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雪柳と尊いビー玉

作者: 名木雪乃


 春から夏の日差しに変わる頃、近隣のお庭や公園で白い小さな花をたくさんつけて風にそよぐ雪柳をよく見かけるようになる。


 その姿を目にすると、記憶の中にある子どもの頃の懐かしい思い出に包まれる。




 そこは住宅地の隅っこの平屋で隙間風が少し寒い借家。

 玄関入ってすぐ右がトイレ、廊下、台所、お風呂。左が続きの洋室と和室の二部屋、廊下の奥にまた和室が一部屋。

 台所からすぐお風呂のドアがあって、洗面所は無い家だった。

 そこに父、母、弟、私の家族四人とグランドピアノ一台で暮らしていた。

 なぜ狭い家にグランドピアノがあったかというと、母が個人のピアノ教師をしていたからだ。

 少人数の生徒さんだけの、小規模のピアノ教室だった。

 

 トイレは和式で、一段上がったところに便器があって、今ではあまり見ない汲み取り式。

 なんだか怖くて、急いで段から降りる途中、何回かスリッパを便器の中へ落とした。

 落としたスリッパはどうなるのかというと、汲み取り業者さんがそれだけマンホールの横に捨て置いて行くのだと、母が嘆いていたのを覚えている。


 家に隙間があったせいで、気が付くと部屋に蟻の行列ができていたこともあった。

 そして、信じられないことに、黒い虫Gを捕獲するGホ〇ホイを夜に枕元に置いて寝ていたことがあった。

 翌朝、怖いもの見たさで、そっと開けて恐る恐る見てみたら、Gの他に小さいムカデや他の虫も色々掛かっていてギョッとなった。

 部屋の中に一度ネズミも出た。その時は、父がネズミを追いかけている間、母と二人でピアノの椅子の上に避難していた。この時は、弟はまだ生まれていないかベビーベッドの上だったと思う。

 


 家の前に、子どもの遊び場には絶好の、人の手が入っていないような空き地とさほど広くない雑木林があった。

 林の中には、隣の住宅地まで通り抜けるための小道もできていて、そこは小学校への近道だった。

 空き地では、きじがたまに悠々と歩いていた。

 蛇には幸運にも遭遇したことはなかったが、蛇の抜け殻は見たので、いることにはいたのだと思う。


 林の中には開けた場所もあって、そこにある大木で木登りをした。

 結構上まで登れたのが誇らしかった。

 野生の藤が木々に巻き付いて、良い感じにその蔓を垂らしていた。

 その蔓を、ターザンロープのようにして遊んだ。

 一度蔓にぶら下がって遊んでいた時に蔓が切れて、沼地に落ち、泥だらけになって家に帰って、母に叱られた。

 でも、ターザン遊びは楽しくて、やめられなかった。


 いつの間にか空き地に古い鉄骨やタイヤが置かれるようになった。

 子どもにとってはそれも魅力的で、それらを組み合わせて秘密基地に見立てて遊んだ。


 学校から帰ると、雨の降っていない日は、近所の友達や弟と暗くなるまで外で遊び回った。



 家の庭はというと、フェンスは無く、簡単な生垣と側溝で区切られていて、たいした草木も植わっていなかった。

 覚えているのはレンギョウと雪柳、マーガレットくらい。

 春になると、最初にレンギョウが見事な黄色い花を咲かせ、次に雪柳が白い花を咲かせた。


 雪柳は、しなる細めの枝に小さくて丸い花びらの花を大量につける。

 枝を指でつまんでスッと軽く滑らせるだけで、瞬く間にこんもりと花が採れてしまう。

 それだけでも楽しかったが、よく、おままごとに使わせてもらった。

 こんもりをそのまま器に盛ってご飯とか。

 砂のごはんに小さい花びらをパラっとかけてふりかけご飯とか。

 そして、贅沢に両手に山のように載せて、パッと空へ散らすと雪のように綺麗だった。

 いつも根こそぎ採り尽して、すぐに細い枝だけの悲しい姿にしてしまう。

 こんな手荒い扱いを受けても、雪柳はたくましく、毎年必ず綺麗に花を咲かせてくれた。

 この花だけは、どんなに採っても、母から小言は言われなかった。


 もしも私が雪柳だったら……。なんて、考えが思い浮かぶ。

 子どもたちに色々な楽しみ方で遊んでもらって、一刻いっときでも喜んでもらえたなら本望だ。

 そんな風に思えた。



 遠くに住んでいた年の離れた小さい従妹が遊びに来た時、大切にコレクションしていたビー玉を一個私にくれた。それを彼女の親愛の気持ちだと思って受け取った。

 今でもそれを持っている。


 そう、子どもの頃の思い出は、机の引き出しの中にしまってある、色の綺麗なガラスのビー玉のよう。

 ビー玉はダイヤモンドやクリスタルのような価値の高いものではない。

 ただのガラスの球体。でもその色彩豊かで透明なそれは、まるでひとつの世界のようで、大切な思い出が詰まっているかのように思える。


 まだまだ一杯あるそれは、雪柳と共に、私の胸の奥で小さく光る尊い宝物だと言える。



―――――――――――――――――――――


 私の今日の出来事は明日になれば記憶となり、思い出として残るか残らないかは時が過ぎてみないと自分でもわからないものですね。


 一個人の他愛のない思い出話にお付き合いくださったみなさま、どうもありがとうございました。



 私がかつて住んでいたその場所を、最近グーグ〇マップで検索してみた所、

 やはり予想通り、空き地や雑木林、沼地だったところには住宅が立ち並んでいましたね。

 でも、驚いたことに、私が住んでいた家だけはまだ奇跡的にそのままの姿で残っていました!

 残念ながら、庭の雪柳は、映像からは確認できませんでした。


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― 新着の感想 ―
子どもの頃の懐かしい記憶が、ふとした瞬間にありありと蘇ることがありますよね。 雪のように白い花をいくつもつける雪柳から、住んでいた家の間取りや庭、近くの空き地や雑木林、咲いていた花々、そうした中にち…
[一言] 作者さまの子供の頃の思い出が、一つ一つ丁寧な描写とともに胸にスーッと入ってきました。 子供の頃の住まいや暮らし。遊んだ場所。目にした優しい植物など、なんだか自分の思い出も甦ってきました。 雪…
[一言] 今は懐かしい、思い出の中にある風景。 きっと誰の心にもあるであろうものを、丁寧な言葉で綴られていて、遠い過去に思いを馳せました。 小学校の低学年、ほんの数年だけ住んでいた社宅。 アルミサッ…
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