1-1 二人の皇子
「返してください!」
翠蓮の悲痛な叫びが陽華宮にこだまする。
その前で若い宮女三人が面白そうに、何かをひらひらと宙に舞わせている。
「下女の面接に来たんでしょう?」
「違います! それは藩王さまの推薦状なんです……」
翠蓮は負けじと言い返し、書簡に手を伸ばす。
しかし、せせら笑いとともに、それは天高く掲げられてしまう。
「いくら創設第一期と言ったって、陽国の由緒正しき楽府よ」
「そんな貧しい身なりで試験を受けに来たなんて、冗談でしょ?」
翠蓮は一瞬言葉に詰まった。
紬の衣は宮廷には相応しくないかもしれない。
だが、孤児である翠蓮にとったらこれでも一張羅だ。
からかい混じりの声が耳を突く。
「楽器も持っていないじゃない」
「歌人なんです!」
必死の声と共に、突風が吹いた。
「あ」
宮女の指が開き、白い薄紙が空に吸い込まれる――
翠蓮は思わず地を蹴るが、次に鈍い痛みが走る。
重心を崩した身体は、顔から砂利の上に転がっていた。
「何をしている」
冷たい声――
急いで顔を上げると、飛びかけた推薦状は、男性の手に収まっていた。
宮女達は凍りつく。
「で……殿下」
そう呼ばれた男性は、無表情に続ける。
「警備の仕事を増やすな」
「……申し訳ありませんっ!」
先ほどの態度が嘘のようだ。
皆怯えたように、頭を下げたまま動かない。
「行け」
そのひと言で、宮女達は蜘蛛の子を散らすように走り去った。
彼はため息をつき、翠蓮へ押し付けるように推薦状を返してくれた。
炎を思わせる紅い色とは逆に、底に冷たさが潜む瞳――
端正な顔立ちだけではない。人を惹きつけるなにかがあった。
お礼を言うのも忘れ、しばし見入る。
「急ぐんじゃないのか?」
翠蓮が我に返った時、彼は既に背を向けていた。
「ありがとうございました……!」
届いたはずの声。しかし彼が振り返ることはなかった。
(行ってしまった……)
翠蓮は推薦状を握りしめ、試験会場に走り出す――
が、すぐにその足は止まった。
「……場所、聞けばよかった」
広大な敷地で、翠蓮は呆然と立ち尽くした。
◇ ◆
「すみません、遅くなりました!」
試験会場の扉を軋ませ中に飛び込むと、視線が一斉に翠蓮に向いた。
わずかに嫌悪の色が見える。
無理もない。
彼らの目に映った翠蓮の姿といったら――
髪は乱れ、顔と衣は泥に塗れ、おまけに遅刻していた。
女性の審査員が翠蓮と、薄汚れた推薦状に代わる代わる目をやる。
そして、ひと言告げた。
「時間厳守よ。残念だけど受け付けられないわ」
「そんな……」
雪深い辺境の地から、馬や徒歩を乗り継いで二十日間。
歌人だった母に憧れ、
『歌で人の心を動かしたい』
その一心でここまで来たというのに。
送り出してくれた故郷の皆に、なんと言って戻ればいいのか。
「まぁまぁ、良いではないか」
割って入ったのは、陽国の第二皇子。
理知的な静けさを宿した蒼い瞳。
天女を思わせるような優美な動きで袖が揺れ、中性的な美しさを醸し出している。
「蒼瑛殿下、しかし、この者は……」
「事情があったのだろう、な?」
優しい微笑みが、翠蓮の心に真っ直ぐ差し込む。
思わず喉の奥が熱くなった。
蒼瑛の瞳に、翠蓮の翡翠色の瞳が映る。
刹那、彼はぴたりと固まった。
「あの……」
不思議そうな翠蓮の声に、審査員の声が重なった。
「……今回限りですよ」
渋々、といった様子だが、機会をもらえるなら何でもよい。
断ち切られた望みが、首の皮一枚で繋がった。
足に力を入れて、しっかりと立つ。
審査員達の厳しい顔を前に、翠蓮の握り締めた手は震えていた。
(駄目で元々――)
腹に力を入れ、結んだ唇を開く。
空気と調和するような柔らかな歌声に、乗り気でなかったはずの審査員達は目を閉じ、耳を澄ませる。
次第に、審査員たちの表情が変化して行く――
翠蓮は歌い終わると小さく息をつき、頭を下げた。
年かさの審査員が、蒼瑛に尋ねる。
「殿下、合否はいかがなさいますか?」
蒼瑛は、まるでその声が耳に入らないようだ。
翠蓮を射るように見つめたまま動かない。
「殿下?」
返事はない。しばし静寂が流れる。
その間に、翠蓮の鼓動はうるさく跳ね、強く握りしめた手には汗がにじんでいた。
(……落ちたの?)




