1-4 母の形見と炎辰
明鈴が出て行った後、誰かの視線を感じ、翠蓮は暗くなった外に目をやる。
木々や庭の隅に、雪がわずかにあるだけだ。
翠蓮は寝台に、ぼすっと寝転ぶ。
「皆、すごく上手だったな。
安易に村を飛び出してきちゃったけど……そんなに甘い試験じゃないよね……」
城壁を見た時のわくわくした気持ち。それは少しずつしぼみかけていた。
「こんな気持ちじゃ駄目よ、翠蓮……明鈴と、合格するって約束したじゃない?」
元気を出そうと、腹に力を入れてぐっと身体を起こす。胸に手を当てて深呼吸してみると、翠蓮はいくらかすっきりした気持ちになった。
「みんな……元気にしてるかな……」
ぽつりと呟き、襟元から首飾りを取り出す。首から外して手に取ると、美しい蒼色がきらめく。
まるで夜の海のような深い蒼色――
母の遺品整理の時に出てきたという。
「母君は、宝石は好まなかったようだがな」
翠蓮に手渡しながら、楽団長は首をかしげていた。
半月を思わせるしなやかな弧を描くその石は、無駄な装飾はない。すべすべした感覚が気持ちよくて、無意識に石を撫でる。
「確かに、あんまりお母さんらしくないかな?」
記憶の中の母は、儚げで淡い色が似合う。この蒼色をまとわせた母を想像するが、少し、ちぐはぐかもしれない。
ふと、蒼瑛皇子の顔が、思い出された。
(なぜ、あの方の顔が――)
思わず石を撫でる手を止めた。
彼に指をとられた時に、身体に流れ込んで来た感覚。あの懐かしさは何だったのだろうか。
「どこか出会ってるとか? そんなわけないか」
皇子と言えば、"殿下"と呼ばれていた紅い瞳の胴鎧の彼――
「あの人が、蒼瑛殿下の御兄様……」
なぜかちくりと胸が痛む。
助けてくれたのに、きちんとお礼もできなかった。
石を両手で包み込む。
いつもならこの石に心癒されるはずなのに、今日に限って胸のざわつきが消えない。
翠蓮は、その違和感から逃げるように、無理やりまぶたを閉じた。
◇ ◆
宮廷北側にある書斎は暗闇に包まれていた。
中では机を囲うようにして、数人が座っている。
その中心には、蒼瑛の兄である炎辰が腰を下ろしていた。
彼こそ、本来であれば揺るぎなき皇位継承者のはずだった。
本来であれば――
現皇帝は、能力主義と称して皇子達を競わせる方針を公言している。
そのせいで、宮廷派閥は揺れに揺れ、足の引っ張り合いも絶えない。
炎辰の側近の一人が、苛立った様子で声を上げる。
「まだ何も掴めぬのか!?」
側近たちは黙したまま、窺うように視線を走らせる。
蝋燭の灯りが揺らぎ、炎辰を不気味に照らした。
皇后である母親譲りなのだろうか。
冷酷さと計算高さ、そのすべてを血の中に受け継いでいるかのようだった。
仕切っていた側近は大きなため息をつく。
「全く、楽府なんて無駄な組織だと言うのに……」
楽府創設の話が出た当初から、炎辰派の臣下たちは官僚を通じ反対意見を奏上したり、ありもしない噂話を流布した。
だが、どれも功を奏さなかった。
そして腹立たしいことに、当の蒼瑛は、どれも意に介さないというように涼しい顔をしているのだ。
それまで黙っていた炎辰は、鋭い光を目に宿し、短く言葉を発する。
「何か、ないのか?」
そのひと言に、側近たちは息を飲んだ。
前回失敗した仲間は、炎辰の一声であっさり手打ちになった。
「次は自分かもしれない」と言う恐怖から皆、身をすくめる。
にわかに昊天が名乗りを上げた。彼は炎辰に仕えてから、高官へ昇進していた。
「炎辰さま、買収した審査員から面白いことを聞きました。翠蓮という娘がおりまして……――」
炎辰はわずかに唇を緩めた。
その歪んだ笑みに、昊天はたじろぎ衣で汗を拭う。
「……明日の歌人の審査、蒼瑛殿下はご不在のようです。
少々の騒ぎをお許しいただければ、例の娘を追い詰めてみましょうか……」
「……くれぐれも大ごとにしてくれるなよ?」
抑揚のない声だが、言外には悪意が滲んでいた。
「御意にございます……」
書斎には側近達の、不気味な笑い声が低く響いていた。




