事故物件
街中にある古びた一軒の不動産屋。その異様な雰囲気に惹きつけられ若い男は入口のガラスの扉を開けた。店の中にいたのは奥の事務机に座っている痩せこけた店長だけだった。
「いらっしゃいませ」
嗄れた声が、人気のない店内に響く。若い男は席に座ると単刀直入に告げた。
「事故物件を借りたいんです」
店長の目は、ギョロリと大きく見開かれた。
「お断りだね。事故物件なんかに積極的に住みたがるようなのに関わると碌なことにならない。帰ってくれ」
そう言い残し、店長は奥の部屋へと消えてしまった。
若い男は店を出て、人気のない裏道を歩いていた。そんな若い男の背後から私は声をかけた。若い男が振り返り私を見た。
「事故物件をお探しですか」
そう言って私はニコリと営業スマイルを浮かべた。
「聞いてましたよ。見事に追い返されましたね。でも彼らも商売ですからね。あまり負の面を表立って口にするようなことは避けたいのですよ」
若い男は突然声をかけられて動揺していたが、極力冷静を装って答えた。
「事故物件を知っているのですか」
私は深々と頷いた。
「ええ知っていますとも。実はその事故物件の持ち主から住んでくれる人を探すように私は依頼を受けているのです。よければまずは一晩泊まってみて、気に入れば住んでいただくというのはどうでしょうか。勿論、家賃は格安ですよ」
若い男は即答でその話に乗ってきた。
案内したのは、郊外にひっそりと佇む一軒家だった。
外観は古びていたが、中は綺麗にリフォームされていた。家具は一切なかったが、一晩泊まるだけなら問題ないだろう。
「一つだけお願いがあります」
私は、若い男に真剣な眼差しで言った。
「ここは事故物件です。たとえどんな怖い目に遭ったとしても、何が起こったのかを必ず教えてほしいのです」
実は以前、今回と同じように私が声をかけてこの家に泊まった男がいたが、朝になると姿を消してしまっていた。何があったのか、どうしていなくなってしまったのか謎のままだった。
「分かりました。何かあったら、必ず伝えます」
若い男は私に約束してくれた。
翌朝、私が家を訪ねると、若い男の姿はどこにもなかった。
あれほどお願いしたのに、やはり逃げ出してしまったのか。私は落胆した。
この事故物件については、依頼主から詳細についてはまったく知らされていなかった。だから私は実際に泊まった人たちの身に何が起こっているのかもわからなかった。
また事故物件に住みたいと考えている奇特な人を探さなければならない。私は憂鬱な気分になっていた。
それから一ヶ月ほど経ったある日、あの若い男が行方不明となっていて捜索願が出ているという話を偶然に聞いた。
もしかしたらあの若い男は逃げ出したのではなく、家の中で消えてしまったのではないか。では、その前に泊まった者たちも……。
男は、いてもたってもいられなくなり、あの家へと向かった。
玄関の扉を開けると、ひんやりとした空気が家の中から流れ出てきた。意を決し中に入ると、家具が運び込まれていて生活感のある空間に変わっていた。
「どういうことだ」
私は奥の部屋へ進んでいくと、リビングには若い夫婦がソファーに座り楽しそうに笑い合っていた。
「いらっしゃいませ」
にこやかに微笑む妻。その腕には、可愛らしい赤ちゃんが抱かれている。
「あの、この家は……」
私が尋ねようとした瞬間、赤ちゃんの顔が歪み、開いた口からはまだ歯が生えていない歯茎がむき出しになった。
「助けて……」
赤ちゃんの口から、嗄れた声が漏れ出す。その声は、この家で消えた若い男のものだった。
私は悲鳴を上げながら家を飛び出した。背後からは夫婦の異様な笑い声と赤ちゃんの悲痛な嘆き声が追いかけてくる。
「この家にはいったい何があるというんだ……」
私は依頼主に事故物件に何があるのか教えてほしいと電話をして伝えた。だが依頼主は、あなたへの依頼は取り下げる、この件はなかったことにしてくれ、とだけ言うと電話を切った。
私はその日以来、二度とあの家には近づかなかった。しかしあの赤ん坊の悲痛な嘆きの声は、私の耳からいつまでも離れることはなかった。