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私はフランス語が分かりません

作者: ツァッキ

 よい、わるい、という、主観に基づいた価値判断を示す二項対立がある。よい日、という日は、何がよかったのだろう。「ああ、今日はよい日だった」と言えるような一日の、どういった点がその人にとってよかったのだろう。立ち寄った喫茶店のコーヒーがとても美味しかった。大いに結構。恋人と素晴らしいデートをした。大いに結構。普段と違うタバコの銘柄を購めてみたら意外といけた。大いに結構。「よい日」の何が「よかった」のかは、人それぞれだ。「幸せ」でもあり「嬉しく」もある出来事ではあるが、そういった言葉でなく「ああ、『よかった』なあ」と思える一日というのは、生きていたら一日ぐらいはあってもおかしくはない。貧困や難病に苦しんでいる人だって、そう思える日はきっとあるはずだ。平和ボケと言われればそれまでだが、今日一日を言祝ぐことは、誰にも禁止されていない。これからぼくが語るのは、人生の日々の中で、これ以上ないほどに美しい、「よい日」の思い出の記録。これからこの先ぼくの身に何も起こらなかったとしても、何かが起こったとしても、この一日は、永遠に残り続ける一日。


 真っ白なキャンバスを前にして呆然とする日々が、ここ一か月続いている。どの筆を選んで、どの色を使って、この無限に続くかのような白い荒野に最初の一歩を踏み出せるのか、全く見当がつかないのだ。いや、そうじゃない。エスキースが描き出せない時点で、ぼくは描こうと決めたテーマに自信がないことは全く明らかだった。決めていたテーマは、フランスの「呪われた作家」、ルイ=フェルディナン・セリーヌの『夜の果ての旅』の主人公・バルダミュの肖像画だ。戦争に参加したバルダミュの顔つきに、作家セリーヌの姿がちらつく。セリーヌから離れてバルダミュを描くことはできないかもしれない。セリーヌの顔に、ぼくが創り出したバルダミュの顔をオーヴァーラップさせ、「顔」が持つ想像力をかきたてる狙いがあった。

 しかし、目の前には依然として白いキャンバスがある。鉛筆で下絵さえも描けないのだ。何が原因かも分からない。頭の中にはぼんやりとではあるが完成品も浮かんでいる。なのに、描き出せない。これが俗に言うスランプか?考えれば考えるほど、セリーヌとバルダミュの顔が迫ってくる気がして、息が苦しくなる。むしゃくしゃして、オーバードーズ用に買いためていた咳止め薬を取り出し、いつもなら30錠飲んでいるところを40錠にして寝てしまおうか、と思ったが、やめた。オーバードーズは大麻やコカインのトリップとは違って、何のアイデアも生み出さない。ベッドに体がゆっくりと沈んでいき、音楽が脳髄を包み込むような感覚が好きでオーバードーズを続けていたが、所詮は解釈であって、創造ではない。それに、日本で大麻やコカインをやるのはリスクがある。リスクを冒せないあたりが、僕が平々凡々かそれ以下の画家でしかないということの証拠なのだろう。良い絵が描けるなら、麻薬でも覚醒剤でも上等だという気持ちだけはあるが、絵を描き続けたいという気持ちの方が大きかった。生み出す者は、生活を取るか作品を取るかの二択を迫られるが、ぼくは生活を取った。咳止め薬のオーバードーズは、生活へのささやかな反抗だったのかもしれない。

 ぼくは描けない自分と対峙することに決めた。思考をヴィヴィッドにしなければいけない。開けていなかったアンデス・キーパーの栓を開け、直接口をつけて一気に呷ると、さっきまで澱んでいた思考が一気にクリアになるのを感じる。ゴールデンバットに火をつける。アルコールとニコチンが、もっとも危険なドラッグだと思うことがあるが、こちらの方がオーバードーズよりよほどましだ。ワインを飲み、タバコを吸いながら、キャンバスを見つめる。酔いが回ってきたこの勢いなら、行けるんじゃないか。

 鉛筆を持ち、エスキースに取り掛かろうとした瞬間、スマートフォンの画面が光った。電話の着信が入っていた。

「あーもしもし、セリーヌの絵はできたか?新しい原稿の初稿が出来上がったから、大村の意見が欲しくて」

「今エスキースを描こうとしてたところだよ。宮原の文章は読んでてしんどいからまた今度にしてくれ」

「げっ、というかまだエスキースも描いてなかったのか。俺と違って締め切りとかないんだしお前の家で飲もうぜ。アイデアも出るかもしれないし。30分後に酒買って行くから待ってろ」

 人の話を聞けよ、という前に電話が切れた。ただ、宮原のああいう誘いはなんとなく断りづらい。大学時代宮原を一晩中引きずり回して一緒に酒を飲んでいたこともあり、そして何より酒が好きなぼくは、宮原がぼくに返事を聞かない理由は分かっていた。ぼくはワインを喉を鳴らして飲んだ。


「うわ、本当に真っ白だな……」

「お前から電話がかかってこなかったらエスキースには取り掛かれてたよ……」

 と言いつつ、ぼくは宮原が到着するまでの30分間でアンデス・キーパーを空にしていた。ぼくの普段の飲酒量からすればどうということでもないが、説得力のある発言とは言えないだろう。宮原はぼくのアトリエをしげしげと眺めまわしていた。

「俺は大村の絵好きなんだけど、大村は俺の文章好きじゃないよな」

 そう言いながら宮原は苦笑した。自分の絵のスタイルを自分で言うのはおかしいが、宮原はぼくの絵をフランシス・ベーコンのそれに例えていた。黒を基調とした色使い、有機物を描くときの独特のグロテスクな感触、油絵特有の厚ぼったく生々しいマティエールが、ベーコンを彷彿とさせるのだと言う。元々ゴッホに憧れて独学で油絵を勉強したのだが、ぼくの作風は宮原曰く「えげつない」らしい。美大にも通わず絵を描き続けて画廊や賞などに出し、売れっ子とはいかないまでもなんとか小さい個展ぐらいは開けるようになったのは、宮原の言う「えげつない」絵を好む層からは受けがいいということなのだろう。まあ、評論家からは時代錯誤だの大時代的だのと言われているが、特定の顧客がいる以上大した問題ではない。

 ビールを片手にアトリエを見ている宮原に声をかけた。

「ぼくの絵はいずれ画廊にでも出すか個展の一部にするが、お前の今回書いた文章はどんな文章なんだ」

「ああ、小説だよ。文芸誌から短編を依頼されてね。俺は小説を書くとしたら恋愛小説が多いから、担当の人にその線でお願いしますって言われたんだけど、少し趣向を変えてみた」

「どんな風に?ぼくも小説だとしたら恋愛小説だと思ったんだが」

「思い出の話かな。人生で、あー、あの時は生きててよかったなー、と思える思い出の話」

 宮原にそんなポジティブな小説は書けないだろう、とその時思ってしまった。互いに而立を越え、ぼくは売れない画家で、宮原は売れない物書き、いい年こいてクリエイターぶってる「イタい」大人だ。ぼくは個展を出せると言っても大したことはなく、普段は清掃員のアルバイトをして食いつないでいる。宮原も小さい喫茶店の手伝いの小遣いと原稿料でやりくりしていて、会うと毎回貰いタバコをするような生活だ。もちろん、パートナーは二人ともいない。宮原の小説は昔交際を持った女性への怨嗟や嫉妬などをテーマにした「みっともなさ」が売りだったが、それは生活の苦しみと無縁ではない。そこまで宮原が自分の作風を変えることには、何か意味があるのかと思った。

「お前、そんな小説をなんで書こうと思った?」

「いや、過去にがっつく醜さで飯食うのはもうやめようと思って。俺は過去のことしか書けないから、よかったことを書きたいんだよね。アトリエいても埒があかないし、リビングに行こうぜ」


 ぼくの家のリビングは、テーブル、ソファ、テレビ、物入れなどと普通のシンプルな設えだったが、テレビの横に今ではもう珍しいLPのターンテーブルとスピーカーがあった。亡くなった祖父から譲り受けたものだが、今ではもう大して使っていない。何枚かレコードもあった。オーティス・レディングのレコードはよく聴いていたが、他のコレクション(と呼べるほどでもない)はあまりよく把握していなかった。ぼくと宮原は音楽が好きで、大学を卒業してからはたまにしか会わなくなったが大学時代はしょっちゅう音楽の話を肴に酒を飲んだ。レディオヘッドのアルバムはどれが一番いいかとか、宮原がビートルズは『ホワイト・アルバム』しか聴いていないと言ったらぼくが怒って飲み屋で説教をしたとか、そういうこともあった。今はお互い自分の仕事に追われて、そういう余裕もなくなった。悪い思い出とは言わないが、あの頃に戻りたいかと言われると、分からない。ああいう会話をするのは若気の至りではあるが、少し恥ずかしい気持ちにもなる。

 リビングでお互いに酒を飲んだ。宮原が買ってきたジャック・ダニエルの一番大きい瓶を、二人で飲む。ぼくと宮原だったらこの程度の量は訳もない。飲み方はロックで決め打ちだ。

「いやさ、大村、お前の絵はな、今は売れなくてもな、絶対評価されるときが来んのよ」

「宮原が酔っ払っても飲めるのは知ってるけど、吐くならトイレで吐けよ」

「大丈夫大丈夫。あ、お前今でもセリーヌはフランス語で読んでるの?」

「日本語訳を見ながらだな。大学時代ほどは読めないけど。なんで?」

「俺が唯一分かるフランス語あったじゃん、あれなんだっけ」

「『ジュ・ヌ・コンプラン・パ・フランセ』でしょ?」

 宮原はそれを聞くと毎回笑った。短い期間だが、フランスに一時期居たことがある。日本でもワインをやたら飲むのはそのせいかもしれない。ぼくはフランス語をある程度話せるが、宮原は全く分からない。ぼくが流暢にフランス語を喋ってみせるのがなんだかおかしいらしい。Je ne comprends pas francaisは「私はフランス語が分かりません」という意味で、宮原にはもしフランスに行って話しかけられたらこれだけ言っておけばいいと教えた。rの発音が宮原には面白いらしく、よくぼくの発音を真似して同じ文章を繰り返し言っていた。

 しばらくすると、宮原がレコードの棚を漁り出した。音楽好きとしては無音が寂しいのだろう。自分の家のコレクションを漁られることに大して抵抗はない。そもそも自分のコレクションではないのだし。

「あれ、お前こんないいもの持ってたっけ。ナット・キング・コールのベスト盤」

「まあ、適当にかけてくれ」

 ナット・キング・コールのベスト盤はCapitalプレスの赤い盤面が特徴的なんだ、と宮原が息を荒くして言っていた。ぼくはジャックのロックを4杯飲み、出来上がりつつあったのでよく分からなかった。

 宮原が慎重に回るレコードに針を落とす。スピーカーから、ギターをつま弾く音に続いて流麗でヴェルヴェットのような手触りのストリングスが流れ出す。「モナ・リザ」だ。ナット・キング・コールの「Mona lisa, mona lisa」の甘く滴る歌声がリビングを満たす。寄せては返す音楽の波に脳髄が心地よく揉まれ、彼の甘いチョコレートのような声を聴きながら、宮原とぼくは思わず押し黙った。手元のウイスキーのグラスを口元に傾ける以外は、タバコを吸うことさえしなかった。最後、「キング」の声が高く昇って消えていく様は、美しい夢が終わってしまうのに似ていた。ぼくと宮原は、無言で顔を見合わせた。しばらく、言葉を発せなかった。宮原はようやく手元のジタンを吸った。タバコを片手に、ぼくに言った。

「……ヤバくないか、これ」

「……そうだな。ちょっとびっくりした」

 宮原は吸いかけのタバコを灰皿に置き、「アンフォーゲッタブル」が流れ出しているレコードから針を離し、もう一度「モナ・リザ」が流れる一番最初に針を戻した。そういう訳で、2時間ほど、ぼくと宮原は「キング」の「モナ・リザ」を繰り返し、何度も何度も聴いた。ぼくはその最中、思わず「あの頃」を思い出した。宮原と朝まで音楽談議に明け暮れ、講義が終わったら絵を描いていた日々を。ようやく、宮原の言っていたことが分かった気がした。あいつは、「思い出の話」を書いた、と言っていた。多分、こういうことなのだ。思い出は、突如として帰ってくる。それは美しいものかもしれないし、醜いものかもしれない。でも、あの思い出は、紛れもなくぼくや宮原を救ってくれるもののはずだ。宮原は、目を閉じて音楽を聴いていた。宮原も、多分思い出しているのだろう。そしてこれも、「思い出」になるのだろう。


 ひとしきり聴き終わったあと、沈黙していた宮原が口を開いた。

「大村」

「何だ?」

「お前、絵描けるか?」

「まあ、酔っ払ってはいるけど」

「エスキースでいいから、俺の絵を描いてくれないか」

 そう言われた瞬間、宮原の絵を描かなければならないような気がした。「キング」の歌を宮原と聴いていたこの日を、宮原の絵を描くことによって、宮原の「顔」を残しておくことによって、残しておかなければならないと本能的に思った。そして、何故ぼくがセリーヌとバルダミュが描けなかったのかが分かった。小説とは違った形で、バルダミュの顔を「残す」こと。小説は、読んでも読んだ後その小説の数十パーセントしか頭に残らないと言われている。それでも、小説を読んだ後は読み手の中に何かが「残る」のだ。バルダミュを、宮原を、自分の手で「残す」ことが、今ぼくが画家としてやらなければならないことだと察知した。

「いいよ。エスキースと簡単な着色をしてやる。アトリエに行こう」


 椅子に宮原を座らせ、キャンバスを挟んでぼくが鉛筆を握る。顔に十字を書いて簡単にパーツの把握をした後、上半身の骨格を取って肉をつけていく。人物画は得意な方ではないが、宮原を描くことは楽しかった。横長で一重の目、大きい鼻、厚い唇、宮原は決して美青年ではないが、男性的な顔立ちをしているので描きやすい。アルコールが回りながら描いているために視界がときたまぼやけるが、描きながら今日一日のことを思う。宮原が来なかったとして、描けなかった絵と対峙できただろうか。酒を飲んで寝ていただろう。宮原と絵の話をしたり、酒を飲みながら音楽を聴いたり、そしてこうして宮原の絵を描いたりした。もう若くはない。異性のパートナーもいない。それでも、たまには今日のような日があるのなら、よかったのかもしれない。「君は僕の恋人」という台詞は陳腐でもロマンティックかもしれないが、「俺はお前の友達」と改まって言うのは恋人よりも恥ずかしいかもしれない。制度批判者は関係性に名前をつけているだけで陳腐と言うだろう。それでも、「友達」という関係性の中でしか成就しえない信頼は、確かに、本当にあるのだ。


「できたぞ。お前髪の色が変だから色選びに苦労したよ」

「すげえ!ありがとう。今度お前のことを小説に書くよ」


 よい日、という日があるとして、それはどんな日だろう。喫茶店のコーヒーが美味しかった。大いに結構。恋人と素晴らしいデートをした。大いに結構。普段と違うタバコの銘柄を購めてみたら意外といけた。大いに結構。「よい日」の何が「よかった」のかは、人それぞれだ。ぼくの「よい日」は、友達と酒を飲んで音楽を聴いて絵を描いた日。大いに、大いに結構だろう。一人で、恋人と、友達と、「よい日」の思い出は、ずっと残り続ける。誰とだって構わない。生きることは、未来に向かってのみ突き進むことではない。絶えず過去に送り返されながら前進することだ。送り返された過去に打ちのめされることもあるかもしれない。しかし、希望を捨ててはいけない。その過去が、自分を救ってくれることだって大いにある。ぼくは、こんな「よい日」があった。おのおのの「よい日」が、おのおのにありますように。

「友情」をテーマに小説以外でもなんでも文章にすることが初めてだったので6000字とかなり短いですが、結構苦労しました。「よい日」の「思い出」に救われることがある人は幸せだと思いますが、当然そうでない人もいると思います(そんな思い出がないという意味で)。これはそういうまだ「よい日」がない人への希望として書きました。『リチウム』が愛と欲望がテーマだったとすれば、『私はフランス語が分かりません』は友情と思い出がテーマです。読み手の方それぞれの(よい、わるい含めた)思い出を喚起できればいいなと思います。

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