少し真面目になります。
兄さんは、少しだけ嬉しそうでした。私も、嬉しかったです。
この家に、また笑い声が増えるのは、悪いことじゃないと思います。
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ブライアンが来た日
――デンヴァール歴××年 冬
14歳になりました。胸が全然大きくならないのが、最近の悩みです。
今日は、静かな人が来ました。
ブライアンさん。大きくて、怖そうで、
あまり喋りません。 武神の神官だそうです。
でも、夜にこっそり、私に焼き菓子をくれました。
「……食え」
それだけ。
エリカさんは、「あの人、優しいよ」と言いました。
ガレスさんは、「強い」とだけ言いました。
私は、なんとなくわかります。
この人は、いざという時、誰よりも前に立つ人です。
そういえば、私が転んで怪我した時、 何も言わずに、魔法で治してくれました。
少し、怖いです。でも、頼もしいです。
――ファルマ
デンヴァール
ムステル王国のほぼ中央に位置する街。王都ヴァレリアからは東に約千キロ離れている。王国の中央に位置する要衝であり、戦略的にも重要な地であるため、代々王族の親族が統治してきた。街は王都にも引けを取らないほど栄えている。
最近統治を始めたレオニス侯爵は、現王の弟にあたる人物で、王位争いから身を引くためこのデンヴァールに赴任したと言われている。性格は穏やかで、領民からは名君として慕われている。




