1-8 揺りかごの唄と再会
――翌日
予報は外れ、空は晴れ渡っていた。
最終試験は急遽中庭に変更になっていた。
噂を聞きつけて下女から武官、臣下もちらほら見物しにきている。百人はいるだろうか。
庭の中央には龍の装飾がされた高座椅子が用意されている。
蒼瑛はその横に控え、そこへ腰を下ろすべき主を待ち構えていた。
後方の空気が変わった。
「来たか――」
蒼瑛は視線を投げる。
見物人は囁きを止め、息を詰めて頭を下げる。
護衛、侍従など十数人を従え、炎辰がゆっくりと姿を見せた。
「随分仰々しいですな……」
陳偉がそっと蒼瑛に囁く。
確かに大所帯だった。権威を見せつけたいという気持ちの表れだろうか。
蒼瑛は軽く一礼すると、にこやかに歓迎の意を口にした。
「兄上、急なお誘いにも拘わらずご足労いただき光栄です。」
「いや、昨日の二次試験は大変だったようだな。それにしてもどうした風の吹き回しだ?」
「楽府創設におきまして、色々とご支援いただいていますから。ご都合が合えば是非に……と思った次第です。」
あくまで笑顔を崩さぬ蒼瑛に、炎辰はわずかに口端を歪める。気に食わないと言うようにどかっと椅子に腰をおろした。
陳偉はその様子をハラハラと見守っていた。昨日の蒼瑛の名案というのは、『炎辰を正式に最終試験に招待する』というものだった。
――第一皇子本人が参加するなら、品位を損なわないよう、露骨な妨害も控えるはず。
それが蒼瑛の言い分だった。
こうして大胆なことをする蒼瑛に、陳偉はたびたび肝を冷やす。
炎辰へは急な打診だったが、その分聴衆を操作する時間もなかったはずだ。
陳偉はおかげさまで東奔西走したことを思い出し、肩をすくめた。
それぞれの思惑が動く中、最終試験の幕が上がる。
最初の歌唱者は絢麗だった。
彼女が選んだのは天竺舞曲の変奏曲だった。その曲はテンポが早く、技の巧みさを魅せるにはうってつけの選曲だった。
「難しいけど、さすがね」
「技巧は見事だな」
聴衆は大きな拍手と歓声を送った。
試験会場特有の独特の緊張感の中、一人二人と審査が進んでいく。陽は高く登り、この時期にしては暑いほどだった。
翠蓮の出番を控え、炎辰の側近達は下品な笑みを浮かべていた。
「揺りかごの唄……子守唄ですかね? 随分地味な歌を選曲したものだな」
「所詮は田舎者。難曲を選択する基礎がないのでしょう」
炎辰は黙したまま、舞台に上がった翠蓮を見る。
一瞬彼は、瞳を揺らした。
◇ ◆
翠蓮は、落ち着いて周りを見渡す。思ったよりも聴衆との距離は近い。
玉座に座っているのは、第一皇子のようだ。
(あの人は……)
遠目だが、間違いない。試験前に助けてくれた皇子だった。
どこか蒼瑛に似ている。
敵対するような炎辰の目つきに違和感を覚えるが、自分を落ち着かせる。
(聴いてくれる人の感情や身分は、歌うには関係のないこと……)
この舞台に立たなければ出会うことのなかった人々。翠蓮はその一人ひとりに思いを寄せる。
(私の歌声で、少しでも何かを感じてもらいたい)
これが合否を分ける試験だということは、もう翠蓮の頭にはなかった。
唇を開くと、優しい声色が静かに響いていく。
「初めて聴く曲だけど……これ子守唄? 絢麗と比べると退屈だなぁ……」
「いや、静かに……」
聴衆はあっという間にその歌声に引き込まれた。
陽の柔らかさも手伝って、母の温かい腕に揺られているような感覚に陥る。
誰もが自分のふるさとや家族のことに思いを向けていた。
蕾が、歌声に呼応するようにゆっくりと花開く。
最後の一音が消えると、聴衆は静まり返った。
あちらこちらからすすり泣く声が漏れ聞こえる。
――パチ……パチ……
一人が思い出したように拍手を送り、やがて連鎖して行った。
翠蓮はほっとして、はにかんだ笑みを見せると深く一礼した。
その合格が揺るぎないことは、炎辰の目にも明らかだった。
「……母の愛を歌で表現とは……笑わせる」
そう呟く彼の肩は、怒りのためかわなわなと震えていた。
審査員席の近くにいた陳偉は、拍手を続けながら蒼瑛に話しかける。
「いやはや……翠蓮殿の歌は、胸に込み上げるものがありますな……」
蒼瑛は微動だにしなかった。うつむき加減で表情ははっきり読み取れないが、その手は震えている。
歌の余韻に浸っているのとは違うように見えた。
「蒼瑛さま、お加減でも……」
蒼瑛は手で目頭を押さえる。
翠蓮の歌声が蒼瑛の記憶の扉を叩く。
意識が揺らぎ、一瞬で十年前のあの頃に引き戻される。
――うそつき……!
冷たい雪の中で泣きじゃくる女の子。
何もできずに立ち尽くす無力な自分。
拍手は鳴りやまず大きな渦となり、そのうねりに身体を囚われたようだ。
蒼瑛はその場から動けないでいた。




