3-2 芙蓉妃と蒼瑛 ※12/24 2-2.5更新しました
書斎を出ると、蒼瑛は後宮にある貴妃宮へ足を運ぶ。皇帝である父より「たまには芙蓉の元へ顔を出せ」と言われたためだ。
母親との関係は悪くないが、蒼瑛は後宮が苦手だった。
女性の化粧や香のむせ返るような匂いのせいなのか、はたまた、ここにうずまく欲望のせいなのか、後宮は彼を陰鬱とした気持ちにさせる。
また、幼少期に育った後宮にいい思い出がなかった。常に比べられ、庶子と蔑まれ、周りからの評価に応える日々――
「嫌なことを思い出したな……」
蒼瑛はため息をつくと、扉を開く。
「待っていましたよ、蒼瑛。久しぶりね。」
「ご無沙汰しております、母上」
蒼瑛に母と呼ばれるこの女性は柳 芙蓉。
柔らかく微笑む姿は、年を召したとはいえ、絶世の美女揃いの妃嬪の中でも、未だに人目を引くほど美しい。
彼女は皇帝の寵愛を一身に受け、蒼瑛の出産後に、淑妃から貴妃に封号を上げた。
「蒼瑛、あなたちっとも来てくれないんですもの」
少し寂しそうな母を見ると、蒼瑛は悪かったなと言う気持ちもある。
彼は芙蓉妃を、母として貴妃として敬愛している。だが、母と娘のように、他愛ないおしゃべりを楽しむことは気恥ずかしかった。
年頃の娘が、父親にべらべら話すことがないのと同じようなものだ。
蒼瑛は目で着席を促され、芙蓉妃の前に座る。
「すみません、忙しくてつい……」
「いいのよ、あなたももう成人したのですから。母も子離れして楽しんでいますよ」
芙蓉はふっと微笑む。
"子離れ"の言葉通り、芙蓉妃は皇帝や蒼瑛に依存せず、後宮での自分の役割を見つけ日々忙しく過ごしている。こういう明るく自立しているところが、皇帝の寵愛を得る所以なのか。
彼女は真剣な顔になると、蒼瑛をじっと見る。息子の表情に疲れを見て取ると、諭すように言う。
「あなた……また無理してるでしょう」
「……別にしていませんよ」
「昔からすぐ、いい子になろうとするんだから」
「もう"いい子"という年ではありませんよ……母上こそ……」
話題をそらそうと思った時に、母の目元に深いクマがあることに気がつく。
「あぁ、これ?嫌ね年を取ると……」
「眠れないのですか?」
芙蓉は寂しそうに下を向く。
「後宮の女性は、皆不眠症よ」
重くなった空気を察し「冗談よ」と言い添えられるも、愛されず、一人部屋で待つだけの妃嬪たちを見てきた蒼瑛は笑えなかった。
貴妃宮を出た蒼瑛は、暗い気持ちだった。
(母も貴妃として寵愛を受けていても、孤独な夜もあるのだろうか)
夏が近づき、日は徐々に延びている。
まだ明るい空を見て考える。
(なぜ一人の女性では駄目なのか……後継者が必要だとしても、数百人規模で妃を持つ必要が、どこにあるのか)
女性達の心中を考え出すと、結局いつも、後宮という制度自体に反発を覚える。
暖かい風に、蒼瑛はふと翠蓮を思い出す。
(彼女には、一生無縁な気持ちであってほしい)
想い人を待って、ひたすら泣き暮らす人生なんて、翠蓮には送って欲しくない。
「後宮に行くと、いつもこうなるな」
蒼瑛は暗くなりがちな思考を振り切った。
◇ ◇
その数日後だった。蒼瑛が皇帝から思わぬ依頼を受けたのは。
「楽府歌人である翠蓮を、芙蓉の寝殿に遣わすように」
青天の霹靂だった。




