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夢桜

作者: 伊勢田 業平

 夜陰に紛れ現れる姿は、夢幻の乙女の様。

 淡い燐光に映し出される姿は、神秘の女神の様。

 彼女が現れる時、村人は彼女の前にかしずき、一夜の幸福を得る。

 『夢桜(ゆめざくら)

 今年も満月の世に、彼女が現れる。


 とある村を望む丘の上、満開の桜の内に注連縄しめなわによって隔離された一角がある。4本の桜に縄を巡らせ、10メートル四方を囲っている。

 風に吹かれた紙垂かみしでが空虚に流れる。

――暖かい。

 その一角だけが暖かい。温もりがあり、心落ち着くような。

 柔らかな黒土に立つ一本の石柱。時代を感じさせるボロボロに風化したその表面に刻まれた文字は、

 『夢桜』

 注連縄の張られた4本の桜は、まるでその空間から逃れるように外へ、外へと伸びていた。


 彼女は今から数百年前に、そこにいた。

 見事な膨らみのある花を咲かせ、他の桜の中にあっても1本だけ映えていた。

 いち早く春の臭いを嗅ぎ取り、真っ先に花をつけるのも彼女であったし、また最後まで花の装いを解かずに華麗を振りまいたのも彼女だった。

 彼女はその時から、村人にとって春の象徴であり、村を守護する女神であった。


 時代は移り、彼女はその美しさから恋人達の守り神となった。

 仲睦まじい恋人達の姿を見ては、彼女は恋人を包む桜の雪を降らせた。

 しかし、時には悲惨な心中によって倒れた2人を優しく包み込まなければならない時もあった。

 だが、それも彼女の仕事だった。


 村をこよなく愛した彼女。

 けれど、彼女はこの地を去らなければならなくなった。ある人間が彼女を見染め、自分の屋敷の庭へと植え替えてしまったのである。

 彼女は抵抗を試みようとしたが、自分によって村に支払われる金が貧困にある村を救うと知ると、彼女は未練を残しつつ、村を望む丘を去った。


 失意の彼女。

 彼女は不治の病にかかってしまった。

 あれだけ華やかであった姿は鳴りをひそめ、春を感じ取る事もできず、老いた姿を晒した。

 やがて彼女は景色を汚す者となって、伐採、燃やされ、その生涯を閉じた。

 もう2度と、あの可憐な姿は見られない……


 彼女の去った村の丘。

 村人は彼女の去った後に、新たなる桜を植えた。彼女の去った悲しみを紛らわすために。

 しかしどういう訳か、その場所に植えた桜は必ず枯れてしまった。2度、3度と繰り返してみても結果は同じ。

 そればかりか周りの桜も、まるで彼女がいた空間を憚るように、外へ、外へと伸びだした。

 村人はこれを、彼女の祟りではないかと大いに恐れた。


 しかし、彼女は村人を祟ってなどはいなかった。どうして祟る事などできよう。

 彼女は村の守り神なのだ。

 桜が育たなかったのも、他の桜が空間を憚ったのも、桜達が彼女の帰りを待っていただけなのだ。


 ある日の夜、村人の夢に彼女が現れた。

 暗闇の中に浮かんだ、幻想的な姿。

 満開の姿を少しだけ滲ませた、かつての華麗なる姿。

 村人は一斉に目を覚ますと、列をなして丘に登り、かつて彼女がいたその場にやってきた。

 すると、夢で見た通りの彼女がそこに花を舞わしていたのである。

 村人は歓喜に震え、むせび泣き、芳しき芳香の下に彼女を崇めた。

 村人はその夜、なんとも言われぬ幸福の内に、一夜を過ごした。


 それ以来、彼女は4月の満月の夜となると必ずその姿を現しては、村人に幸福を与え続けた。

 例え一瞬の幸福といえども、村人は彼女に感謝し、彼女を女神と崇めた。

 彼女はそれを誇りとした。


 なぜ彼女が年に一度、4月の満月の夜にしか現れないのかは分からない。

 だが、村人にとって、それはたいした問題ではなかった。

 彼女が村を守っている事に変わりはないのだから。


 そして、彼女は今年も現れる。

 現代という時代に疲れた村人を癒すために。


 『夢桜』

 彼女は今も、その美しき満開の花を咲かせていた。


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