2-3 衝突
◆
さらに数日が経過した。
翠蓮は仲を深めようと、楽譜で分からないところを絢麗に積極的に質問した。
話は弾まないが、お昼も一緒に食べている。
その甲斐合ってか、絢麗はツンケンしつつも、わずかに調子が柔らかくなってきていた。
稽古場では、香蘭が頭を抱えていた。
「うーん……あと一歩しっくり来ないわ」
二人も同感だった。
何か一つ噛み合えば完成する。その状態から動かなくなってしまったのだ。
「ここ、担当を入れ替えようかしら」
その言葉に絢麗が眉をひそめる。
「私が副旋律……ということですか?」
「そうよ。翠蓮はどう?」
「私は、絢麗さんが主旋律のままでいいと思います」
絢麗はきっ、と翠蓮を睨む。
「良い子ぶらないで。歌は勝負の世界よ? それをなぜ、譲るような真似をするの」
翠蓮は困惑した表情だ。
「でも……同じ舞台に立つのに勝つも負けるも……」
「この際だから言わせてもらうけれどね、あなたの歌なんて、基礎はめちゃくちゃで私におんぶに抱っこなのよ」
ぐっと、翠蓮は声を飲み込んだ。
絢麗の言っていることは事実に思えた。
自分がどんなに練習しても、認めてはもらえないのだろうか。
香蘭が割って入る。
「絢麗言い過ぎよ。それにあなたもわかっているはずよ。
本当はどちらが支えられているのかをね……」
絢麗は口を開きかけたが、それはすぐに閉じられ、握りしめていた拳は力なく落ちている。
香蘭は絢麗をまっすぐ見つめ、落ち着いた声で言う。
「絢麗、本当の意味で主旋律を取りたいなら……自分の歌も大切になさい」
「頭を冷やしてきます」
絢麗は目も合わせぬまま、稽古場を出ていってしまう。
「絢麗さん……」
「いいのよ、今は一人にしておきましょう。絢麗は必ず理解するわ」
◆ ◆
稽古場を出た絢麗は、一人、青龍庭を歩く。最終試験を執り行った場所だ。
「私の歌って……なんだったかしら」
見上げると、花が少しずつ開いている。
絢麗にとって歌は、評価されるものであり鎧だった。テクニックで武装して、他人に打ち勝つための。
最終試験の頃は、ぽつりと一輪二輪咲いていただけだった花が、満開まで後少し。季節は流れているのに、自分だけがあの日に取り残されている。
「ただの八つ当たりね……」
汚い言葉で傷つけた。きっと謝れば翠蓮は許してくれるだろう。でも、それでは自分を許せない。
戻るに戻れず、宛もなく歩いていると
「えー!本当に?」
「しぃーっ……声が高いわよ」
聞き覚えのある声が聞こえる。咄嗟に草陰に隠れてしまったが、視線をやると楽府のメンバーだ。
中心には、二重唱を歌ってくれた紫雲がいる。
紫雲は怪しく微笑むと話の続きをする。
「……確かな筋から聞いたのよ。じゃないとおかしいでしょう?
なんの後ろ盾もないのにあんないい役をもらえて……」
ところどころしか聞き取れないが、誰かの噂話をしているようだ。
「じゃ、二次の話は本当だったのね」
同じ歌人メンバーの春麗が面白そうに続きをねだっている。
二次――確か翠蓮に不正疑惑がかかっていたはずだ。
絢麗は、彼女達の卑下た笑いを見ると唇を噛む。
「私は、あの人たちと同じになるところだった……」
努力を怠り、実力のあるものに嫉妬し、貶める。もっとも絢麗が嫌いな人種だった。
噂話はなんだか様子がおかしかった。
「ねぇ紫雲、……の生まれって……」
「えぇそうよ。……孤児で……得体がしれないわ」
なぜ親しくもない紫雲が、そんな個人的なことまで知っているのだろう。
絢麗は|踵《きびす》を返すと、その場を後にした。
もうとっくに稽古は終わっている時間だと思ったが、灯がついている。そっと覗くと翠蓮が残っていた。
「ちょっと」
「絢麗さん……」
後ろから声をかけられ、翠蓮は驚いたように振り向く。
「突然失礼なこと聞いて本当に申し訳ないんだけれど。
あなたのご両親は……郷にいらっしゃるの?」
翠蓮の不思議そうな顔は、すぐに寂しい影に覆われた。
「私は……両親はもう亡くしているんです。故郷の楽団で育ちました」
「それって誰かに話したことある?」
「……いいえ……この話をすると皆さんに気を遣わせてしまうので……」
絢麗は腕を組むと、険しい顔で考え込む。
入府する時の詳細な身元書は政治争いなどに利用されないように、内部調査院で厳重に管理されているはずだ。
誰であっても正式な手続きを踏まなければ、簡単に閲覧は出来ない。
「あの……」
何かあったのかと心配され、絢麗は我に返った。すっかり謝るタイミングを失ってしまった。
「…………」
気まずい沈黙が流れる。
絢麗から口を開く。
「……さっきはなぜ私が主旋律でいいって言ったのかしら」
翠蓮は、びっしり書き込まれた楽譜を指さしながら言う。
「……上手く噛み合わないのは、私のここの表現が弱いからだって思うんです。後は、――」
理不尽に怒りをぶつけられたというのに、翠蓮は、歌に真っ直ぐ向き合っていたのだ。
絢麗は口元を緩めた。
「やっぱり叶わないわね……」
自嘲気味な笑みではなく晴れやかな微笑みだった。
「さっきは感情的になってごめんなさい」
「絢麗さん……」
「"さん"はいらないわ」
「え?」
「二重唱のパートナー……いえ、ライバルよ」
コホンと咳払いをすると、絢麗は伏し目がちに続ける。
「敬語も結構よ。よろしくね、『翠蓮』」
口調は相変わらずだがそこに棘は感じられなかった。
「……私こそ、力になれなくてごめんね。
頑張ろうね。『絢麗』」
目を合わせると、二人は同時に微笑んだ。




