中村警部の事件簿 四 「蜘蛛」
洋風の屋敷は、どこか日本ではないような感じを引き出す。そんな屋敷にパトカーが数台停まっていた。そのパトカーの車列の中から中村警部、山下が出てきた。二人は、洋館の門をくぐり、庭の真ん中に一本通っている、石畳の通路を通って行った。入り口の前に、一人の女性が立っていた。中村警部はその女性に声をかけた。
「お待たせしました。警視庁の中村です。」
「同じく山下です。」
中村警部と山下は警察手帳を女性に見せた。
「こんにちは、私は、糸虫明代という者です。電話でお話したように、私の主人であります糸虫尊生が今朝、遺体になっておりました。こちらです。」
明代に案内され、中村警部、山下は尊生の部屋に行った。
「こちらが尊生の部屋です。」
部屋の中には、糸虫尊生が倒れていた。首には紐状のもので締められた跡があり、吉川線もあった。中村警部は遺体のそばに行き、遺体を観察した。
「締められた跡、吉川線、耳からの出血、絞殺で間違いなさそうだな。」
中村警部は遺体から離れると、鑑識に声をかけた。
「死因は絞殺と見て間違い無いだろうが、何か遺留品とかは見つかっているか?」
「ええ。遺体のそばに。こんなものが落ちていました。」
鑑識官は中村警部に、鑑識捜査用の袋に入った大きな蜘蛛の死骸を見せた。山下は、あまりの気持ち悪さに顔を背けた。中村警部は少し、目を細めながら、話を続けた。
「これは、蜘蛛か?」
「ええ、遺体のそばに落ちていました。」
「その様子だと、何かで押し潰された様だな。」
「はい。そのため、落ちていた場所には、蜘蛛の体液と思われる液体が広がっていました。」
中村警部は、もう一度、遺体周辺を観察した。すると、カーペットの一部にシミができていた。
(なるほど、あそこに蜘蛛の死骸があったんだな。)
中村警部は部屋を観察し始めた。部屋はごく普通の様子だったが、遺体から少し離れた部屋の奥に、何個も水槽が並んでいる棚があった。中村警部がそばに行ってみると、水槽一つ一つに蜘蛛が一匹ずつ入っていた。中村警部が蜘蛛を観察していると、突然足に痛みが走った。
「痛てっ。」
中村警部が驚いて足元を見ると、ガラスが散乱していた。上を見上げると、棚のほとんどが水槽で埋まっているのに、一部だけ水槽がない場所があり、そこがガラスが散乱しているところの真上に当たるところだった。
(なるほど、何かしらの衝撃がこの棚にかかって、ここに置いてあった水槽が下に落下したのか。そして、その水槽に入っていた蜘蛛が遺体のそばにあった死骸と見てまちがいないだろう。だとしたら、水槽が落下する原因となった衝撃は、被害者が犯人ともみ合っている最中に起きたものだろう。)
中村警部は明代に声をかけた。
「明代さん、今、この家に不在の方は?」
「いいえ。全員いますけど・・・」
「では、何処か全員が入り切ることができる部屋に、全員を集めていただけますか?」
「はい。かしこまりました。では、こちらへ。」
中村警部と山下は、明代に案内され、食堂に入った。
「全員をここに呼んできますので、しばらくお待ち下さい。」
そう言うと明代は食堂を出て行った。
数分後、明代が数人を連れて、戻ってきた。そして、連れてきた四人に一列に並ぶよう、促した。
「紹介いたします。私の隣から、糸虫大樹、私の息子です。糸虫明子、大樹の妻です。糸虫翔太、大樹の息子です。現在七歳です。それから、高崎一葉、糸虫家で雇っている家政婦です。以上です。」
明代は中村警部に一礼した。
「明代さんありがとうございます。先程、鑑識官から死亡推定時刻が確定したと連絡があり、昨夜の九時から十時の間ということがわかりました。そこで、大変申し訳ないのですが、みなさんがその時間、どこで何をしていたのかを教えてください。ご協力をお願いします。では、まずは被害者の妻である明代さんからお願いします。」
「はい。昨日のその時間は、部屋で本を読んでいました。」
「それを証明することはできますか?」
「いいえ、できません。」
「では、大樹さんはどうでしょうか?」
「僕は、その時間はパソコン内の書類や写真の整理をしていました。証明することはできません。」
「ありがとうございます。では、明子さんはどうですか?」
「私は翔太の部屋で、翔太に勉強を教えていました。なので、私と翔太はその時間、一緒にいました。」
「ありがとうございます。では、家政婦の高崎さんはどうでしょう?」
「私は、夕食の食器を洗っていました。一人で洗っていましたので、証明することはできません。」
「ありがとうございます。これで、皆さんのアリバイを確認することができました。では、次に、被害者である、尊生さんが誰かから恨まれている心当たりがあれば教えて下さい。」
一同は皆、首を横に振った。
「ありがとうございました。では、皆さんはその場で待機していて下さい。」
中村警部は山下についてくるよう、合図を送り、食堂の外に出た。
「あの様子だと、明子さんと翔太君以外はアリバイがない様ですね。」
「そうだ、しかし、明子さんのアリバイは、まだ小学生の翔太君によって証明されている。これは、あくまでも可能性の話だが、まだ、色々なことを判断しずらい小学生の息子を自身のアリバイ工作に使用している可能性も考えられる。」
「確かに、それも考えられますけど、普通、自分の子供を自身のアリバイ工作に利用したりしないんじゃないんですか?」
「まあ、俺もそこは少々気になるが、とりあえず、まずは明子さんから裏どりを始めるとしよう。まずは、息子の翔太君から。」
中村警部と山下は再び食堂に戻り、翔太君の側へ行った。翔太君は、初めてみる刑事二人に少し怯えている様だった。
「お、おじさんたち、だ〜れ〜?」
中村警部は保育士のような優しい笑顔を作って答えた。
「おじさん達はね、警察官さんだよ、今、事件の調査中なんだけど、この事件、解決するのが難しくて、おじさん達、困ってるんだ。でね、翔太君がおじさん達の役に立てる事がある事が分かったんだ。だから、事件解決のためにも、おじさん達に協力して欲しいんだけど、いいかな?」
「うん。わかった。いいよ。それで、ぼくはなにをしたらいい?」
翔太君は笑顔で中村警部を見つめた。
「じゃあ、まずは、昨日の九時から十時までの間、お母さんに勉強を教えてもらっていたのは本当なのか、教えてくれるかな?」
「うん。そうだよ。ぼくおかあさんにもっとけいさんがはやくできるようになっておきなさいってしかられちゃった。」
翔太君はうつむいて、暗い表情で自分のネクタイの先端を丸めたり、戻したりし始めた。
「大丈夫さ、練習すれば計算ぐらい、すぐに早くなるよ。」
中村警部は、翔太君の顔をにこやかな笑顔で覗き込み、頭を撫でた。そして、翔太君のそばを離れると、山下に声を掛けた。
「俺が見る限り、翔太君は、嘘をついている様子がない。声が高くなってないし、早口にもならず、俺の目をしっかりとみて話せている。これらの事から、明子さんのアリバイは成立したと言っても良いだろう。」
「ですね。となると、アリバイがないのは、被害者の妻の明代さん、被害者の息子の大樹さん、家政婦の高崎さんということになりますね。その三人のアリバイも調べますか。」
「いや、その必要は無い。」
中村警部の衝撃的な返答に山下は本当に驚いた。
「なんでですか?あともう少しじゃないですか。」
「まあまあ、落ち着け。」
中村警部は山下を落ち着かせ、少し嬉しそうな様子で話し始めた。
「山下、現場の床に蜘蛛の死骸があったのを覚えているか?」
「はい、体液が出ていて、少しグロテスクでしたよね。」
「そう、体液がこの事件の鍵なんだ。」
「体液が?それは一体どういう事なんです?」
「説明しよう。体液を踏んんだのは犯人と見て間違いない。もし仮に、被害者が踏んだのであれば、被害者の足や靴に体液が付着するはずだからな。しかし、被害者のどこにも体液は付着していなかった。となれば、体液が犯人に付着している可能性はとても高い。さらに、犯人は人を殺した後のパニックで、体液の事など頭になかった可能性も高い。となれば、この体液をよく調べると、犯人逮捕に繋がるのではないかと考えた訳だ。」
「なるほど。さすが中村警部。」
山下は拍手をした。
「よし、早速、食堂に戻り、犯人を名指しと行こうじゃないか。」
「ですね、行きましう。」
中村警部と山下は、食堂に戻った。食堂では、一同が首を長くして中村警部達の事を待っていた。
「いつまで、私たちを拘束しておくつもりなんですか!もういい加減に解放して下さい。」
「まあまあ、落ち着いて下さい。」
激怒する大樹を落ち着かせた中村警部は、真相を語り始めた。
「この事件の犯人はまだ分かっていませんが、犯人を特定する方法なら分かりました。そこで、申し訳ないのですが、少々皆さんには協力して頂きます。失礼ですが、皆さんの靴の裏を見せて頂けませんか?」
一同は靴を脱ぎ、テーブルの上に靴底を上にして置いた。中村警部は、置かれた靴を念入りに観察し、ある人物の前にたった。
「尊生さんを殺害したのは、あなたです。高崎一葉さん。」
高崎一葉はいきなり笑い出した。
「ハハハ、私が明代様の旦那様を殺した?何を言っているんですか、そんな訳ないじゃないですか。」
腹を抱えて笑う一葉に中村警部は説明を始めた。
「では、この靴の裏についている少しベトベトした物はなんですか?」
中村警部は一葉の靴の裏についた蜘蛛の体液を指さした。
「さあ、料理している時にこぼした油でも踏んだんじゃないですか?」
一葉はまさかその靴が決定的な証拠になるとは思ってもいない、余裕のある表情をしていた。
「おや、高崎さん、犯人として名指しされたのに、なんだか余裕そうですね。」
一葉は口の片端を持ち上げ、警部を馬鹿にしたような表情で答えた。
「だって私の靴の裏に油がついていたぐらいで犯人だなんて、まるで小学生の推理だわ。」
「本当に油でしょうか?」
「え?」
「私の予想ですと、これは死んでいた蜘蛛の体液なのではないでしょうか?現場に、体液が飛び出した蜘蛛の死体もありましたし。鑑識に頼んで照合すればすぐに分かる事ですよ。調べてもよろしいですか?高崎さん。」
「・・・・・・わ、分かったわよ、認めるわよ。そうよ、あの男を殺したのは私よ。」
うつむく一葉に明代は驚いた表情で問いかけた。
「で、でも、一体どうして高崎さんが主人を?」
一葉はうつむいたまま話し始めた。
「私は、この糸虫家の家政婦として、長年働き続けてきたわ。別に自分にとってこの仕事が負担ではなかったわ・・・」
一葉はしばらくうつむいたまま黙った。そして、突然、顔を上げて叫んだ。
「でも、あの男が飼っていた蜘蛛!あの蜘蛛達だけは気持ちが悪くて心の負担だった!」
そう叫んだ一葉は今までの一葉とはまるで別人のような顔をしていた。目は限界までつり上がり、充血し、唇が震えていた。
「さあ、連れて行きなさい。私、人殺しだから。」
一葉は再びうつむいた。
「では、逮捕、連行します。」
中村警部は手錠を一葉の手にかけた。
翌日、警視庁のデスクで中村警部が報告書を書いていると、山下が挨拶しに来た。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします。」
「おはよう。山下。今日もよろしく。」
中村警部が挨拶をし終えた時、どこからか蝶が現れ、山下の頭上にとまった。中村警部は笑いを堪えていたが、思わず吹き出してしまった。
「え、警部?何か面白い事でもありました?」
「いいや。何も。」
中村警部はそう答えたが、蝶はまだ山下の頭上にとまっていて、中村警部は笑いを堪えることが出来ず、クスクス笑ってしまった。
「ちょっと、何なんですか一体!いい加減、笑うのを辞めてくださらないと、怒りますよ。」
「す、すまん山下。しかし・・・ブっ」
中村警部は少し落ち着かなくてはと思い、トイレに向かって走り出した。
「あ、ちょっと、逃げないで下さいよ。」
山下は慌てて中村警部の後を追いかけた。
完