3-4 皇帝からの命
蒼瑛に頼み事があると言われ、書斎に寄った翠蓮は、驚いた声を出す。
「私が、芙蓉妃さまのお部屋にですか?」
「あぁ……申し訳ない。皇帝からの命なんだ……」
蒼瑛は皇帝に呼び出された時のことを思い出していた。
◇ ◆
皇帝からの突然の呼び出し。
何事かと居宮に直行すると
「楽府歌人である翠蓮を、芙蓉妃の寝殿に遣わすように」
という命だった。
皇帝は、芙蓉貴妃の不眠から来る体調不良に心を傷めていた。そんな時、楽府の選抜試験で宮廷中の知るところとなった、翠蓮の揺りかごの唄に思い至ったという。
「派遣するのは構いませんが、あくまで歌です。不眠が解消される保証はありません」
蒼瑛は何度もそう言った。
皇帝はそれでも良いと譲らないため、蒼瑛は折れる形だった。
◇ ◆
「そんな訳で……一度歌ってきてもらえないか」
「私の歌でよろしければ。お力になれるか分かりませんが……」
蒼瑛は不安だった。
第六感なのだろうか。後宮に翠蓮を近づけることに嫌な予感がする。これは、蒼瑛が後宮をよく思っていないせいなのか。
だが父とは言え皇帝の命だ。
蒼瑛は立ち上がると、翠蓮に書状を手渡す。
「夕方、女官が迎えに来る。詳細はここに」
「承知いたしました」
しばし、二人の間に沈黙が流れる。
二人きりで会うのは、北方の貴族の饗宴以来だ。
あの時蒼瑛は、「何があっても離れない」などと告白めいたことを口にしたため、少し緊張していた。
それをごまかすように書類を眺めて問いかける。
「翠蓮、今は困っていることはないか?」
「はい、おかげさまで。いつもお気遣いいただきありがとうございます」
以前より元気そうだ。翠蓮の笑顔を見ると、蒼瑛の気持ちも明るくなる。
ただ、何事も感じていないような翠蓮の態度が、少し残念でもあった。
(翠蓮との関係が進捗することでも望んでいたのだろうか……)
一人の男性としてこの気持ちに気付いてほしいが、身分やしがらみを考え出すと答えが出せなかった。
「あ……こちら……」
翠蓮は思い出したように書類を取り出した。外出許可を得るための申請書だ。楽団師匠の香蘭の認印が押してある。
「香蘭先生から預かって参りました。外出許可証です」
「ありがとう」
宮廷では安全管理の都合上、外出には許可がいる。蒼瑛は数名分のそれをパラパラと確認する。
太凱と翠蓮の行き先が同じことに気づいた。
「……太凱と外出するのか?」
気づいたら声に出していた。普段蒼瑛は、よほどのことがなければ人の外出に口は出さないことにしている。責任者である自分に、外出先までごちゃごちゃ言われるのは皆苦痛だろうと思ってのことだ。
それなのに、翠蓮が男性と外出すると知ると聞かずにはいられなかった。
「はい、明鈴がもうすぐ誕生日なので、贈り物を買いに行こうと話しています」
「……うらやましいな」
寂しそうな顔に、ハッとしたように翠蓮は尋ねる。
「なにかお土産を。どのような物が良いですか?」
蒼瑛は首を振った。
「いらないから、許されるなら私も外出したい……かな」
"君と――"と言いかけたが言葉を飲み込む。
翠蓮は少し困ったような顔をした。
「……そんな顔をするな。たまには夢を見ても良いだろう」
蒼瑛は今までにない感情を翠蓮に抱いていた。それは嫉妬に混じる"怒り"。
どうして自分ばかり想っているのか。一喜一憂するのは、いつも自分ばかり。今だって、言葉の裏に込めた想いに、翠蓮はきっと気づいていない。
蒼瑛はさらに一歩距離を詰める。
「翠蓮……少し位、私のことで心を揺らしてはくれないのか?」
「蒼瑛さま……」
すぐ近くで翠蓮の浅い呼吸を感じる。身体を硬くして、きゅっと目を閉じている。
初恋の人が、手を伸ばせば触れられる距離にいる。無防備なその姿を見ていると、蒼瑛は気持ちが抑えられなくなった。
(もう皇子としての身分などどうでもいい……)
蒼瑛の手が翠蓮の輪郭に伸びそうになった時――翠蓮は閉じていた目を開いてその手を掴んだ。
時が止まったようにお互いの視線が絡み合う。
先に口を開いたのは翠蓮だった。
「やっぱり……お土産買ってきますね……」
そう言うと、すっと蒼瑛から手を離し、視線を逸らす。まるで先ほどまでの甘い空気を断ち切るかのように。
「あぁ、気を付けて……」
一人になった書斎には先ほどまでの熱は無く、酷く無機質で冷たい空間に思えた。
「拒まれてしまったな……」
それでも気持ちを伝えたほうがまだ良かったのかもしれない。こんなにも苦しいのだから。
「いや」
蒼瑛は首を振る。
「これで良かったんだ。伝えた所で困らせるだけだ」
悲しみを押し殺すように呟いた。
◇ ◆
書斎を出た翠蓮は、心臓が飛び出しそうだった。
「……ごまかしちゃった」
あの夜、「何があっても離れない」「信じてほしい」そう言ってくれたことが嬉しかった。
母が亡き後も、故郷の皆は良くしてくれた。それなのに蒼瑛の言葉で、翠蓮は初めて自分の寂しさに気づいてしまった。
そして、蒼瑛に特別な感情を抱き始めていることも。
「傷つくのが怖い……」
もしこれが恋だとして、どうなるというのだろうか。生まれも身分も何もかも違う。認めても辛いだけだ。
「大丈夫、まだ忘れられる……私には歌がある」
翠蓮はぎゅっと両手を握りしめた。




