混ざり合う柔軟剤と未来予想図
遅めの朝食を終えた後、俺たちは洗濯物を干すことになった。
「新婚さんなら、家事も二人でやらなきゃね」
結愛の指揮のもと、俺は洗濯カゴをベランダへ運ぶ。
五月の風が心地よい。
彼女は俺のシャツをパンパンとシワを伸ばし、丁寧にハンガーにかける。
その手際があまりに良くて見惚れてしまった。
「なに? 私の顔に何かついてる?」
「いや、手慣れてるなと思って」
「ふふん、花嫁修業はずっとしてきたからね。いつかこうやって、湊くんの服を洗う日のために」
彼女はサラリと怖いことを言うと、次は俺のパンツを手に取った。
「ちょ、それは俺がやる!」
流石に下着を干されるのは恥ずかしい。
奪い取ろうとした手を、彼女はひらりと躱した。
「だーめ。旦那様の下着を管理するのも妻の務めです」
彼女は全く恥じらう様子もなく、俺の下着を洗濯バサミで挟んでいく。
その横顔は真剣そのもので、まるで神聖な儀式でも執り行っているかのようだ。
「……ねえ湊くん」
「なんだよ」
「こうやって私の服と湊くんの服が隣同士で揺れてるの、なんか良くない?」
ベランダには、彼女の可愛らしいブラウスと俺のTシャツが交互に並んでいる。
風が吹くたびに袖が触れ合い、重なり合う。
「柔軟剤の匂いも一緒。これで外にいても、湊くんから私の匂いがするね」
彼女は満足そうに微笑むと、干し終わった俺のシャツの袖を、自分の頬に愛おしそうに押し当てた。
「……マーキングかよ」
「そうだよ? 悪い虫がつかないようにね」
太陽の下、彼女の独占欲は健康的なほど堂々としていた。
洗濯という日常行為ですら、彼女にかかれば所有の確認にしかならないのだと思い知らされる。
午後の日差しが傾き始めた頃。
「あ、醤油切れちゃった。湊くん、コンビニで買ってきてくれる?」
夕飯の準備を始めていた結愛に頼まれ、俺はパシリに出された。
「新婚ごっこ」の設定を守るなら、これは「パシリ」ではなく「夫の務め」ということになるらしい。
十分ほどして家に戻り、玄関のドアを開ける。
「ただいま」
その瞬間だった。
パタパタと廊下を走る音がして、エプロン姿の結愛が三つ指をついて出迎えてきた……わけではなく、勢いよく飛びついてきた。
「おかえりなさーい! あなた♡」
「うおっ、危ないって」
彼女を受け止めると、彼女は俺の胸板に顔を埋めて深呼吸をした。
「ん〜、湊くんの匂い。たった十分いないだけで寂しかったよ」
「大袈裟だな。ほら、醤油」
「ありがと。……で、ここからが本番」
彼女は俺の腕の中から離れると、少し顔を赤らめ、上目遣いで俺を見つめた。
そして、古今東西の創作物で擦られ尽くした、あの台詞を口にした。
「ご飯にする? お風呂にする? ……そ・れ・と・も」
彼女は人差し指を俺の胸にツンと這わせ、妖艶に微笑む。
「わ・た・し?」
ベタすぎる展開。
だが、この状況、この距離感、そして彼女の潤んだ瞳の破壊力は凄まじかった。
俺が言葉に詰まって赤面していると、彼女は「んふふ」と楽しそうに笑い、耳元で囁いた。
「……冗談だよ。顔真っ赤で可愛い」
彼女は俺から離れ、醤油のボトルを持ってキッチンへ戻ろうとする。
だが、数歩歩いたところで振り返り、小悪魔のような笑顔で付け加えた。
「でも、もし湊くんが『結愛がいい』って言ったら……お姉ちゃん、断らなかったかもよ?」
心臓が大きく跳ねた。
その言葉の余韻だけを残して、彼女は鼻歌交じりで夕飯作りを再開した。
「冗談」という名の逃げ道を用意しつつ、確実に俺の理性を試してきている。
この家には今、ブレーキ役の大人は誰もいないのだ。
夕食後、俺たちはリビングのソファで身を寄せ合っていた。
テレビはついているが、誰も見ていない。
ただ互いの体温を感じながら、ゆっくりと過ぎていく時間を惜しんでいた。
「……明日になったら、帰ってきちゃうね」
結愛がポツリと漏らす。
両親のことだ。
「そうだな。まあ、普段通りに戻るだけだ」
「普段通り……嫌だな」
彼女は俺の腕を強く抱きしめた。
「湊くんと離れて寝なきゃいけないし、朝起きたらすぐ隣にいないし……『お姉ちゃん』の仮面被らなきゃいけないし」
「仮面って……普通にしてればいいだろ」
「ううん、違うの。ほんとはね、もっとベタベタしたいし、一日中くっついてたいし、湊くんの全部を管理したいの。でも、お父さんたちの前じゃ我慢しなきゃいけない」
彼女は俺の肩に顔を埋め、震える声で訴える。
「ねえ湊くん。この二日間、幸せだった?」
「……まあ、悪くなかったよ」
「私はね、生まれてから一番幸せだった。これが私の求めてた『家族』なんだってわかった」
彼女が顔を上げる。
その瞳には、切実な願いと、少しの狂気が混じっていた。
「約束して、湊くん。両親が帰ってきても、心の中では私だけの『あなた』でいてくれるって」
「……どういう意味だよ」
「他の誰にも、心も体も渡さないってこと。湊くんの1番は、絶対にお姉ちゃんだってこと」
彼女は俺の頬を両手で包み込み、逃げ場を塞ぐ。
「約束できないなら……今夜、寝かせてあげないよ?」
それは脅し文句だったが、声色は酷く甘く、懇願するようだった。
この週末で築き上げた「新婚ごっこ」という既成事実が、俺を縛る鎖となって完成しようとしていた。
「……わかったよ。約束する」
俺がそう告げると、彼女はようやく安堵の表情を浮かべ、再び俺の胸に頭を預けた。
「よかった……大好きだよ、湊くん。ずっとずっと、離さないからね」
静かなリビングに、彼女の重たい愛の言葉が溶けていく。
「新婚ごっこ」は終わる。
だが、そこで生まれた歪な絆は、明日からの日常を侵食し続けるだろう。
窓の外では、雨が降っていた。




