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翡翠の歌姫は声を隠す【中華後宮サスペンス】  作者: 雪城 冴
一章 楽府オーディション編
13/31

1-11 式と祝

 晴れの日にふさわしい朝。太華殿(たいかでん)の前に楽府員たちが整列する。


(いよいよ入府式……。バッジを付けると身が引き締まるな。)


 出来たての官服に袖を通すと、翠蓮(スイレン)は自然と背筋が伸びる。



 静かに目を閉じる。


 自分の実力の無さに落ち込んだり、不正を疑われたこともあった。故郷のみんなの優しさを思い出し、明鈴の明るさに助けられた。

 そして何よりも、蒼瑛の優しさに救われた。



(一人じゃここまで来られなかった)




「皇帝陛下の(みことのり)を諸君に告ぐ――」


 低く落ち着いた声の方を見つめる。

 蒼瑛は正装を着用している。

 厳かな装いは、彼の端正な顔立ちをいっそう引き立てる。

 

(こうして見ると眩しいくらいだな)

 改めて別世界の人なのだと実感させられる。

 数歩の距離なのに、遥か遠くに立っているようだ。



 勅を言い終えた蒼瑛は、楽府員を見回して静かに頷いた。



 それを合図に音が紡がれる。


 雅楽(ががく)の形式に慣れず、まだ堅い者もいるが、乱れのない美しい旋律を奏でている。


 翠蓮は、その旋律に心を委ねる。

 ただ憧れていただけの舞台に、今自分が立っている。


(これからもたくさんの人に歌を届けたい)


 そんな気持ちを象徴するような初々しい歌声が、美しく太華殿へ溶け込んでいった。

 


 蒼瑛は礼をし、式の終わりを告げる。


「皆、入府おめでとう。今宵は祝宴を用意してある。今までの労を労い、これからの門出を共に祝おう」


 蒼瑛の表情からは先ほどの荘厳さは消え、いつもの笑顔が戻っていた。



◇ ◆



「無礼講だ~、飲め飲め!」



太凱(タオガイ)、それ、目上の人が言うんだよ……」

 この数日で太凱に慣れてきた翠蓮は、控えめに返事をする。



 だが、まさに無礼講と呼ぶにふさわしい祝宴だった。

 ここまで張り詰めてやってきた受験者達は少々――いや、大分飲み過ぎ、中には早々と酔いつぶれるものもいた。



 蒼瑛に目線を向けると、女性陣に取り囲まれていた。彼に骨抜きになっているのか、皆目の色が変わっている。蒼瑛は普段と変わらずにこやかに会話していた。



 翠蓮はそれを見ると、なぜだか胸の奥が疼くような感覚に襲われる。

(食べ過ぎたかな?)

 


「あれ~?もしかして蒼瑛さまに見とれてる?」

 後ろから抱きつかれ、振り返ると明鈴だ。こちらも大分酒が回っており頬が赤い。


(確かに……ちょっと見惚れてたけど……)



「ほら、お前ら飲んでるか~?」

 明鈴との間に割り込むようにして、太凱が入ってくる。

「ちょっと、飲酒強要(アルハラ)禁止です~!」


 元々テンションの高い二人。

 お酒の力を借りてさらに盛り上がっている。翠蓮は苦笑した。




◇ ◆


 だいぶ夜も深まり、既に部屋に戻る者は戻っていた。酔いつぶれたものたちが屍のように倒れており、残っているのは酒豪か介抱する者だけだった。


 既に明鈴も太凱も潰れており、そろそろ引き上げようとした時



「翠蓮、隣いいか?」

 その声にハッと振り向くと、疲れた顔の蒼瑛が立っていた。後ろには大の字で寝ている陳偉(チンエイ)が見える。



「あそこにいらっしゃるのは……陳偉さまですか?」



「あぁ、陳偉は酒に弱くてな。大体酔うと私の小さい時の思い出話からはじまって、最近は泣きながら『こんなに大きくなられて!』って……今やっと寝てくれたところだ」



「ふふっ……陳偉様にもそんな一面があるんですね」

 今日はもう話す機会はないかと思っていた。こうやって他愛もない会話ができることが嬉しい。

 翠蓮が小さな幸せを感じていると、突然、酔いつぶれていたはずの太凱が起き上がる。


「どうしたの太凱?」



「気持ち悪い……みず……」



 翠蓮はおろおろと水を取りに行く。戻って来ると蒼瑛が太凱を支えてくれていた。



「飲める?大丈夫?」



 そう言いながら背中をさすっていると



「うん……翠蓮……お前って……優しいよな……。いつもからかって……ごめんな……」


 突然反省し出した太凱が怖くなり、いよいよ吐くのかと目で受けるものを探すが、太凱の反省?は止まらない。



「かわいくって……つい……」



「ちょっと……何言ってるの?吐くの?蒼瑛さま、もしかしたら汚れてしまうかもしれないので……」


 いくら無礼講の祝宴とは言え、皇子に"あれ"がかかるのはさすがにまずい。



 翠蓮が太凱を引き取ると、

「もう大丈夫、ちょっと膝貸して……」

 そう言って太凱は翠蓮の膝で眠り始めてしまった。



(えぇ……嘘でしょ……)


 なんとかその辺りを汚さずに済んだが、動けない。



「すみません蒼瑛さま、お見苦しいところを……」



「……」


 しばしの沈黙の後、蒼瑛が口を開いた。翠蓮は気づいていないが、その声は少し怒りを含んでいる。


「……膝枕……代わろう」



「え?いえそんな。下手に動かすと吐くかもしれませんし……」



 蒼瑛は今度は誰が見ても分かるほどムッとし、口をとがらせると、

「私がそうしたいんだ」

 と譲らない。



(怒ってる……よね?そんなに膝枕してあげたいってこと?部下の介抱をしたいってことなのかな……)



「そうしましたら、蒼瑛さまに申し訳ないので、こちらの座布団に移しましょう」



 手近な座布団を手に取り、刺激しないように二人がかりで太凱を移す。


「大丈夫そうだな」

 のんきに寝息を立てているのを見て、蒼瑛はほっと一息つく。



「すみません、せっかく申し出てくださったのに、座布団で」



「いや、別に彼に膝枕をしたかったわけでは……さっきは思いつかなかっただけで、座布団の方がよほど良い」



「そうなのですね……?」



「あぁ、翠蓮の膝で寝てるのを見るのが嫌だっただけだ」


 翠蓮にはどうやら意図が伝わっていない。不名誉だが、蒼瑛は『どうしても男を膝枕したかった男』として翠蓮に印象づけられてしまったようだ。



 気づけば部屋に残っているもので、意識があるのは、蒼瑛と翠蓮だけになっていた。



「翠蓮は酒を飲んでも変わらないんだな」



「あ……私飲んでいないんです。一度飲んだことがあるんですけど……」



 初めて酒を飲んだ時の記憶が翠蓮にはなかった。ただ、楽団長に『お前は今後絶対酒を飲むな。』とだけ言われた。

 理由を聞いても『危険だから』としか言われなかった。



(楽団長元気かな……)


 厳しかったが、本当の娘でない自分に愛情をかけて育ててくれた。



「どうかしたか?」



「いえ、楽府に合格できて本当に嬉しいんです。なのに、もう帰ることも滅多にないんだなって……思ったら……」


 喉が詰まったようになり続きは出てこなかった。蒼瑛は、席を立とうとする翠蓮の手を取る。



「もう誰もいないから……泣いても大丈夫だ」



「いえ……泣きません」



「強情なんだな」



「はい……」



 翠蓮の身体の震えは、指先から蒼瑛へ伝わる。

 蒼瑛は、気づかないふりをして天を仰いだ。


 


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