1-5 帝都の歌姫・絢麗
――翌日。
会場に着くと少し早かったのか、まだ人影はまばらだった。
(色んな人が受けに来てるんだな)
昨日は気が付かなかったが、男女問わず様々な年齢層がいる。
その時一人の女性が、翠蓮の右隣に腰をおろした。
上質の絹糸で織った贅沢な衣装に身を包んでいる。
年は翠蓮より上だろうか。
切れ長な目元や、ツンと上を向いた形のいい鼻は、彼女の気位の高さを表しているようだ。
翠蓮は席札に目を移す。
――絢麗
絶大な人気を誇る、帝都の有名歌姫だった。
(この人が――)
隣にいるのが場違いな気がして、翠蓮は絢麗とは逆に目を向けた。
すると、何かが視界を滑った気がした。
女性が倒れている。
「大丈夫ですか!?」
駆け寄り上体を起こすが、返事はない。
上から声が降ってくる。
「緊張から来る貧血でしょう? 体調管理も実力のうちよ」
仰ぎ見ると、絢麗が醒めた目で見下ろしていた。
「でも、放っておくわけには……」
翠蓮の言葉に、絢麗はくすっと笑った。
「そう思っているのは、あなただけではなくて?」
はたと周りを見回すと、皆遠巻きに見ているだけだ。
そして誰も彼も白い目をしている。
「ここにいる人は皆、競い合うべき敵なのよ。
お節介で歌が歌えて?」
「そんな言い方……」
口を開きかけた時、翠蓮の後ろから声が聞こえた。
「じゃ、俺もお節介でいーわ」
現れた男性は周囲の視線など物ともせず、さっと倒れた女性を背負い、出口にずかずか歩き出す。
翠蓮も慌てて後を追った。
彼は審査員に女性を引き渡すと、一仕事終えたように大きく伸びをする。
そして、遠くから歩いてくる審査員を目にして顔色を変えた。
「おい! もう始まるぞ。急げ急げ!」
急き立てられ、翠蓮は足がもつれそうになりながら着席する。走ったせいで胸がどきどきする。
息をつく間もなく、審査員が入室した。
「歌人のニ次試験は『即興歌唱』です。
白紙の譜に、伴奏に合わせて作詞作曲してください」
(譜って……何?)
翠蓮は初めて "譜" という言葉を聞いた。
故郷では、音楽は身体に叩き込むものだった。
試験会場のざわめきを無視して審査員は続ける。
「できた人から提出し、歌唱してください」
伴奏を聴けるのは一度きりと言う。
耳の良さと記憶力、譜への理解が問われる。
ざわめきが大きくなる。
「聞き取るだけでも大変なのに、歌詞も……?」
「時間、二刻だけ?」
――今年の二次は殺しに来てるらしいよ
周りの反応は、明鈴の噂通りだ。
(やるしかない)
こうなったら少しの音も聞き漏らすまいと、翠蓮は息を詰めた。
程なくして伴奏が流れる。
楽器は一つではなく、複数の音が重なり合っていた。
(どうしよう……どうすれば……)
曲の雰囲気は掴めた。
しかし、譜にどう書けばいいか分からない。旋律は浮かんだと思っては消えてしまう。
冷たい汗が背中を伝った。
その時――
「できました」
絢麗が手を挙げた。
迷いのない凛とした声に、会場の空気が止まる。
審査員は絢麗に近寄ると、譜を見つめる。
「よろしい。審査の間に移動しなさい」
口には出さなかったが、審査員の感嘆したような表情から、彼女が上出来であることが読み取れた。
絢麗はゆっくりと立ち上がり、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「お先に」
そう言い残し、悠然と去っていった。
翠蓮の胸に焦燥感が広がっていく。
残り時間は半分を切っただろうか。
「そこまで」
審査員の声が大きく響いた。
時間前に譜を完成させて部屋を出た者は、絢麗だけだった。
「この後譜を回収しますが……辞退希望者は挙手してください」
一人また一人と、受験者たちが退出する。
故郷や家の期待を背負ってきたのだろうか、中には人目をはばからず泣き崩れる者もいた。
今朝いた百人ほどの受験者は、この時点で十人にまで減っていた。
そのことがこの試験の難易度を物語っている。
「では譜を回収します」
皆、次の歌唱試験のことを思い、空気は重々しい。
審査員は譜の確認を進めていたが、驚いた顔で二度見した。
――翠蓮の譜は白紙だった




