016 林檎の聖域 -Avalon-
緑の山の風景。
バスが加速する風景。
カーブ。ガードレールに突っ込むバス。
抱き合う家族達。悲鳴を上げる青年や、神に祈る老女。
一瞬の浮遊感。
家族への祈り。
――爆発。
「「うわああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」」
悲鳴を上げて、その記憶を振り払う。
悲しい。哀しい。何だ、コレは。
――なんて綺麗で、途轍もなく哀しい祈りなんだ。
流れ込んできた記憶は、生前の少女の記憶だろうか。
バスの事故。峠から転がり落ち、大爆発を起こして。少女はそれに巻き込まれた一人か。
……そういえば、少し前にそんな事故が在った気がする。
「…………っ」
なんて事だ。尚更、手を出せなくなってしまった。
あの少女は、バスが空を飛び、自分の命運が其処までと知った時。
その最後の瞬間に、家族を想って祈っていたのだ。
「……そんな無垢なもの、俺に手が出せるわけが無いじゃないか……」
だから少女は泣くのだろうか。無垢なる魂が一つ、散ってしまった事に。
その矛盾を考えて、ようやく事の本質が見えた気がした。
……ああ、そうか。彼女は、彼女とは別の魂なんだ。
死者は生き返らない。それは、理であり絶対だ。
ならば其処に居る彼女は。…彼女だった魂の破片と、引き込まれた思念によって補完された、彼女だった新しい彼女。
「ああああああああああああああああ…………………………」
無垢なる魂が散った事に涙する無垢。
生まれたばかりのその子は、怒りを知らず、涙を知らず、愛を知らず悲しみを知らず。
だからこそ、強烈に焼きついた彼女の記憶が理解できずに、そうして泣き叫んでいるのか。
「……………………っ」
涙が溢れる。
哀しくて、キレイで、自分には如何することもできなくて。
彼女の悲しみが、彼女の取り込んでしまった瘴気の力を増幅している。
俺が魔力で瘴気を祓ったとしても、焼け石に水にもなるまい。
「くそっ、何か、方法は……」
考えて、悔しさに歯を鳴らす。
俺が扱えるのは、清流による浄化と、魔力の暴力による強制的な除霊のみ。
そんなことをすれば、彼女自体を滅ぼしてしまいかねなかった。
「あああああああ!!!!!??????????」
悲鳴が一際高くなる。
彼女が放った瘴気に、彼女自身が中てられて。その気配が、少しずつ禍々しい物へと変質しだしていた。
「…っ、不味い!?」
覚えのある気配…これは、魔物の!?
「…そうか、人魂を核として増えるのか!!」
納得する。それなら、瘴気なんていう方向性の定まらない力に方向性を与えることが出来るだろう。
…が、それはつまり、彼女が魔物になってしまうかもしれない、と言うことで。
「最悪だっ!!」
思わず声を上げて。
助ける手段を求めて、しかしどうにも成らなくて。
諦めそうになって、それでも諦め切れなくて。
少女へと飛びつく。
抱きしめて、全身から魔力を放ち、少女の魂を汚染しようとする瘴気を全力で祓っていく。
「あああああああああ」
「大丈夫。大丈夫だから」
少女の内側から放たれる魔力が身を削る。
肉体的にも、精神的にも。がりがりと削られるような、そんな不快感。
それらを完全に無視して、ただただ少女の魔力を浄化していく。
「あ、ああ、あ………」
「大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫」
呟きながら、抱きしめて。
自分の鼓動を伝える事で、相手に命を教える。
…只の育児スキンシップ法なのだが、けれどもこれこそが最も根本的なスキンシップ。
抱きしめて、話しかける。これ以上のスキンシップなんて無い。
「う、うあああああ…………」
それでも。少女の瘴気は留まることを知らなかった。
まるで、何かに人為的に手を加えられているかのように。
「……く、大丈夫、だから」
正直、大丈夫な事なんて何一つ無い。それでも、ただただ大丈夫だと少女を慰める。
……そう。俺は信じている。
大丈夫なのだ。そう、信じている。信仰すらしていた。
だって、大丈夫でない筈が無いのだ。
少女が居て、俺が居て。そしてもう一人が居る。
これで少女を助けられない筈など、絶対に無かった。
「……でしょ、夕子さん」
「勿論。……けど、事情説明だけはちゃんとしなさいよ?」
言葉が帰ってくる。
思わずクスリと微笑んで、途端俺と少女の周囲を青く優しい光が包み込んだ。
掻き消される邪悪。広域浄化結界。
邪悪の存在を絶対的に否定するその結界の力を持って、少女の内側から瘴気が完全に祓い去られていた。
ガックリと崩れ落ちる少女を受け止め、しかし自分の身体まで支えきれず、そのまま尻餅をつくように座り込んでしまった。
「流石ホラーハンター。美味しい所で登場しちゃって……」
「よく言うわよ。この私に正体を気付かせなかった貴方がなに言ってるの」
ま、ちょっとおかしいと思ってはいたんだけど、と呆れたように言う夕子さん。
……あれぇ? 何処かでボロ出したかな?
本当はちゃんとお礼を言うべきなのかもしれないが、生憎今は魔力の消費が激しすぎた。
「……夕子さん、この子、お願いしても良いですか?」
「ええ。責任持って預かるわよ」
少女を受け取ってくれた夕子さんは、そう言って一つ頷いて。
「…………あ」
「……夜、明けたわね」
空が淡く滲み出す。
暁の光に照らされて、深い闇に青味が差して、ゆっくりお、ゆっくりと朝が来ていた。
始めて見た屋上からの光景は、一言では言い表せないほどにキレイな光景だった。
「…鉄斎?」
「ちょっと、ノックダウンです。俺は置いていってくれて良いんで……後は……」
意識が、ゆっくりと睡魔に苛まれていく。
「よろ……しく――です」
意識が途切れる。
真っ黒に染まった視界の中、最後にお疲れ様、なんて労いの言葉が耳に届いた気がした。
次で最後です