繋がった絆
「行くよ、篠原さん!」
「うん!」
借り物競走の熱狂が冷めやらぬまま、俺たちは二人三脚のスタートラインに立った。
足首には、篠原さんが持ってきてくれたあの赤い紐がしっかりと結ばれている。
練習は一度しかできなかった。昨日は練習もできなかった。
けれど、不思議と不安はなかった。
一度どん底まで落ちて、そこから這い上がった今の俺たちなら、どんなデコボコ道でも走れる気がした。
号砲が鳴る。
「いち、に! いち、に!」
俺たちは声を張り上げ、地面を蹴った。
隣のクラスのペアが猛追してくる。
「湊くん、ラスト!」
「おおっ!」
俺たちは互いの肩を抱く手に力を込め、最後の一歩を踏み出した。
ゴールテープが切れる感触。
「やった……!」
「一位だ!」
僅差での勝利。
俺たちは息を切らしながら、互いの健闘を称え合ってハイタッチをした。
観客席から「おー! やるじゃん!」と歓声が上がる。
だが、その歓声はすぐに別のどよめきへと変わった。
「次は最終組、雪乃宮ペアです」
アナウンスと共に、あの「氷の女王」雪乃宮怜がスタートラインに立った。
パートナーは同じく真面目そうな女子生徒だ。
ピストル音が鳴った瞬間、俺は目を奪われた。
速い。
いや、ただ速いだけじゃない。
「いち、に」という掛け声さえ必要ないかのように、二人の足並みが完全にシンクロしていた。
無駄な上下動がなく、まるでプログラムされた機械のように、最短距離を最高速度で駆け抜けていく。
俺たちのような「気合と根性」の走りとは次元が違う、「論理と効率」の走り。
あっという間に後続を突き放し、涼しい顔でゴールテープを切った。
「すげぇ……」
俺はゴール地点で、その美しいフォームに見惚れてしまっていた。
汗さえかいていないような完璧な姿に、思わず見入ってしまっていたのだ。
「……じーっ」
視線を感じてふと横を見ると、篠原さんが頬を膨らませて俺を睨んでいた。
「……湊くん?」
「あ、いや。雪乃宮さん、すごいなと思って」
「ふーん。すごいんだ。……へぇー」
彼女の声が低い。
「いたっ!」
二の腕をつねられた。
「私の時は『すごい』なんて顔しなかったのに。……あんな美人が走ってたら、見惚れちゃうよねぇ?」
「ち、違うって! フォームが綺麗だなって思っただけで……」
「言い訳無用! 罰としてジュース奢りね!」
「わかった、わかったからつねるなって!」
俺たちはじゃれ合うように小競り合いをした。
さっきまでの暗い影など微塵もない。
篠原さんは完全に吹っ切れて、むしろ以前よりも俺に対する距離感が近くなっていた。
「おめでとう。一位だったそうね」
不意に、凛とした声が降ってきた。
雪乃宮さんが、タオルを首にかけながら俺たちの方へ歩み寄ってきたのだ。
「あ、雪乃宮さん。そっちこそ圧勝だったな」
俺が答えると、彼女は無表情のままスッと手を伸ばし、俺の肩にポンと手を置いた。
「貴方たちの走りは非効率で見ていてハラハラしたけれど、結果を出したことは評価するわ。……よくやったわね」
労いの言葉。
だが、その手が俺の肩に触れた瞬間、隣の空気がピリッと凍りついた。
「ちょっと!」
篠原さんが俺と雪乃宮さんの間に割って入った。
「湊くんは今、私と喋ってたんですけどー!」
その口調は挑戦的で、明らかに敵意むき出しだった。
雪乃宮さんは目を丸くし、自分の手と、間に割って入った篠原さんを交互に見た。
「その……私はただ、同じブロックのメンバーとして労っただけなのだけれど」
「その距離感! 近すぎです! 湊くんは私のパートナーなんですから!」
篠原さんは俺の腕にギュッと抱きつき、所有権を主張するように睨みつける。
雪乃宮さんは呆れたように溜息をついた。
そして、俺に向かって同情に満ちた眼差しを向けた。
「……貴方も大変ね。家では姉、学校ではコレ。前途多難だわ」
「えっ、あ、いや……」
「まあ、せいぜい飼い猫に噛まれないように気をつけることね」
雪乃宮さんは「やれやれ」といった様子で肩をすくめ、クールに去っていった。
その後ろ姿に向かって、篠原さんは俺の腕にしがみついたまま、
「シャーッ!!」
と、完全に猫のような威嚇音を上げていた。
「し、篠原さん……威嚇しないの」
「だって! あの人、湊くんのこと狙ってる目だったもん!」
「いや、絶対ないと思うけど……」
「あるの! 女の勘なめないで!」
プンプンと怒る篠原さんは、昨日の怯えていた少女とは別人のようだった。
俺は苦笑しながらも、この騒がしくも幸せな時間が戻ってきたことに、心から安堵していた。
遠くの観客席にはもう、結愛の姿はなかった。
体育祭は、俺たちの完全勝利で幕を閉じようとしていた。




