2-5 希望の衣装
太凱から逃げ出した翠蓮は、庭の角の方をウロウロしては、自己嫌悪に陥っていた。
「太凱はよかれと思って……せっかく助けてくれたのに……」
もう自分でどうにか出来る範疇を超えている気がして、感情がぐちゃぐちゃだった。
「翠蓮?」
聞き間違え様のない声が聞こえる。
振り向くと蒼瑛が立っていた。
なんだかほっとする。
書斎で力になると言ってくれたことや、祝宴でただ側にいてくれたことが思い出される。
「蒼瑛さま、お久しぶりです。」
「あぁ……どうしたんだ、こんな所で……」
いつもなら笑顔を向けてくれていたのに、なんだかぎこちない。目を合わせてくれない。
「……あの」
翠蓮が続きを言いかけたとき、人の声が遠くで聞こえた。それを聞くと蒼瑛はさっと横を向く。先を急ぐといい、バツが悪そうにその場から離れて行った。
一人残され、翠蓮は虚無感に襲われる。
「お忙しいんだから……」
そう言ってみたものの、もう止まらなかった。
あの優しさを期待してしまったのだろうか。立場も身分も違うあの人の。
(お優しいのは、私に限ったことじゃないのに――)
期待してしまったことが恥ずかしかった。
そして、勘違いではない。避けるようなあの態度が、翠蓮の胸をずたずたに引き裂く。もしかしたら自分は、紅綿たちが言うように本当に無価値な人間なのかもしれない。
(私の存在は、蒼瑛さまにもご迷惑をおかけしているんだ)
「苦しい……」
春の暖かな陽射しが降り注ぐ。まるっきり翠蓮の心とは真逆だった。
◇ ◇
「完璧ね!後は明日の舞台に賭けるのみよ」
香蘭は二人を交互に見つめる。
「翠蓮、よく技術面を伸ばしました。座学はつまらないという人もいるけれど、基礎は大事だわ。
そして絢麗」
「はい」
「あなたは、自分の内面とよく向き合ったわ。苦しかったと思うけど、声の角が取れて一皮むけたわね」
今までの絢麗なら褒められても斜に構えていたが、今は違っていた。
「ありがとうございます。香蘭先生」
今までなら褒められても斜に構えていた絢麗の返歌に、香蘭は微笑んだ。
「二人とも、衣装が届いたみたいよ。ぜひ見に行ってらっしゃい」
◇ ◇
「わぁ、綺麗……!」
衣装を見ると翠蓮は目を輝かせた。
入府式の官服とはまた違ったきらびやかな衣装だ。
「ね、素敵ね。この辺りの刺繍や珠飾りなんてすごく贅沢だわ」
名家出身で、上質の衣類を着慣れている絢麗も、うっとりするような目で見ている。それほど美しい衣装だった。
上半身には金銀の刺繍が施されている。袖はふわりと天女のように広がり、スカート部分も袖と同素材が幾重にも柔らかく重なっている。そしてあちこちに美しい珠飾りが散りばめられていた。舞台で光を受けたらさぞ魅力的に輝くだろう。
「こんな素敵な衣装で歌うの初めて!」
これを着て舞台に立つと思うと、翠蓮の胸は希望で満たされた。
きらびやかな衣が、暗い沼の底から自分を救い出してくれるように感じたのだ。
この時ばかりは嫌がらせのことや、蒼瑛の冷たい態度など、辛かった気持ちが少しだけ、やわらいだ。
「翠蓮……明日は頑張りましょう。私はあなたの味方よ」
「ありがとう、絢麗」
このドレスは希望そのもの。明日はきっと上手く行く――そんな思いで、翠蓮は久しぶりに明るい笑顔をみせた。
◇ ◇ ◇
「蒼瑛さま、明日は張氏が参内されますな。」
「あぁ……」
陳偉に声をかけられると、蒼瑛は手元の書類に目をやり、歯切れの悪い返事をした。
いつもだったら手を一旦止めて楽府に顔を出した。楽府を創設した責任者として、舞台前のチェックや激励をしに行っていたはずだ。
(少し、元気がなかっただろうか……)
昨日会った翠蓮のことを思い出す。
彼女を取り巻く環境が暗く変化したことを、蒼瑛はまだ知らない。
(会わなければ会わぬで済むと思っていたが……)
翠蓮を見た途端、堰き止めていたものが溢れ出しそうで思わず顔を背けた。
(あんな避けるような態度をとって、傷つけただろうか……いや、私のことなんて気にもとめていないか)
蒼瑛は自嘲気味に笑う。
(やはり今日は止めておこう。香蘭から聞く分には、順調だというのだから。明日直前に顔を出せば十分だ。)
蒼瑛は手元から顔を上げ、ちょうど今思い出したというように、声を出す。
「……確か王府で急ぎの文書確認があったな」
「おぉ!そうでしたな。すぐに参りましょう」
陳偉は慌ただしく準備に取り掛かる。
「自分がこんなに臆病だとは知らなかったな……」
「……何か?」
陳偉は振り返るが、蒼瑛は首をただ横に振った。
「いや……さぁ急ごう。日が沈むぞ」




