1-11 式と祝
晴れの日にふさわしい朝。太華殿の前に楽府員たちが整列する。
(いよいよ入府式……。バッジを付けると身が引き締まるな。)
出来たての官服に袖を通すと、翠蓮は自然と背筋が伸びる。
静かに目を閉じる。
自分の実力の無さに落ち込んだり、不正を疑われたこともあった。故郷のみんなの優しさを思い出し、明鈴の明るさに助けられた。
そして何よりも、蒼瑛の優しさに救われた。
(一人じゃここまで来られなかった)
「皇帝陛下の勅を諸君に告ぐ――」
低く落ち着いた声の方を見つめる。
蒼瑛は正装を着用している。
厳かな装いは、彼の端正な顔立ちをいっそう引き立てる。
(こうして見ると眩しいくらいだな)
改めて別世界の人なのだと実感させられる。
数歩の距離なのに、遥か遠くに立っているようだ。
勅を言い終えた蒼瑛は、楽府員を見回して静かに頷いた。
それを合図に音が紡がれる。
雅楽の形式に慣れず、まだ堅い者もいるが、乱れのない美しい旋律を奏でている。
翠蓮は、その旋律に心を委ねる。
ただ憧れていただけの舞台に、今自分が立っている。
(これからもたくさんの人に歌を届けたい)
そんな気持ちを象徴するような初々しい歌声が、美しく太華殿へ溶け込んでいった。
蒼瑛は礼をし、式の終わりを告げる。
「皆、入府おめでとう。今宵は祝宴を用意してある。今までの労を労い、これからの門出を共に祝おう」
蒼瑛の表情からは先ほどの荘厳さは消え、いつもの笑顔が戻っていた。
◇ ◆
「無礼講だ~、飲め飲め!」
「太凱、それ、目上の人が言うんだよ……」
この数日で太凱に慣れてきた翠蓮は、控えめに返事をする。
だが、まさに無礼講と呼ぶにふさわしい祝宴だった。
ここまで張り詰めてやってきた受験者達は少々――いや、大分飲み過ぎ、中には早々と酔いつぶれるものもいた。
蒼瑛に目線を向けると、女性陣に取り囲まれていた。彼に骨抜きになっているのか、皆目の色が変わっている。蒼瑛は普段と変わらずにこやかに会話していた。
翠蓮はそれを見ると、なぜだか胸の奥が疼くような感覚に襲われる。
(食べ過ぎたかな?)
「あれ~?もしかして蒼瑛さまに見とれてる?」
後ろから抱きつかれ、振り返ると明鈴だ。こちらも大分酒が回っており頬が赤い。
(確かに……ちょっと見惚れてたけど……)
「ほら、お前ら飲んでるか~?」
明鈴との間に割り込むようにして、太凱が入ってくる。
「ちょっと、飲酒強要禁止です~!」
元々テンションの高い二人。
お酒の力を借りてさらに盛り上がっている。翠蓮は苦笑した。
◇ ◆
だいぶ夜も深まり、既に部屋に戻る者は戻っていた。酔いつぶれたものたちが屍のように倒れており、残っているのは酒豪か介抱する者だけだった。
既に明鈴も太凱も潰れており、そろそろ引き上げようとした時
「翠蓮、隣いいか?」
その声にハッと振り向くと、疲れた顔の蒼瑛が立っていた。後ろには大の字で寝ている陳偉が見える。
「あそこにいらっしゃるのは……陳偉さまですか?」
「あぁ、陳偉は酒に弱くてな。大体酔うと私の小さい時の思い出話からはじまって、最近は泣きながら『こんなに大きくなられて!』って……今やっと寝てくれたところだ」
「ふふっ……陳偉様にもそんな一面があるんですね」
今日はもう話す機会はないかと思っていた。こうやって他愛もない会話ができることが嬉しい。
翠蓮が小さな幸せを感じていると、突然、酔いつぶれていたはずの太凱が起き上がる。
「どうしたの太凱?」
「気持ち悪い……みず……」
翠蓮はおろおろと水を取りに行く。戻って来ると蒼瑛が太凱を支えてくれていた。
「飲める?大丈夫?」
そう言いながら背中をさすっていると
「うん……翠蓮……お前って……優しいよな……。いつもからかって……ごめんな……」
突然反省し出した太凱が怖くなり、いよいよ吐くのかと目で受けるものを探すが、太凱の反省?は止まらない。
「かわいくって……つい……」
「ちょっと……何言ってるの?吐くの?蒼瑛さま、もしかしたら汚れてしまうかもしれないので……」
いくら無礼講の祝宴とは言え、皇子に"あれ"がかかるのはさすがにまずい。
翠蓮が太凱を引き取ると、
「もう大丈夫、ちょっと膝貸して……」
そう言って太凱は翠蓮の膝で眠り始めてしまった。
(えぇ……嘘でしょ……)
なんとかその辺りを汚さずに済んだが、動けない。
「すみません蒼瑛さま、お見苦しいところを……」
「……」
しばしの沈黙の後、蒼瑛が口を開いた。翠蓮は気づいていないが、その声は少し怒りを含んでいる。
「……膝枕……代わろう」
「え?いえそんな。下手に動かすと吐くかもしれませんし……」
蒼瑛は今度は誰が見ても分かるほどムッとし、口をとがらせると、
「私がそうしたいんだ」
と譲らない。
(怒ってる……よね?そんなに膝枕してあげたいってこと?部下の介抱をしたいってことなのかな……)
「そうしましたら、蒼瑛さまに申し訳ないので、こちらの座布団に移しましょう」
手近な座布団を手に取り、刺激しないように二人がかりで太凱を移す。
「大丈夫そうだな」
のんきに寝息を立てているのを見て、蒼瑛はほっと一息つく。
「すみません、せっかく申し出てくださったのに、座布団で」
「いや、別に彼に膝枕をしたかったわけでは……さっきは思いつかなかっただけで、座布団の方がよほど良い」
「そうなのですね……?」
「あぁ、翠蓮の膝で寝てるのを見るのが嫌だっただけだ」
翠蓮にはどうやら意図が伝わっていない。不名誉だが、蒼瑛は『どうしても男を膝枕したかった男』として翠蓮に印象づけられてしまったようだ。
気づけば部屋に残っているもので、意識があるのは、蒼瑛と翠蓮だけになっていた。
「翠蓮は酒を飲んでも変わらないんだな」
「あ……私飲んでいないんです。一度飲んだことがあるんですけど……」
初めて酒を飲んだ時の記憶が翠蓮にはなかった。ただ、楽団長に『お前は今後絶対酒を飲むな。』とだけ言われた。
理由を聞いても『危険だから』としか言われなかった。
(楽団長元気かな……)
厳しかったが、本当の娘でない自分に愛情をかけて育ててくれた。
「どうかしたか?」
「いえ、楽府に合格できて本当に嬉しいんです。なのに、もう帰ることも滅多にないんだなって……思ったら……」
喉が詰まったようになり続きは出てこなかった。蒼瑛は、席を立とうとする翠蓮の手を取る。
「もう誰もいないから……泣いても大丈夫だ」
「いえ……泣きません」
「強情なんだな」
「はい……」
翠蓮の身体の震えは、指先から蒼瑛へ伝わる。
蒼瑛は、気づかないふりをして天を仰いだ。




