015 Second Fire
息を吐いて、伸ばした触手を手元へと引き寄せる。
淡い緑の輝きは、ひっそりと袖の内側へと隠れてしまった。
「……さて」
魔術回路が、相変わらずその魔力を捉えて警告を放つ。
魔が其処にある。魔が其処に居ると。
視線を上空に移す。
蜘蛛の糸で覆われていた空が開かれ、そこに星と月の輝く夜空が映し出されて。
「……………むぅ」
それらと並ぶように、真っ黒に濁ったソレが、学校の上空に浮いていた。
思わず唸り声を上げつつ、しかし魔力を高めて一撃に備える。
瘴気の塊。
例えるなら、アレはそういったものではないだろうか。
瘴気というのが、魔物を生み出すのだというが、何となくこの瘴気というのは悪霊とかの放つ邪気…と読んでいる悪い力に似ている。
其処にある瘴気の塊。ソレは未だ形を持たない、純粋な力の結晶だ。
「…………うん」
これなら、今のうちに浄化してしまえば事は此処で終わらせることが出来るかもしれない。
触手を伸ばしてその闇の球形を捕まえる。
触手は俺の手であり神経である。捕まえた暗黒の球体。そこから、滂沱のような情報が流れ込んできた。
コレは、…人の無意識か。
何気ない不安、言い様の無い恐怖、当てもない怒り。
そんな、意味もなく存在した感情の、その残骸の結晶。
確かに、感情は強い魔力を持つというが、しかしこんな小さな感情の、しかも断片だけでこれほどの結晶体を生み出した?
…多分、これがこの場所の瘴気の元凶だろう。
コレの持つ強大な魔力が、周囲から他の魔物を引き寄せていたのだろう。
元々は無地であったのであろう魔力も、魔物の影響で瘴気と貸したのだろう。
つまりこの現状は、球体と魔物の相互干渉が生み出した偶然の産物か。
「……強制接続。我に従え、不定の力」
驚きつつも、言葉を唱えて、触手を通して球体に魔力を流し込む。
量は流さずに、細く、長く、勢いを込めて。
濁り淀むから瘴気と呼ばれるのだ。浄霊の為の技なのだが、魔力を巡回させる事で魔性を払い、淀みを清流で押し流すような浄化術。
目論見は功を奏したようだ。
闇の球体は、徐々にその闇を薄くしていく。負の方向性を掻き消され、無属性の、ただ単純なエネルギーへとその姿を変えていって。
「…………え…」
思わず、俺の口からそんな声が漏れてしまった。
浄化したその力の塊。俺の支配していた筈のその力から、不意に苛烈な叫びのような思念が響き渡っていた。
「………っ!!??」
―――イヤアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!
小さな、子供のような悲鳴。
恐怖に怯え、錯乱している、そんな声だった。
「…な、なんで子供が!?」
途端、力が…魔力が爆発した。
「くううっ!!??」
咄嗟に障壁を張って防御するが、障壁として編まれた魔力すら揺るがすほどの強大な魔力。
「ち、何なんだ一体!」
高校に紛れ込んだ…なんて事はあるまい。
この高校は坂を上った上にあり、住宅地からは少し遠い所に建てられている。
子供が用も無く来るような場所ではないのだ。
………まさか。
透明の球形が収縮する。
球形は小さく小さくなり、やがてその形は型に流し込まれたかのように、小さな人の形を取った。
そうして其処に現れたのは、中学生くらいの…全裸の少女。
「うええええええええ!!!!???」
何故に!? 何故いきなり全裸なのか!!
先ずソレを問いたくて、けれども優先順位は全然違う。
……ああ、駄目だ。頬が熱い。多分真っ赤だ。
だからといって、相手は警戒対象。下手に視線をそらすわけにも行かない。
とりあえず、首から下を見ないように気をつけて、少女を確りと見る。
……うぅ。
「おい、きみ…」
「嫌嫌いやいや怖い怖い怖い怖い怖い怖いこわいいいーーーーっ!!!!!!」
悲鳴と共に放たれる不可視の波動。
術式すら編まれて居ない、只単純な力の塊。
「ちぃっ!!」
小さく細く、触手を束ねて魔力の刃と成す。
…一閃。ライトグリーンの刃は、不可視の衝撃波を一刀両断して。
しかし、何て魔力だ。
俺はたいした魔術を知りえないが、大抵の対魔術は扱える。
所詮魔術。世界を知り、式を読み解けさえすれば、抗する事の出来ない物などない。
…が、魔力となれば話は別だ。
其処にはなんの小細工も無く、只単純な力でしかない。
単純な暴力の前に話し合いは意味を成さないということ。
「ぐっ…!」
校舎の端へと大急ぎで移動する。
出入り口のほうに留まると、背後に気絶した夕子さんを守りながら戦わなければいけなくなってしまう。流石にそれは不利すぎる。
「おい、きみってば!!」
「あああ哀哀あああ嗚呼ああああAAAあああああアアアアアアアあああ!!!!!???」
…間違いない。
今、あそこで悲哀の声で叫んでいるのは、生きた人間ではない。
確たる実体を持った、虚ろな魂。…ゴーストの類だ。
ゴーストなのに確たる肉体? 意味が解らない。が、けれども心のそこでソレを確信している俺が居て、尚更意味の解らなさに混乱する。
…けれども、するべきことは即座に理解した。
「浄化が行き届いていなかったか……」
さっきの瘴気の塊。あれは、汚染された無意識の集合だったのだろう。
その無意識の集合に飲まれていた彼女の魂は、しかし俺がその汚染を浄化したことで、集合体の中で一番のパワーバランスを締め…他のその全てを取り込んでしまったのだろう。
霊は霊を喰う。
まして、あの力は無意識というある意味雑念の集合。彼女以外に確たる意識を持った霊体が居なかったのではないだろうか。
…で、取り込んだ力に瘴気が…浄化し損ねた瘴気まで取り込んでしまい、現在ああして錯乱してしまっている…と。そんなところだろうか。
「…むぅ」
少女は此方を敵だと認識してしまっているらしい。
少女に並びこそすれ、劣りはしない程の強大な魔力。それを感じ取ったのかもしれない。
…困った。
敵対されるのは良いが、俺は少女に対して手を出したくない。
幾ら命の危機だろうが、俺の中のルールはギリギリまで守り通す。
俺のルールは、よわいものには手を上げない、だ。
「…試してみるか」
少女と視線を合わせる。
少女の視線は何処か虚ろで、然程の効果が期待できるかどうか…。
「…………っ!!」
魔眼。
俺のこの赤い目を魔術的に保護した時、偶々目覚めた特殊能力。
得たのは、“魔力加速”と“魔術装填”だ。
要するにこの魔眼は、一つだけ魔術を溜めておくことができるのだ。しかも増幅効果付き。
精々不意打ちにしか使えないが、しかしそれでも数少ない俺の手札。
乗せた魔術は“暗示”。平静を取り戻す為の鎮静効果を期待して。
「あ、ああ、あ………」
「やったか……?」
呟き、即座に触手を伸ばす。
少女と言う霊体から、瘴気を即座に浄化しようと、少女に繋いだ触手に魔力を送り込もうとして。不意に、何かが逆流してきた。
不味い、と思った時には飲み込まれて。
咄嗟に抵抗しようとした身体を理性で抑え込む。冷静に見れば、この逆流してきた何かは邪悪な何かではなくて。