2-9 北方との絆と不吉な言い伝え
二人は拍手に応えるように、何度もお辞儀をした。
舞台袖に戻ると、香蘭は絢麗と翠蓮を強く抱きしめる。
「よく歌ったわね!本当に……すてきな二重唱だった!」
その言葉に安堵したように、絢麗は胸をなでおろした。
「絢麗……ごめん……私、自分のことばっかり……」
謝る翠蓮の口元に、絢麗は人差し指を添える。
「何も言わないで。さっきの歌で……全部分かってる」
その優しい言葉と、歌で分かり合えた感覚に、翠蓮は思わず涙が出そうだった。
「ふふ……泣いてもいいのよ?」
絢麗は、翠蓮を自分の肩に抱き寄せる。
「大丈夫……泣かない……!」
「あら、意外と強情なのね?知ってたけど」
優しく言うと、そっと翠蓮の頭を撫でてくれた。
――強情なんだな
翠蓮は入府式の後の宴で、蒼瑛にも同じことを言われたのを思い出す。顔を上げると、視線の先には蒼瑛がいた。
「二人とも、素晴らしい歌だった。ありがとう」
歌に感動した様子の蒼瑛にぎこちなさはなく、いつもの笑顔だった。
(歌だけでも、お役に立てれば嬉しい……そう思うのに……なぜこんなに苦しいの?)
蒼瑛から視線を離せずにいると、陳偉が足早に駆けてくる。
「蒼瑛さま、控室の封鎖が完了いたしました。また、張氏殿が絢麗殿、翠蓮殿にお会いしたいとのことです」
◇ ◇
宴席に着くと、張氏は大変感動した様子だった。
「このように文化が育てば、陽国の行く末はますます明るくなりますな」
炎辰は急な軍議で退席していた。代わりに接待を任された烈楊が顔に笑みを張り付けて口を挟む。
「えぇ、張氏殿の仰る通り。宮廷内には反対するものも多いですが、これからは文化活動に力を入れなければと、"炎辰殿下も"お考えなのですよ。」
陳偉は、烈楊に冷たい視線を送る。どの口が言うか。とは正にこのことだ。
「ほう……炎辰殿下も音楽に興味がお有りですか?何か楽器はお嗜みで?」
淡々と返す張氏の質問に、烈楊は言い淀む。
「蒼瑛殿下はなにか楽器を?」
今度はにこやかに蒼瑛に話題を振る。そのひりついた空気を肌で感じつつも、蒼瑛は落ち着いて答えた。
「私は二胡を少し、弓を当てる時に響く余韻が好きで」
張氏はうんうんと頷く。烈楊の意図などお見通しのようだ。
張氏は改めて、歌姫二人を見やる。
絢麗は柔らかく腰を折ると、美しく挨拶を述べる。
「張氏殿、本日はお目にかかれること、身に余る光栄にございます。歌人として、音を以て皆さまの心の晴れ間となれましたなら、幸いにございます。」
流れるような所作だった。
同じ女性の翠蓮ですら見惚れてしまう。
張氏の視線を感じ、翠蓮も慌てて続く。
「翠蓮と申します。先の歌をお耳に留めていただけたとのこと、胸が熱くなりました……僅かな声ではありますが、今後も励んでまいります。」
習いたての宮廷作法で応じたが……拙さがまだ残る。失礼はなかっただろうかと翠蓮はドキドキした。
張氏は、寛大な笑顔で二人に微笑んだ。まだ若き才能がここにあることを喜んでいるようだ。
「本日賜った感銘を決して忘れませぬ。蒼瑛殿下がお力をお求めの折には、この張、力を尽くす所存にございます」
蒼瑛は、張氏と固い握手を交わした。
◇ ◆
饗宴も終わりを迎えようかという頃、蒼瑛は耳を疑った。酒に酔った北方の者たちが、聞き捨てならない話をしていたからだ。
ひそひそと声が交わされている。
「あの翡翠の瞳をもつ娘――陽国に凶をもたらすのではないですか」
「ああ、北では“歌姫”などとは呼ばぬ。あれは、『声で人を縛る者』だ」
蒼瑛の顔色が変わったのを見て、張氏は慌てて口を挟む。
「滅多なことを言うでない! 申し訳ありませぬ、蒼瑛殿下」
「いえ……今の話は一体――」
張氏は口をもごもごさせる。
「蒼瑛殿下も……陽国の神話と歴史はご存じですな?」
「声によって争いごとを鎮める一族がいた……というものですよね……」
「はい、続きもご存知で?」
幼少期に、陽国の成り立ちや歴史とともに、何度も暗記させられたものを思い出す。
「ええ……一族は自ら各地に散り、地方の安寧に尽力したと」
張氏は一層声を落とした。
「北方では、その一族は翡翠の瞳を持つとされ……私利私欲のために声を使い、王都を追われたと――古い言い伝えです。
馬鹿馬鹿しいですが、未だ差別意識を持つ者もいて……お恥ずかしい限りです」
「そうでしたか……」
蒼瑛はそれ以上、何も問わなかった。
否定する言葉も、庇う言葉も、今は口にすべきではないと直感したからだ。
同じ伝説が、土地を越えるだけでここまで姿を変える。
(――どちらが真実なのだろう)
そう考えた瞬間、答えを探すこと自体が間違いなのだと悟った。
歌が人の心に入り込むことはある。だが、それは支配ではない。心を開いた者同士が、ほんのひととき、同じ場所に立つだけだ。
脳裏に、翠蓮の歌声が蘇る。
(少なくとも――)
彼女の声が、人を縛るものだとは、蒼瑛にはどうしても思えなかった。
もしこの声が罪とされる日が来るなら、――蒼瑛は、迷わずその前に立つだろう。




