3.ヒガンのリアリズム。
「なぜ俺が、そのようなことに付き合わなければならない?」
「その理由はまだ話せない。だが、これは大切なことなのだ」
「大切なこと……? ――ふむ」
アリナが薄っぺらい胸を張って口にする言葉に、俺は少しばかり思考を巡らせる。
力を示すことを、大切なこと、と彼女は言った。それが僅かに引っかかる。つまりこの少女は、そのようにしなければならない立場にある、ということになる。
だとすれば、こちらも確かめたいことがあった。
それは彼女のことを観察して抱いた、一つの疑問について。
「いいだろう。ただし、この一回限りだ」
「ふ、その決断を後悔させてやるぞ!」
だから、俺はアリナの申し出を受けた。
そして最後にちらりと、彼女の手にした剣に描かれた紋を見る。
「――まさか、な」
至った結論、その一つ。
あり得ないだろうと、そうは思いながら。
◆
――翌日。
俺とアリナは一時的にパーティーを組み、クエストを受けた。
その内容というのも、単純な魔物の討伐だ。数や種族に指定はなく、ただ魔物を倒した際に回収できる魔素の結晶を目的としたもの。
「これなら、思う存分に暴れられる!」
「言っておくが、ここにはそれなりに強い魔物が出現する。万が一ということもある。助けが必要なら、無理をせずに申告するようにしろ」
「はっ……! 貴様――ヒガンの方こそ、強気でいられるのも今のうちだぞ?」
ダンジョンの中間層にて。
俺たちはそんな言葉を交わしていた。
こちらが忠告をしてやったのに、なぜか喧嘩腰な少女。しかし、それに感情を逆立てることはない。子供の挑発に乗るほど、未熟ではないからだ。
それに、こちらはこちらで目的がある。
「話はここまでにするぞ。どうやら、現れたらしい」
軽く受け流して、俺は前を見る。
すると、視線の先には一体の異形がたたずんでいた。
「ガアァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
筋骨隆々な黒褐色の肌、鋭い赤の眼光。
背には巨大な翼が生えており、爪は鉤のようになっていた。
こいつは【デイモン】と呼ばれる悪魔族の一種。冒険者の間では、こいつを倒せるか否かが実力を測る指標ともなっている。いわば、一つの壁だった。
手始めと言ってはアレだが、アリナの実力を見るには手ごろな相手だ。
俺はちらりと、口角を上げる少女を見る。手に握っているのは――件の剣。
「それでは、私からいかせてもらう!!」
それを一度、大きく振りかぶってから。
彼女はデイモンに向かって、一直線に駆けだした。
一瞬で間合いを詰め、悪魔の丸太のような腕を切り落とす。
「……ふむ」
俺は顎に手を当てて、納得した。
なるほど、挑戦的な態度を見せる理由も頷ける。デイモンに一撃を加えることも、並の冒険者であれば苦心するのだ。
それにもかかわらず、彼女は相手に隙を与えることなくやってのけた。
さらに続けて脚、胴体と斬り付け、最後は眼前に降りてきたその首を刎ねる。流れるような動きで、ほとんど無駄がない。
「――ふ、どうだ!!」
自身でも会心の出来だと思ったのだろう。
得意げにこちらを振り返り、魔素へと還る悪魔を背にした。
「あまりの手際の良さに、言葉もないだろう!」
そして腕を組み、ふんぞり返りながら笑う。
すでに勝ち誇っている様子なので、俺は少しだけ釘を刺すことにした。
「あぁ、たしかにな。だが――」
少女に接近し、自身の剣を横に振り払う。
「なっ!?」
「油断しすぎ、だな」
驚き目を見開くアリナ。
そんな彼女の後方で、もう一体のデイモンが身体を上下に切り離され絶命した。
「な、なななななな!?」
「戦場での気の緩みは、死へと直結する。――分かったか?」
「な……助けられたわけではないからな!? 今のは少しだけ、お前の実力を見ようとしただけだからな!」
「そうだと良いがな。さて……」
ムキになって吠える少女を尻目に、俺は周囲を確認する。
どうやら、今ほどの戦闘が呼び水になったらしい。アリナは気づいていないが、俺たちの周りにはデイモンより大きな魔力反応が複数あった。
ふっと息をつき、彼女に背を向ける。
「――三年振り、か」
「なに……?」
そして、こう伝えた。
「一時的とはいえ、俺たちはパーティーを組んでいる。競い合っているとはいえ、その前提に逆らうのは非論理的、非合理的だ。――少しの間、背中を預ける」
少女が息を呑むのが分かる。
だが、それに答える必要はない。
「――――!」
俺は一息に全身の魔力を放出する。
脚に力を集中させ、まずは最も接近している魔物へと躍りかかった。
◆
「なにが、背中を預ける――だ」
アリナは戦慄していた。
その理由というのは、他でもない。
目の前で異次元の動きをする、ヒガン・ネロクラウスに対してだ。
「私のことなど、最初から眼中にないのではないか……!」
声を震わせる。
そうしている間にも、ヒガンは数々の魔物を屠っていく。とても目では追えない速さで。先ほどのデイモンよりも高次の魔物を、次々と……。
「くっ……!」
少女は唇を噛んだ。あまりにも、悔しかった。
歴然とした差を見せつけられ、足が竦む自分が情けない。しかし、そうしていると彼女に囁く声があるのだ。形なき、アリナにしか聞こえない声が。
『やはり、お前はその程度なのか』
『役立たずの恥さらし』
『無能な伝承者』
――瞬間。
アリナはダンジョンの奥へと駆けだした。
「負けない、私はもう役立たずではない……!!」
無意識のうちに涙を流しながら。
ヒガンには何も告げずに、逃げるようにして。
「アイツよりも強力な魔物を狩れば、今回の勝負なら……!」
――負けには、ならない。
その一心で少女は、さらに奥へと駆けるのだ。
だがその無謀は当然に、彼女を窮地へと追いやる。
「ひ……!?」
ただならぬ雰囲気。
肌を刺すような感覚で分かる。
目の前に現れた黒い影――その魔物は、正真正銘のバケモノだと。
「あ、あぁぁ……」
視界が揺らぐ。
もう、堪え切れなかった。
ただただ、力なく少女は崩れ落ちる。
「私は、やっぱり継承者失格だ」
そして、口を突いて出るのは諦めの言葉。
自分はやはり、役立たずな恥さらし、なのだと。そう、思い知らされた。
「ごめんなさい、私は――」
いよいよ目の前の魔物が、彼女に食らいつかんとする。
だが、その時だった。
「やはり、非論理的だな」
「え……?」
彼の声が、傍らで聞こえたのは。
「背中を預けた相手に逃げられると、こちらも困る。それに俺はスタンドプレイというものを嫌っていてな、今は三年振りに怒りを覚えている」
「どう、して……?」
見上げると、そこにいたのは紛れもない――ヒガン・ネロクラウス。
アリナはなぜ彼がここにいるのか、理解できなかった。
だから、なぜと問いかける。
「なぜ助けるのか、だと? ――決まっている」
すると、どこか小馬鹿にしたように。
ヒガンは剣を構えて、こう少女に告げるのだった。
「仲間を見捨てる以上に、非論理的な行為はないからな」――と。