グレプ、追放
「申し訳ありません、グレプ様。貴方のことは、将来の義兄としか思っておりませんでした。
え? 手作りでお菓子をくれた?
それは……グレプ様もお知りになっている通り、以前は庶子の私ですから、お金のない私からのお返しはいつも手作りの物なのですよ。
今もお金を使わないようにするのが癖で、以前と同じようにしているのです。
ええ、そうです。
グレプ様が特別ではないのです。
ですので婚約の申し込みは、謹んでお断り致しますわ」
リンダは悲しげな表情で、グレプを見つめて謝罪をした。
「そ、そんな、だって、嘘だ……。
あんなに微笑んでくれていたのに。
僕はキュナント家に婿に入らなければ、平民になってしまう。
必ず大切にすると誓うから、婚約をしてくれないか?
ねえ、僕のこと嫌いじゃないよね!
頼むよ、リンダ!」
ビルワに婚約解消を言い出した時の傲慢な感じとは真逆で、憔悴したようにリンダに懇願するグレプ。
確かにここでリンダに断られれば、彼には後がない。
グレプはリンダに会う前に、侯爵家当主であるボルケと話をしていた。
リンダへ婚約を申し込む為だ。
ボルケは言った。
「もしリンダが承諾したなら、婚約を許そう。ただし娘が断れば、スッパリ諦めてくれよ」
「勿論です。待っていて下さいね」
満面の笑みで自信漲るグレプと、既に結果を知っている為に嘆息しそうなボルケ。
ちなみに今回のことを、彼の両親はまだ知らない。
◇◇◇
彼の両親はビルワとの婚約解消の時、酷く申し訳なさそうに、事実を知ったその足でボルケとビルワの元への謝罪に訪れた。
「誠に申し訳ない。ボルケ、ビルワ嬢。
いくら考え知らずと言っても、私を通さずに勝手に婚約解消するとは思っていなかった。
ただでさえ侯爵家に負担の多い婚約だから、あいつには領地経済の知識を深め、ビルワ嬢の役に立つようにいつも言い聞かせ、教育もさせていたつもりだった。
勿論、長い間婚約して貰っていた慰謝料は、払わせて貰うよ。
本当にすまなかったね……」
「本当に、グレプがすみませんでした。
温情に甘えて婚約をして頂いたのに、仇で返すようなことを……。
必ず十分な償いはしますので、何とぞお許し下さい。
ビルワ嬢が娘になるのを、ずっと楽しみにしていたのに……。本当に残念です」
二人とも応接室のソファーから立ち上がり、大きく頭を垂れた。
眦に涙が浮かんでいるが、泣いて話を止めてしまわないように堪えているようだった。
「良いんだ。アルロレア、クリーアも。
子供は思うようには育たないし、考えも同じではないのだから。
思うところはあっても、心から許せないとも思ってはいないんだ。
裏切りながらの体裁だけの結婚をするより、よっぽど正直だと思うぞ」
(それにまさか、あんなに考えなしに育つと思わなかった。さすがの俺も目算を誤ったと思って、ビルワにすまないと思っていたから、丁度良かったぜ)
ボルケは、さらに続けて言葉を綴る。
これからも付き合いは続くのだから、慰謝料は不要の旨を。
フルンツェ伯爵夫妻は堅実な商会を持ち、領地経営をしている資産家だ。
だが真面目な彼らが思うほどの慰謝料を捻出するなら、経営する商会や土地の一部を切り売りするしかないだろう。
だからこそボルケは、慰謝料を受け取らないことにしたのだ。
実は彼らの商会では、ボルケの冒険者仲間がずいぶんと魔物の素材を買い取って貰っている。
彼らにコケられると困るのだ。
現在進行形でボルケとミルカは、王都から少し離れた場所にあるフルンツェ伯爵家領地のダンジョンで、ストレス解消をしている。
そのボルケ達の正体は、伯爵夫妻だけは知っているが、何十年もそれは外部に漏れていない。
結局ボルケが彼らを信じるのは、長年の信頼があるからだ。
グレプは当然、ボルケのことを知らされていない。
伯爵夫妻が話していないからだ。
そんな彼らの息子だから、いつかは成長するだろうと婚約させたボルケの期待は、裏切られたのだった。
もし結婚したらしたで、ダンジョンに弟子達と放り込んで鍛えるつもりでもいた。
婚約解消さえしなければ、面倒をみるつもりだったボルケ。
友人の息子だからとかなり許してきたが、それももう終わったことなのだ。
(グレプは根は優しい奴だから、愚鈍くらいなら許してやったのに……。フルンツェ夫妻は人格者だし、ビルワが嫁姑問題に苦労しないとも思ってたんだけどな)
一応脳筋の彼なりに、娘のことを考えた婚約だったらしい。
そんなフルンツェ夫妻の気持ちを知らないグレプは、まだまだ心の成長が出来ていないのかもしれない。
◇◇◇
暫く粘ったが無理だと諦めたグレプは、トボトボと帰途に着いた。
食事も摂らずに部屋に籠った彼は、両親(父アルロレアと母クリーア)にリンダのことを伝えられなかった。
今度こそ喜んで貰えると思ったのに、結果は惨敗だったからだ。
数日しても部屋から出ない息子に、何かあったことだけは察していたアルロレア達だが、グレプへドア越しに話しかけても曖昧な答えしか返って来なかった。
謎が解けたのはボルケからの書簡だった。
書簡を読み終えたアルロレアは、この時心底息子に失望した。
ボルケの娘であるビルワと婚約解消をし、その義妹に婚約を願うなんて、何度恥を晒すのだろう。
ビルワのことで彼らに恐縮しかないアルロレアとクリーアは、とうとうある決意をした。
その後すぐボルケと連絡を取り、侯爵家を訪ねたアルロレアとクリーアは心を決めた。
その翌日の深夜。
ノックしても出てこないグレプを待ちきれず、家令に鍵を開けさせ中に入るアルロレアとクリーア。
「あ、父上、母上…………これはその……ですね……」
まさか無理に入室してくるとは考えてはおらず、顔色悪く両親を見て動揺するグレプ。
以前にビルワのことで、彼は一方的で理不尽な行動をさんざん責められていた。
もし婚約解消をするにしても、婚約という契約に当主を通さないとは、どういう了見なのだと強く詰問されて。
彼は優しい両親と長く付き合いのある気の良いボルケを、我が儘が通る相手だと考えてしまっていた。
だからこそ、行動を起こしてしまったのだが。
けれどビルワとの婚約解消のことで酷く両親に責められ、その時にリンダのことは言い出せなかった。
そしてさらに今回、そのリンダにも断られてしまったのだから。
「……もう何も言わなくて良い。私達はもう、すべて知っているから。
今回の不義理を償う為に、ボルケにお前の身柄を預けることになった。
ボルケは私達の金ならいらないと言うから、誠意を伝える為にお前に労働で返すことを提案したのだ。
まさか何故そんなことをと、思ってはいまいな?
お前はビルワに、キュナント侯爵家に恥をかかせたのだ。
家格の上の貴族に逆らう意味を、働きながら考えると良い。
私達の失敗した再教育を引き受けてくれるボルケに、心から感謝し生き直しなさい。
甘えが許されないように、きちんと除籍も終了したから」
信じられない言葉の数々。
ふて腐れて、両親に顔を合わせ辛くて、引き籠っていたことが災いした。
言い訳もできないまま、部屋に訪れたボルケの弟子エインセル達に縄でぐるぐる巻きにされて担がれた。
「あれれ。ビルワ様の旦那候補だから、もっと手こずると思ったのに。全然弱いじゃん。
これじゃあすぐに死んじゃうよ」
「え、え、死ぬって何、何なの?」
「愚息を鍛えてやって下さい。籍は抜き、既に貴族ではありませんから。
私達は今後、何があっても不満など言いませんので。
お願い致します」
「どうぞ、よろしくお願いします。できれば生き残れるように、ビシビシ仕込んで下さい」
泣き腫らす息子を、厳しい口調で引き渡すアルロレア。
アルロレアはボルケを信じている。
彼はきっと、息子を生かして鍛えてくれると。
だから別れの言葉は言わなかった。
籍は抜いても、グレプは愛する息子なのだから。
「父上!、母上! 謝りますから、助けて。死にたくないよ!」
「大丈夫だよ、グレプ。よっっっぽど、変なことをしなければ、生きてられるから。
ちなみに俺のことは、 “イルワナ先輩” って呼んでね。
お前も平民になったんだから、口の聞き方だけは気を付けろよ。
じゃ、行こうか!」
グレプがジタバタと暴れる中、「静かにしないと迷惑になるからね」と布を噛まされた彼は、それでも「うー、うー」と呻き続けた。
殆どの者が寝静まる中、アルロレアとクリーア、家令だけが見守り、グレプの乗る馬車が去って行った。
「このことは私達の秘密だ。よろしくね」
「勿論でございます。旦那様」
家令は深く礼をして、その場を去って行った。
アルロレアとクリーアは、新月の夜空を見上げ静寂の中で涙を落とした。
ずっと幸せを願っていた息子だが、その罪からこれから苦労することを思い。
「あの子は貴族に向いていなかった。これで良かったのかもしれないよ」
「……そうですね。ボルケ様は精神面でビルワ嬢を支えてくれれば、多くは望まないと言って下さっていたわ。
それなのに…………」
グレプの行動は両親を深く悲しませていた。
◇◇◇
現在グレプは、『煌めきのななつ星』のロベルトとリキューに、冒険者の基礎訓練を受けていた。
それが終われば、ダンジョンに潜る予定だ。
そこから少し離れた村が、現在滞在している場所だ。村と言ってもほぼ森で、管理する者が交代で訪れるだけだった。
一番の手練れであるロベルトとリキューが付けられたのは、ボルケなりの温情だった。
彼らの弟子であるイルワナやイスズなどは、「ズルイ、贔屓だ」と暴れていた。
それほど『煌めきのななつ星』は、彼ら冒険者の憧れだった。
容赦なくグレプに続けられる訓練に、彼は嘔吐や気絶を繰り返した。
それはそうだろう。
だって婿養子予定だった彼は、剣術訓練さえ手を抜いていたのだから、丸っきり体力がない。
だからと言って、訓練メニューに変更はない。
できるまでやるが “きまり” だから、ロベルトとリキューが交代で彼に付くことになる。
取りあえず初期だから、睡眠だけは確保される。
気絶してたなら、そこからカウントが始まるのは当たり前だが。
「もう、もう死んじゃう。家に帰して、お願いします!
獣の皮を剥ぐなんて、絶対出来ないもん。おえっ」
「じゃあ、お前が獣を狩るか? 皮ぐらい俺がちゃっちゃと剥いでやるから。
ほら、死ぬなよ」
「か、狩れる訳ないし。もう帰してくれぇ」
牙を向ける猛獣を前に、グレプの背を押すリキュー。
無理だと言って土下座で帰還を願うグレプだが、それらに意味はない。
「俺達はボルケに従うだけだ。
俺なんて甘い方だぞ。
あいつが訓練付けに来たら、魔獣か猛獣の前に囮に出されるぞ。
そしたら絶対食い付かれるし、下手したら一口肉を持ってかれる。
いわゆるスパルタ教育ってやつか?
その代わりに、早く強くはなれるかな。はははっ」
「猛獣の囮……。冗談じゃない、嘘だよね。
本当に死んじゃうよ、僕。
父上、母上、助けてよ!」
そう呟いて、絶望を顔を浮かべるグレプは踞った。
そんな彼から目を離し、猛獣の虎の眉間に太い槍を突き刺した。
片手間に止めの念書を胸ポケットから取り出し、グレプにそれを見せるリキュー。
その後に虎を木の枝へ逆さに吊るし、頚部の血管に切り目を入れて血抜きを始める。
その念書には彼の父親の文字で、信じられないことが書かれていた。
「グレプは慰謝料代わりの労働の為に、ボルケ様にお預けします。
貴族籍は抜いていますので、遠慮はいりません。
もし動けないくらい重症ならば、当家にお戻し下さい。怪我が治り次第、そちらに戻します。
治癒魔法を使える方がいれば、治療後に請求書をお送り下さい。かかった治療費をお送りします。
軽い傷ならば、他の方と一緒の対応でお願いします。
何もできない情けない息子ですが、何卒よろしくお願い致します。
アルロレア・フルンツェ」
「嘘、だ。こんなの…………」
彼は本当に、今度こそ捨てられたと思ったのだろう。
人目を気にせず地面に横たわり泣きじゃくる様は、観察されながらも暫く放置されていた。
「やだもう、なんで僕がこんな目にあうの?
たかが婚約を解消しただけじゃないか。
もうやだ、もうやだ。
助けに来てよ。
もう我が儘なんて言わないから……うっ、うぐっ」
泣きながらそこで眠ったグレプは、翌朝目覚めた時泥だらけだった。
けれどその後から彼は不満を言わなくなり、真面目に訓練へ参加するようになった。
『煌めきのななつ星』の副リーダーロベルトは、彼の逃走センスに注目した。
戦闘の免疫がなくて、泣きながら猛獣から逃げ回ったことで、彼の隠された魔法スキル『すばやさ』が覚醒したのだった。
「これは、良い囮になりそうだ。まだまだ拙い戦闘スキルだが、すばやさは突き抜けているからな!」
こうしてグレプは、戦闘能力は弱いが常に最前線に出る、重要な役割を獲得したのだ。
猛獣は猛者を避ける。
人もある意味そうだろう。
だがまだまだ弱い、若年冒険者より遥かに弱いグレプは、誘き出しに重宝された。
この役を降りるには、強くなるしかない。
けれど彼が強くなると同時に、周囲も強くなるので、中々役割は変わらない。
それにすばやさがある程度ないと、やっぱり変われないから、なりたての冒険者にも任せられないのだった。
数年後。
「うわー! もう良いでしょ、逃げて良いでしょ?
イデッ、ちょっともう爪で引っ掛かれた。
ねえ、おいってば!!!
もう、下がるからね!!!!!」
微笑むチームメンバーと、攻撃のタイミングを図るロベルトとリキュー。
相変わらずダンジョンには、グレプの情けない声が響いていた。
そんな彼だが、少し傷つく程度では焦りもせず、状況を見極めて離脱する術を身に付けつつあった。
最初とは違い、動体視力と身の熟しは格段に上がり、もう重症を負うことはない。
そんなグレプも、強くて頼れる前衛と呼ばれる日が、後数年後に訪れる。
まだ今の彼からすれば、ずっと遠い未来には希望はあるのだ。
彼はもう、貴族に戻ろうとは思っていない。
この暮らしがあっているようだ。