砂埃、そして雄叫び
「オラァ! 右から来るぞ、耐えろ湊!」
「分かってる!」
放課後のグラウンド。
土埃と汗の匂いが充満する中、俺は歯を食いしばって踏ん張っていた。
俺の肩の上には騎手役の軽量級、山本が乗っている。
後ろを支えるのは、ラグビー部の高橋と、悪友の健太。
俺たちは『騎馬戦』の練習試合の真っ只中にいた。
ドスン! と鈍い音が響く。
敵チームの騎馬が体当たりを仕掛けてきたのだ。
「うおっ、重ぇ!」
「崩れるなよ湊! ここで耐えれば勝てる!」
後ろから高橋の野太い声が飛ぶ。
俺は太腿の筋肉を軋ませ、地面を掴むようにして衝撃を受け止めた。
以前の俺なら、こんな泥臭い接触プレーは避けていただろう。
だが今は、背中にかかる仲間の重さが、不思議と心地よかった。
「山本、今だ! 帽子取れ!」
「よし、きた!」
俺たちが体勢を立て直した一瞬の隙を突き、山本が敵の騎手の帽子をひったくった。
『終了ー! 青組勝利!』
審判役の飯田の笛が鳴り響く。
「っしゃあ! ナイス湊! よく耐えた!」
騎馬を解いた瞬間、高橋が俺の背中をバシバシと叩いた。
「お前、見た目より体幹強いな! さすが俺が見込んだだけあるわ」
「いってぇ……ゴリ、力強すぎだ」
「はっはっは! 悪い悪い!」
健太もニヤニヤしながら寄ってくる。
「やるじゃん湊。お前のおかげで無敗記録更新だな」
「お前らが支えてくれたおかげだって。それに労うなら山本だろ」
「いやそれな。俺を労えよ」
「「...」」
「なんでや!」
俺たちは汗だくのまま、顔を見合わせて笑った。
そこには、姉弟の複雑な事情も、監視の視線もない。
ただ勝利を共有する仲間としての俺がいるだけだった。
「休憩! 水分補給しろー!」
俺たちは木陰のベンチになだれ込んだ。
スポーツドリンクを回し飲みし、荒い息を整える。
「今の当たりの角度、もう少し修正しようぜ」
「ああ、俺がもっと低く入れば山本が届きやすくなるかも」
俺たちは次の試合に向けた作戦会議に夢中になっていた。
その時だった。
ベンチに置いていた俺のスポーツバッグの中で、スマホがブブブ……と鈍く振動した。
一度ではない。二度、三度と、短く連続して震えている。
恐らく結愛からだ。
『今どこ?』
『練習終わった?』
『早く帰ってきて』
そんなメッセージが届いているのは容易に想像できた。
以前なら、俺はパブロフの犬のように慌てて画面を確認し、言い訳の返信を打っていただろう。
「ん? 湊、スマホ鳴ってるぞ?」
山本が指摘した。
だが、今の俺の頭の中は、次の騎馬戦のフォーメーションでいっぱいだった。
「ああ……いいよ、あとで見る」
俺は画面を見ることすらせず、タオルで汗を拭った。
「それよりさっきの話だけどさ、高橋が左に回った方が強くないか?」
「お、鋭いな湊。実は俺もそう思ってた」
スマホの振動は続いていたが、俺たちの熱っぽい議論にかき消され、やがて気にならなくなった。
結愛の管理は、俺の充実の前では無力だった。
俺は無意識のうちに、彼女からの鎖をスルリと躱していた。
練習が終わったのは、日が完全に沈みかけた頃だった。
「湊、このあと皆でラーメン食って帰らね?」
帰り支度をしていると、高橋が誘ってきた。
「あー、行きたいけど……今日はパス。流石に疲れて足がヤバい」
本当は結愛のことが頭をよぎったわけではない。
単純に、久しぶりの激しい運動で太腿が悲鳴を上げていたのだ。
「そっか。まあ無理すんなよ。本番近いしな」
「おう、また明日な!」
校門で仲間たちと別れる。
「また明日」。
その言葉の響きが、明日もこの楽しい時間が続くことを約束してくれているようで、俺の足取りを軽くした。
家に着いたのは夜の八時を回っていた。
「ただいま」
玄関を開けると、結愛がスリッパを突っかける勢いで飛んできた。
「湊くん! 遅いよ!」
彼女の顔は強張っている。
「なんで連絡返してくれないの!? メッセージ、30件も送ったのに!」
「あー、ごめん。練習が白熱してて、スマホ見る暇なくてさ」
俺は靴を脱ぎながら、素っ気なく答えた。
「見る暇もないって……休憩時間くらいあったでしょ?」
「作戦会議してたんだよ。騎馬戦、結構ガチなんだ」
「……でも、一言くらい」
「悪い、本当に疲れたんだ。先にお風呂もらっていいか? 汗凄くて気持ち悪い。ごめん」
結愛が何か言い募ろうとしていたが、俺はそれを遮るように洗面所へと向かった。
彼女の心配や執着を受け止めるための精神的リソースが、今日は残っていなかったのだ。
「あ、夕飯は軽めでいいよ。昼の弁当凄かったし」
そう言い残して浴室のドアを閉める。
扉の向こうに取り残された結愛が、どんな表情で立ち尽くしていたのか。
今の俺は、それを想像するよりも、熱いシャワーで筋肉の疲れを癒やすことを優先していた。
鏡に映った俺の顔は疲労の色こそ濃いが、猫のヒゲを描かれた時の情けない顔ではなく、どこか男らしい充実感に満ちていた。




