2-12 雪の記憶②
次の日恐る恐る林を覗くと、昨日の女の子がいた。蒼瑛の予想を裏切り、笑顔で話しかけてくる。
「あ、蒼瑛、おそいよ!」
(あれ……)
蒼瑛は拍子抜けした。
「……あのさ、お父さんとお母さんに、僕のこと何か言われなかった?」
「うーん……お父さんは死んじゃって、お母さんはびょう気だから、お話しないの」
「……お母さん……良くないの?」
「うん……」
女の子は、歌人のお母さんを元気づけるために歌っていること、最近この村に来たから友達がいないことを話してくれた。
幼さから内容の重さの割に淡々と話すことが、逆に蒼瑛の胸を苦しくさせた。
「……名前なんて言うの?」
「スイレン」
昨日蒼瑛がしたように、雪の落書きの隣に漢字を書いてくれる。
「翡翠の"翠"に蓮だよ!」
「確かに、翡翠色の目だもんね」
綺麗な色の、と言いたかったが恥ずかしくて言葉を飲み込む。ごまかすようにもう一度雪の文字に目を落とす。
「うん、覚えた。翠蓮」
名前を呼ぶと、翠蓮は眩しいくらいの笑顔を見せてくれる。
(どきどきする……)
この気持ちをなんて呼ぶのか分からなくて、それでもずっとその笑顔をみていたいと思った。
それなのに――
次の日会った翠蓮は、冷たい雪の中で凍えるように小さくなっていた。聞かなくてもお母さんの具合が良くないことはすぐに分かった。
「お母さん、死んじゃうかも……」
「大丈夫……きっと治るよ……」
「うそ! 私の歌じゃ だめなんだ……」
目からこぼれ落ちた涙が雪を溶かしていく。
蒼瑛は居ても立ってもいられなかった。
たった一人の母親が死んでしまうかもしれない恐怖――蒼瑛には想像もつかなかった。
どうにかしてあげたい。そのことで頭がいっぱいになる。
「翠蓮の歌は駄目なんかじゃない!」
翠蓮は涙でいっぱいの目で蒼瑛を見た。
「……僕友達いなくてさみしかったけど、翠蓮の歌聞いて元気出たんだ! だから、そんなふうに言わないで!
お母さんもきっと元気になるよ!」
自信がなさそうに、翠蓮は顔を伏せてしまった。
蒼瑛は襟元から蒼玉の首飾りを取り出す。
それは、皇帝である父から「皇子の証」として、兄とともに譲り受けたものだった。
一瞬迷ったが、どうしても翠蓮を元気づけたい――その思いが蒼瑛を突き動かす。
大きく息を吸うと、翠蓮の首にふわっと首飾りを掛けた。
「僕、皇子なんだ。だから嘘はつかない」
そんな馬鹿なと言うように、翠蓮は受け取った首飾りをしげしげと見つめる。
「きれいだけど……ただの石に見える……」
「う……一つだけだから今は見せてあげられないんだけど、その首飾りには秘密があるんだ! それを見たら翠蓮だって信じてくれる!」
一度止まったはずの翠蓮の涙が、再びあふれ出す。おろおろし、どうしたのかと尋ねると、翠蓮はのどを詰まらせた。
「だって……蒼瑛……皇子さまなんでしょ? お城に帰っちゃうんだよね?」
その通りだった。蒼瑛の胸は、雪の冷気に満たされ、冷たくなっていく。
この子は、自分が皇子だと知っても離れたくないと泣いてくれる。
(別れたくない。ずっと一緒にいたい……)
「僕が大きくなったら宮廷に音楽団つくる。
だから、いつか僕のために歌ってくれる?」
翠蓮はその言葉に、じっと蒼瑛を見た。
「それって約束?」
「うん、約束」
すると翠蓮は、翡翠色の首飾りを蒼瑛にさしだす。お母さんからもらったお守りだという。
そんな大事なものを受け取っていいのかと戸惑う蒼瑛に、翠蓮は泣きながらもにこっと笑った。
「いいの、わたし大きくなったら蒼瑛のために歌う。それは約束の印ね」
初めて女の子から物をもらった。それに、子供同士で約束したのも初めてだった。
翠蓮は少し元気が出たようだったが、不意に不安げな顔に戻った。
「お母さんが心配だから帰るね。また、明日くるから……」
そう言って、翠蓮は小さな背を向けて雪の中を歩いていく――
◇ ◆
――(待って)
声を出そうとして蒼瑛は目が覚めた。
どれくらい眠ってしまったのだろうか。蒼瑛はまだ寝ている翠蓮を見つめる。
長いまつ毛に縁取られた目蓋がゆっくりと開く。
「ん……」
「起こしてしまったか」
翠蓮が状況を把握しきれないでいると、蒼瑛は苦しそうに微笑んだ。そして静かな声で言う。
「翠蓮、謝らなければいけないことがあるんだ」
「……なんでしょうか」
「辛い時になんの力にもなれず……それに先日は、避けるような態度をとってしまった」
翠蓮はその言葉を聞くと、その時の痛みを思い出したように一瞬顔を歪めたが、すぐに首を振った。
「決して君を傷つけるつもりではなかった。」
「なにも謝っていただくことはありません……どうか、そんな顔をなさらないでください。
そのような蒼瑛さまを見ることの方が辛いです……」
翠蓮は今にも泣き出しそうだった。
「……悲しませてばかりなのに、優しいな翠蓮は。昔から、ずっと」
十年前のあの日、孤独だった蒼瑛にとって、翠蓮は光そのものだった。
そしてそれは今もかわらない。
「これから先、何があっても離れない。私のことを信じてほしい」
蒼瑛の決意に応えるように、翠蓮の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。




