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すれ違う言葉と、溶け合う心

 授業の内容なんて一文字も頭に入らなかった。

 黒板の文字はただの記号の羅列に見え、先生の声は遠いノイズのようだった。

 俺の意識はずっと前、背中を丸めて俯いている篠原さんに向けられていた。

(なんでだ? 何があった?)

 昨日の帰り際の笑顔と、今朝の怯えたような拒絶。

 その落差の理由が分からず、胸の奥がざらついて仕方がなかった。

 キーンコーンカーンコーン。

 終業のチャイムが鳴ると同時に、篠原さんは弾かれたように席を立ち、逃げるように教室を出て行った。

「あ、おい篠原さん!」

 俺が声をかけるが、彼女は振り返らない。

「悪い健太、今日先帰るわ!」

「は? おい湊、練習は!?」

 友人の声を振り切り、俺は廊下を走った。

 昇降口で靴を履き替え、校門へと続く生徒の波に飛び込む。

 どこだ。どこにいる。

 下校する生徒たちをかき分け、謝りながら先を急ぐ。

 校門を出たところで、人混みの隙間に見慣れた髪が揺れるのを見た。

「篠原さん!」

 俺は彼女に追いつき、その細い腕を掴んだ。

「っ!?」

 彼女はビクリと肩を跳ね上げ、俺の顔を見ると、まるで幽霊でも見たかのように青ざめた。

「……離して」

 その声は震えていた。

 掴まれた腕を通して、彼女の小刻みな震えが伝わってくる。

 俺はショックを受けたが、ここで手を離せば二度と話せなくなる気がした。

「嫌だ。話を聞くまでは離さない」

「……やめて、みんな見てる……」

「ここじゃ話しにくいなら、場所を変えよう」

 俺は抵抗する彼女の手を引き、学校近くの公園へと足早に向かった。


 放課後の公園は、幸いにも子供たちの姿はなく静まり返っていた。

 ベンチの前で俺はようやく彼女の腕を離した。

「……痛かったか? ごめん」

「……ううん」

 彼女は自分の腕をさすりながら、俺から視線を逸らし続けている。

「俺、何かしたか?」

 俺は単刀直入に切り出した。

「朝からずっと様子おかしいし、目も合わせてくれないし。昨日はあんなに普通だったのに」

「……」

「もし俺が無神経なこと言ったなら謝る。でも、理由もわからず無視されるのは……正直、キツイよ」

 俺は自分の胸の内を吐き出した。

「俺は、篠原さんとの練習楽しみにしてたんだ。二人三脚だって、お前となら優勝できると思ってる。なのに、急に突き放されたら……」

「……嘘つき」

 彼女がポツリと漏らした。

「え?」

「嘘つきだよ、湊くんは」

 彼女が顔を上げる。その瞳には涙が溜まっていた。

「楽しみにしてたなんて……よくそんなこと言えるね」

「どういう意味だよ」

「だって……私のこと、嫌いなんでしょ?」

 彼女の声が裏返る。

「迷惑なんでしょ? 個別に連絡してくるなって……周りに勘違いされるのウザいって……そう思ってるんでしょ!?」

 彼女の叫びに、俺は言葉を失った。

 身に覚えがなさすぎる。

「 何言ってるんだ。俺がそんなこと思うわけないだろ」

「でも! メッセージで……!」

「メッセージ?」

 俺は慌ててスマホを取り出そうとしたが、彼女の涙を見て動きを止めた。

 今は証拠確認よりも、目の前の彼女の感情を受け止めることが先だ。

 俺は一歩踏み出し、彼女の肩を掴んだ。

「篠原さん、俺を見ろ」

「……っ」

「俺はそんなメッセージ送ってない。送る理由がない」

「でも……」

「俺の目を見てくれ。俺が今、嘘をついてるように見えるか?」

 俺は真剣な眼差しで彼女を見つめ続けた。

 彼女の濡れた瞳が揺れ、俺の瞳の奥を探るようにじっと見つめ返す。

 数秒の静寂。

 公園の木々が風に揺れる音だけが聞こえる。

 やがて、彼女の瞳から涙が一筋こぼれ落ちた。

「……見えない。湊くんは、そんな目しない」

「だろ? 何かの間違いだ。俺は篠原さんが迷惑だなんて一度も思ったことない」

 俺はハンカチを取り出し、彼女の涙を拭った。

「昨日の猫ヒゲ消してくれた時も、一緒に転んで笑った時も、俺はずっと楽しかったし、嬉しかったんだ」

 俺の言葉に、彼女の強張っていた表情が雪解けのように緩んでいく。

「……ほんと?」

「ああ、本当だ」

 彼女は安堵したように息を吐き、少し恥ずかしそうに頬を染めた。

「よかった……私、嫌われたのかと思って……怖くて……」

「悪かったな、不安にさせて」

 夕陽が差し込む公園で、二人の間の冷たい壁は完全に消え去っていた。

 むしろ誤解を解いたことで、以前よりも強い絆と、甘酸っぱい空気が流れ始めていた。


 いい雰囲気だった。

 互いの気持ちを確認し合い、距離が縮まる。

 これはいわゆる「吊り橋効果」に近いものかもしれないが、俺の心臓は確かに高鳴っていた。

 彼女の涙に濡れた瞳が、夕陽を受けてキラキラと輝いている。

 守りたい、と思った。

「……篠原さん」

「なに? 湊くん」

「誤解させてごめんな。俺は迷惑どころか……」

 俺は言葉を選びながら、一歩彼女に近づいた。

「むしろ俺は、篠原さんみたいな人は……」

『好きだ』

 そう続けようとした、その瞬間だった。

 「――みぃつけた」

 背筋が凍りつくような声が、俺のすぐ後ろ、本当に耳の真後ろから聞こえた。

 心臓が口から飛び出るかと思った。

 篠原さんが「ひっ」と短く悲鳴を上げ、俺の背後を見て凍りついている。

 恐る恐る振り返る。

 そこにいたのは、結愛だった。

 いつものように可愛らしい私服に身を包み、手には綺麗にラッピングされた「蜂蜜レモンの瓶」を持っている。

 だが、その目は笑っていなかった。

 光のない、深淵のような黒い瞳が、俺と篠原さんを交互に見つめている。

「え……結愛?」

「あはは、驚いた? 驚かせてごめんね?」

 彼女は鈴が転がるような声で笑ったが、その笑顔は能面のように張り付いたままだった。

「学校に行ったらもう帰っちゃったって聞いて。GPS見たら公園にいるから、お散歩かなーって思って来ちゃった」

 GPSという単語を、彼女はあえて強調して口にした。

 そして、彼女は初めて篠原さんに視線を移した。

「あ。あなたが篠原さん? 初めまして。弟がお世話になってますぅ」

 丁寧な言葉遣い。しかし、その声には隠しきれない敵意と、ねっとりとした粘着質な響きが含まれていた。

「仲良さそうだね。……私の弟と、何を話してたのかな?」

 結愛が一歩踏み出す。

 俺と篠原さんの間に割って入るように。

 夕暮れの公園に落ちたその影は、俺たちの淡い恋の予感を飲み込むほどに、長く、濃く伸びていた。

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