木星の声
第二話となります。
物語が大きく動き始めます。
楽しんでくれると嬉しいです。
宇宙遊覧船生活、三日目。
アラームを止め、起き上がる。無意識に持っていた違和感は、伸びをすると不思議と消え去っていた。
ARのテレビ画面を呼び出し、現在の運行状況を確認する。木星まであと三分の二程度。今日中には木星に到着する予定だ。
今日は何をしようか、と考え晃に連絡する。数分もしないうちに返信が来る。
『とりあえず課題を片付けようぜ。あいつらがいる限り俺たちは自由になれない』
くすり、と笑い了解、とスタンプを押す。
寝ぼけた頭を覚ますためにシャワーを浴びる。暖かい水は不安も何もかもを洗い流してくれる。
シャワーを浴び終え、スキンケアをし、髪を乾かす。髪を乾かした後は服を着替え、化粧をする。そこまでガッツリではない。
食堂へと向かう。すると食事中の晃がいた。
「おはよ」
晃は意外に思えるが朝に強い。私が着いた時には既にハンバーガーを半分ほど食べていた。
「朝からよく入るねえ……」
「ガッツリ食わねえと元気出ないだろ。天音も飯食えよ」
促されるまま自動販売機へと向かい、焼きおにぎりを選択する。食事を邪魔するのも悪いと思い、温まるのを待ちながらスマホでニュースを軽く流し見する。すると気になる記事を見つける。
『木星衛星エウロパ、微弱な信号発信を確認。探索時の遺物か』
エウロパ。確か木星探索時に人が住める環境と判断されて探索が進められたが、原因不明の事故により開発が中断された、と聞いたことがある。誰から聞いたんだっけ……。
それ以上踏み込むな。頭を疼痛が襲う。
思考停止を促すように温め完了のブザーが鳴る。相変わらず加減を知らない温め方だ。
袋の端っこを摘むように持ち席へと移動する。
「この自販機、めちゃくちゃ加熱するよな。なんでだろ」
「うーん、宇宙空間にいる細菌とかを滅するために?」
「宇宙空間って細菌いるのか?」
「知らない」
そんなくだらない話をする。
くだらないという自覚はあるのか。そうだ。だってこれが日常だもの。
熱い焼きおにぎりを空気に晒し冷ます。
「そういえばニュースでエウロパに──」
そこまで言った途端、再び疼痛が頭を襲う。ガンガンと金属を叩くような音が、脳を支配する。
その先を、言うな。私じゃない誰かの声が頭を占領する。私の思考が、インクを垂らした紙のように“何か”に染められていく。
痛い。痛くて何も考えられない。思わず頭を抱えてしまう。
「──!」
晃の声が聞こえない。必死な顔が目に映る。
聞かせるものか。お前に言っている。これは警告だ。あの子に近づくな。あの子は私のものだ。渡さない、渡さない、渡さない!
誰? 誰なの。私じゃない。
私じゃない? 当然だ。私は“私”だ。お前たちとは違うのだ。いいか、警告はした。
──エウロパに近づくな。
どれほど時間が経ったのだろうか。気がつけば私はベッドに寝かされていた。
「っ、天音」
私が目覚めたのを察したのか、勢いよく立ち上がった晃が私の手を取る。
「大丈夫か?何があったんだ? いや、急かすほうが身体に悪いな。……落ち着いたか?」
「うん、私……」
「急に頭を抱えたと思ったら気絶したんだ。一応医療AIに見せたけど原因は心因性によるもの、としか。……本当に大丈夫か?」
ふと時計を見る。時刻は十四時を過ぎていた。食堂へ行ったのが八時すぎだったはずなので六時間近く私は失神していたようだ。
「……声を聞いたの。『エウロパに近づくな』って」
「エウロパに?」
「うん……わからないけど、焦ったような、怒っているような……でもなぜか泣き出しそうな声、だった」
感じ取った悲しさを思い出し、ちくりと胸が痛む。あの焦燥はなんだったのだろうか。
「あのさ、私の言葉に応じてくれたってことは、何かしらの対話手段があると思うの」
「……本気で言ってるのか?」
「うん、私たちがエウロパ目的じゃないってことをわかってくれれば、どうにかなるんじゃないかな」
「だけど一方的にキレてくるような相手だろ? 俺、お前にまた何かあったら、その時は……」
手を握る力が強くなる。手が震えているのに気付かないふりをして、その手の上に手を重ねる。
「大丈夫だよ、わかってくれるはず」
私には、なぜか確信が持てた。あの声の主が“あの子”を大事にしているなら、それをどうにかする行為はとらないはず──。根拠のない自信が私を駆り立てた。
「お前がそう言うならいいけどよ。……絶対に無茶するなよ?」
「うん、わかってる。約束」
額を合わせる。昔からの癖だ。
二人の”絶対”の約束。揺るがない信念の証。
これを始めたのは、幼稚園時代。
転んで膝を擦りむいて、痛いと泣く私に晃がかけてくれたおまじない。
「あまねちゃん、いたくない?」
「まだいたい……」
べそをかきながら泣く私を、晃は抱きしめる。
「じゃあもうこんなことがおきないよう、ぼくがあまねちゃんのことをまもるから」
「こうくんが?」
一度離れたあと、晃は私の額に自身の額をくっつけ、言う。
「やくそく。ぼくはこれからずっとあまねちゃんのことをまもるから、あまねちゃんはぼくのちかくにいてね」
「……わかった、やくそくね。わたし、こうくんからぜったいはなれないから」
そのまま晃に連れられ先生の元へ行く。そんな、幼いころの何気ない一幕。
……晃は覚えているのだろうか? そんな疑問を抱くが、今は関係ない。
手を軽く握ったのち、揺るがない信念を持つと、頷く。
深呼吸をする。そして語りかける。
(私たちはあなたたちに害をなさない。教えて、あなたは何者なの?)
金属音が脳内を駆け巡る。
(私は私だ。……お前は私が怖くないのか)
(怖いよ、でも分かり合いたいから、こうして話しかけているの)
正直、またあの頭痛を体験すると考えると恐怖を感じる。ふと、私の手が握られる。見ると晃が私をまっすぐ見ながら無言で頷いていた。
(あなたのことを教えて。私は空木天音。……なんでこうして会話ができているのかわからないけれど)
(ウツギアマネ……そこまで知りたいのなら答えてやろう。私に個体名はない。私は木星に住まう思考の集合体だ)
「なっ……」
驚きのあまり声が漏れる。思考の集合体。脳は電気信号で動いていると聞いたことがある。磁場で発生した電気から生まれた知的生命体とでも言うのか。
(知的生命体、と言うには若干異なるな。私は空気上に存在する。あの子を一人にしたくなくて、生まれた存在だ)
「そんなの……神様みたいなものじゃん……」
世界の根底を覆す前提。驚きのあまり絶句してしまった。
「な、なあ! なんで天音にだけ聞こえるんだよ!なんで俺には聞こえないんだ!」
晃が叫ぶ。そう、一番の問題はそこなのだ。なぜ私にだけ、彼の声は聞こえるのか。
(知らない。興味がない。そう伝えておけ)
「知らない、興味がない、だって……」
「無責任かよ。あんたのせいで俺の大切な人が傷つく手前だったんだ、知る権利くらいはあるだろうが!」
私の手を晃が強く握る。晃はとても怒っている。私が倒れたことに。
(ラジオはあるか)
(? 多分あるとは思うけど)
(周波数を指定しろ。そこで全て話す)
ぶつん、と途切れるような音。晃に話されたことを伝える。
「どこまでも上から目線かよ、クソッ……」
悔しそうな顔をする晃。私はゆっくりと立ち上がり、コンシェルジュAIに尋ねることを提案する。
「このままじゃ何かわからないでしょ、行動しなきゃ」
「ダメだ、俺が探してくる。天音は休んでいろ」
「大丈夫だよ、寝たらすっきりしたし」
「違う、そうじゃない、また天音が倒れたりしたら、俺は……」
晃の声はどんどん小さくなっていく。私のことを心配しているのが痛いほど伝わってくる。胸が痛む。
「私、そんなに軟じゃないよ。大丈夫、脳内で話しかけられるより、ラジオで話しかけられた方が私が楽になるから」
「……そうか、ラジオなら天音の身体に負担はかからない、よな……。……行こう」
そうして部屋を後にする。
ラウンジのコンシェルジュAIにラジオの場所を尋ねたところ、緊急時用のものがいくつか船体に取り付けられている、とのことだ。場所はラウンジ、食堂、上級客室など様々な場所にあるらしい。
手始めにラウンジの壁に取り付けられたラジオを探す。
割と奥まったところにあり、一見してラジオとはわからない見た目をしていた。
「これかな?」
「多分、これじゃね?」
晃が電源と思わしきボタンを押す。するとARの画面が出てくる。
「こちらは非常放送用ラジオです。金星遊覧船──」
無機質な女性の声が流れ始める。その声をよそに、空白を流し続ける周波数を選択する。
(これで問題ない?)
すると急にラジオは激しいノイズ音を走らせた後、うんともすんとも言わなくなる。
(……すまない、人の子の作るものは脆いことを忘れていた。私の出力した電波にラジオが耐えれなかったらしい)
半ば呆れながら、晃に説明をする。晃も呆れた顔をしていた。
「とりあえず次は食堂かな」
「そうだな」
コンシェルジュAIにラウンジのラジオが壊れたことを伝え、食堂へと移動する。
この船は定員が五十名となっており、そこそこの広さがある。
勿論、食堂もその分広めのサイズとなっている。
「自販機とかの近くにはないよね?」
「そうだなあ……うーん、廊下側の壁か?」
二人してああでもない、こうでもない、と手探りで探す。先ほどのラウンジと同じ作りであるならばスイッチがあるはずだ。
「あったぞ!」
晃の声がする。そちらに向かえば確かにスイッチがあった。
「とりあえず押してみようか」
「ああ」
晃がスイッチを押す。するとラジオのARではなく、小さな棚が出てくる。
そこには非常食のレーションが大量に入っていた。
「……あたり? はずれ?」
「……うーん、今回に限ってははずれかも」
きっと遭難時用の非常食なのだろう。一個手に取ってみると賞味期限は3年以上先だった。
「案外窓側にあったりしたりして?」
「そんなことあるか?いや、電波が入りやすいっちゃ入りやすいもんな」
今度は二人で窓側を探す。すると、窓の一区画に生体反応式のスイッチがあることに気付く。
「これかぁ……?」
晃がスイッチを押す。するとラジオのAR画面が浮かび上がる。
今度こそ、と同じ空白の周波数を入力する。すると多少のノイズが入ったのち、声が入る。
「これでどうだ」
低いテノールの声が響く。どうやら接続は成功したようだ。
「うん、大丈夫だよ」
「それよりお前、まず天音に謝れよ! お前のせいで、天音はっ……」
今にも泣き出しそうな声で晃は叫ぶ。その声が私の胸に突き刺さる。
「晃……」
「それに関しては私の暴走だ。すまない、人の子よ。謝罪をさせてもらおう」
「それですむかよ、お前のせいで天音が再起不能になったらどうしてたんだよ! お前が大事に思っているやつがいるように、天音のことを俺だって……!」
「晃!」
今にもラジオに殴り掛かりそうな勢いの晃の右手を握る。大丈夫、自分はここにいると。
「本当にすまない、今まで飛行船に乗った者で私の言葉に反応したものはいなかったんだ。だから私は出力を間違えた」
「言い訳すんなよ……!」
晃の左手を見ると、血が滲みそうなほど拳を握りしめているのが見えた。
「やめて、晃。お願い。自分を傷つけないで」
もう片方の手で左手に触れる。指を一本一本開かせる。そして傷跡を庇うように手を握る。
「あのね、晃が私のことで怒ってくれるのはすごく嬉しいよ。でも晃がそれで自分を傷つけるのは悲しいの。もう過ぎたことだから、大丈夫だよ。私はここにいる」
晃を見つめる。晃は目線を逸らすと「悪い」と一言だけ呟く。
「……お前たちは、触れあえるのか。うらやましい」
ラジオからぽつり、と声が漏れる。その声は、深い悲しみに満ちていた。
ラジオへ思わず視線を向ける。
「お前たちは、ってことは、あなたは……」
「私はもともと形がない。触れあえることなどできないのだ。それに木星は、強い放射線を出していることはわかりきっているだろう。あの子が近づいたりなどしたら……」
あんなに威圧的だった声は、すっかり萎縮しきっている。
「木星から離れられないの?」
「私は磁場が発生させる電波からできた思考の集合体だ。木星から離れたところで触れられるような形にはなれないよ」
溜息のような形でノイズが入る。電磁波の溜息ってノイズなんだ。初めて知った。
「それで、エウロパに近づいちゃダメな理由ってなんなんだよ」
晃が尋ねる。確かにそれは気になっていたことだ。
「お前たちは知らないのか。あの衛星は、過去に人間によって開拓されていた土地だ」
顔を見合わせる。そういえば知ってはいるが、そのような報道を聞いた記憶がない。
「……どういうことだ?」
「さあ、あれも昔のことだからお前たちでは知らないかもしれないな」
試しにネットで「エウロパ 開拓」というワードで検索する。確かに十五年ほど前にエウロパが開拓されていた、という記述は見つかるが、その後の報道は不自然なほどない。晃に画面を見せながら言う。
「……十五年ほど前に、開拓されてたみたい。でもその後が不自然なほど報道されてないよ」
「確かにこれは不自然だな……どういうことだ?」
「まあ、確かにあれに関しては隠したい部分が多いだろう」
低いテノールは続ける。
「あの子が、暴走してしまったからな」
悲しそうな声が響く。気まずい雰囲気が流れる。
「……てかよ、さっきから気になってたんだけどお前らって名前ないの? めっちゃ不便なんだけど」
話題を変えるように晃が尋ねる。
「個体名か。先ほど答えたが、私に個体名は存在しない。好きに呼ぶがいい」
名前がない。二人して顔を見合わせうーん、と悩む。木星の人、などと呼んでもそもそも人ではないからだ。
「うーん、なんかいい呼び方、あるか?」
木星に関連する名前を検索する。ふと、一つの名前に目が留まる。
「……ユピテルはどう? 木星の神様。気象現象を司る神様」
「まあ形がないっていう意味では神様っていう時点で似たようなもんだしな、いいんじゃね?」
ラジオの向こうでしばしの沈黙が続いたあと、答える。
「ユピテル、か。……不思議な気分だな、悪くない」
気に入ってもらえたようだ。ほっとする。
「じゃあこれからあなたはユピテル。よろしくね」
「ああ、そう呼んでもらえると嬉しい」
一瞬晃が不機嫌そうな顔をしたが、そちらを見るとなんでもない顔をする。一体どうしたのだろうか。
「それで、あの子が暴走したって──」
声を出した瞬間、船体軋む音がする。船内に警報が鳴り響く。
「緊急事態発生。謎の重力を検出。走行不能、走行不能。乗客の皆様におきましては速やかに近くの宇宙服を纏ってください。繰り返します──」
「まさか……おい! やめなさい! やめるんだ!」
ユピテルが私たちではない誰かに語りかけている。焦燥感が胸をよぎる。どうにかしなければ、という気持ちに支配される。
ふわり、と一瞬身体が浮いたのち、床が斜めになる。どうやら墜落するようだ。焦燥感がさらに増していく。どうしよう──!
「おい、非常室に行くぞ!」
晃が肩を掴んできたことにより我に返る。
「ごめん、ちょっと通信途切れるから! 急ごう、晃!」
近くの非常室へ入る。そこには万が一のための宇宙服が置いてある。宇宙服にも進化はない。分厚いヘルメットに全身を覆う形のつなぎのような服。それらを身に纏い、酸素ボンベを背負う。
船内が傾く。警報が鳴り響く。急いで食堂へと戻る。
「おい! お前、なんかしたのかよ!」
「違う、私ではない。あの子が泣いている。何故だ、一体どうして──」
焦った様子の声が聞こえる。ユピテルとしてもこの状況は予測不能だったようだ。
「それって一体……?」
「あの子がこんなに取り乱すなんてあの時以来だ、どうしてだ、おい、聞こえるか! 私だ! 頼む、落ち着いてくれ、私はここにいる!」
ユピテルは”あの子”に語りかけているようだ。焦燥感が再び胸に押し寄せる。
(どうして、どうしてとるの)
脳内に幼い子供の声が流れてくる。
「……?!」
「天音……?」
(ぼくのだ、ぼくの。とるな、とるな、とるな!)
脳内の声はどんどん大きくなる。
(ずるいずるいずるいずるい! ぼくのだ、ぼくのだけなんだ、どうしてうばう、うばわないでよ!)
「声が……!」
声が大きくなるにつれ、胸が何か締め付けられるような感覚がする。
「あの子だ、すまない、落ち着くように言っているのだが……」
「──」
ぽつりと晃がなにかを呟いた気がするが、そこまで気が回らない。晃と共に近くの手すりに捕まり、座り込む。
「不時着します。衝撃に備えてください。繰り返します──」
重力がどんどん増していく。手すりだけでは心もとなく、晃にしがみつく。
「天音、絶対に俺から手を離すなよ!」
晃が私を抱きかかえる。速度はどんどんと増していき、それに伴う重力が身体にかかっていく。
衝撃が身体を走る。
「ああ、どうして──」
「天音、しっかりしろ、おい!」
ユピテルと晃のそんな言葉を聞きながら、私は意識を手放していった──。
文章が頭の中に降り注いでくる瞬間がなんとも言えない快感です。
おまけ
空木天音
記憶力はいい方。
朝陽晃
瞬発的な記憶力があまりよくない。




