第7話 「 彼女の生活 」
情けない姿には、情けない攻撃というものがお似合いであって、勿論それを連発して打ち込むだけが楽しいことなのは、仕方がないことだ。
「せいっ、せいっ」
「ちょ、痛い……んがー!羽毛がぁー!!?」
どうやらクリーンヒットしたらしい。目を抑えて華奢な身体を丸めて小声で『うごごご』と小さくもがいていた。
何故かヒカルは、こういうときだけ攻撃を成功させるのだ。本当に、無意味な事だが。
「あ、あ、あんたねぇ!女の子の体は大事にしなさいって、サポーター訓練所で習わなかったの!?」
「そのサポーター訓練所って何ですかねぇ!?」
「サポーターはサポーターでしょうよ!馬鹿なの!?」
「馬鹿はテメェだ!」
争いは同程度のレベルのものでしか起きない。クズならばクズ同士でしか争いは生まれない、みみっちいものであれ、喧嘩であれ、争いは争い。
国家レベルの争いに近い波濤だが、気迫と声量だけの喧嘩で、2人が如何に語彙力が無いのかが問われる。
この場合、DKO確定で、どちらかが意気消沈するまで収まらないであろう。
「アホ!アホアホアホ!」
「アホって言った方が馬鹿なんですぅ〜」
などと、低レベル過ぎて、笑いすら起きない漫才芸が繰り広げられていた。ツッコミだけは万能のヒカルは、今回何故かボケに回るという回りくどい作戦。逆にツッコミどころ満載の部屋で、怠惰を重ねて来たであろう少女は、茶系色混じりの銀髪を揺らして全力問答に対応している。
片方が止めれば終わる無駄な争いだというのに。
「お前がサポーターを教えてくれないと、何も反応できないだろーが!」
「う、うるさいわね!それと、あたしはお前って名前じゃないわ!」
「おーおー、なら教えてくれよ、なんて名前かぐらい言えるだろ!」
「言ってやるわよ!ええ、サラッと、クールに言ってやるわよ!!」
少女は、途端に立ち上がり漫画のようなポーズで、美少女特有の満面の笑みを浮かべる。
「あたしの名前は、エーテリア!家名は教えないわ、覚えさせる必要のないものだもの」
「エーテリア……エーテリアなぁ……」
ヒカルは、改めて実感した。
ここが、異世界であることを、たった今思い出した。日本人とは明らかに違うのに、日本語を喋っていて、名前は英語表記しやすい名前で、ヒカルと違って背中に羽根と尖った耳を持っている事を忘れていたのである。
「……えっと、実名?」
「さあ、本名はもう忘れたわ、通り名がエーテリア……エーテルっていう、流行りの特効薬の名前のパクリよ」
「本名じゃねえのかよ」
エーテルとは、ゲームなどで主流とされている全回復アイテム、もしくは、その全回復+状態異常回復というチートアイテムの事である。どうやら、この世界だと、エーテルは病気に効く特効薬らしい。
あらゆる病をも消し去るチートアイテムかどうかは知り得ない事だが、名前からして多分チートだろう。
そんなマナを消費しそうな会話を続けていては、ヒカルの精神異常状態が回復しそうにないので、話を変える事にする。
「そういや、この世界には甘い食べ物……あ、俺の世界じゃスイーツって言うんだけど、そういうのはあるのか?」
「スイーツ?……ああ、無くはないけど」
「マジか!?てか、スイーツは万国共通なのね」
驚くべき点である。
字面は完全に違うのに、言語は万国共通という事だ。そもそも、こうやってエーテリアと話せてることが既にそれを証明しているのではあるが。
「じゃあ、そのスイーツを見せてくれよ!女の子なら、料理くらいは出来るよな?」
「なんでそうなるのよ、女性は料理が出来るっていう風潮かしら……料理出来たって何の役にも立たないわ」
意外とバッサリと予想を切り捨ててくれるが、まあまあ正論である。女性なら料理を出来る、というのは偏見であり、世間一般的な風潮である。
無論、ガサツなエーテリアには出来ないのはわかっていた、物語に有りがちな『どうしようもないけど料理だけは上手い女』というレッテルを貼り付けることは出来ないみたいだ。
「じゃあ、食事はどうしてるんだ?やっぱり、出来合いのもの?」
「出来合い?…ううん、果物や野菜を貪ってるわ」
「動物かよ」
よくよく見てみれば、周りにはバナナやキュウリ、キウイなどの果物類や野菜が入った買い物袋が沢山置いてある。
食べきれず、腐り始めている果物が異臭を放たんとしていたり、放置されたプリントに果汁がべっとりとへばりついていたりと、やはり特別住みたくなくなるような部屋だ。
生活感皆無、悪く言えば廃墟、仮によく言っても借家となるかもしれない。
窓は開きっぱなし、秋の涼しい風が部屋を包み込んでくれるが、腐臭だけは撒き散らさないでほしい。まあ、そんな願いを聞いてくれる子だと、ヒカルは思っていないが。
「……とりあえず、掃除でもしないか?流石に酷過ぎるぞ、この部屋」
「なんで?生活できるなら、このままで良くないかしら」
「良いと思える要素がひとつたりともねえよ」
生活感がどれだけないのだろうか、というか、もしかすれば生活感ではなく、人間の一般常識を知らないのだろうか。
その点は、ヒカルの唯一無二の勝る点として、勝ち誇ることができるだろう。ただし、相手方は完全に勝ち負けを捨てた汚嬢様なのだから。
しかし、少しそれで困る点だって少なくともある。例えば、ヒカルは虫一匹も殺さない。あの火ダルマを例外として、生物を殺めたことは愚か、虫すらも殺せず、ゴキブリは恐怖に震えるしかなかったという。
それのせいであまりのなさけなさから、親に追い出されたという履歴がある。
「とりあえず、エーテリアよ……膝枕させてた理由くらい教えてくれないと、理不尽過ぎますですことよ」
「急にどうしたのよ、特に喋り方……。まあ、別に単純な意味で、あんたが倒れていたからよ」
「その場合俺がされる側なんだけどなぁ……。エーテリア的には、俺が丁度良かったってことか?」
「別に?」
酷過ぎるだろう。
要は、倒れていたから丁度良い枕になっただけで、対して人は選んでおらず、わざわざ部屋に運んで膝枕させていたという事らしい。
その労力を別の事に費やすことは出来ないのだろうか。特に掃除。
「ーーまあ、膝枕してくれたわけだし、一つくらいならお願い聞いてもいいけど」
「キタァァァァ!!これが俗にいうツンデレですかぁー!?」
「つんでれってなによ、あたしは別にそんなんじゃないし……」
ーー王道過ぎてビックリするくらいのツンデレ属性持ちだとは、流石に予想外だ。
ヒカル自身は、そこまで嬉しくはないのだが、ヒカルの学校ではツンデレ属性持ちの女性など少ないのだろう。仮にツンデレだったとしても、自分の知り合いとしかまともに話そうとする事のないヒカルには、考え難い事だ。授業中はイヤホンで音を遮っているし。
とにかく、相当珍しい事なのだ。少女故に、その衝撃は多く、独身で人生を終える事を前提としたヒカルには、縁がなさ過ぎる話だ。だが、今確かにこの少女に対して伝えられる願いがあった。
それはーー、
「正直一つしかないんで、この部屋のお掃除手伝ってください」
「あんたが言うなら仕方ないわね。何でもやって……今なんて?」
少女がとぼけて、顔をアホの子みたいにポカーンと口を開けている。
ヒカルは、やれやれ仕方ねえなとでも言いたげな表情で、文節を区切って、大切な部分だけをくり抜いてもう一度。
「部屋の掃除」
「断固として拒否させてください」
絶対嫌だと首を左右に振って否定を体で再現しだす。『はぁ……』と、溜息も吐く、困っている人気分を続けている。
この小一時間ほどの短い時間だけで、この少女の性格がわかっていたヒカルは、腕を組んで堂々としている。
「つまり、部屋の掃除だけはしたくないって事?」
「ええ!否定的な言葉で言わせて貰えば、お、こ、と、わ、り!」
「なら、他の願いにしろって願ってみてくれよ」
何か考えがあるのか、ニヤリと不敵に笑みを浮かべる、真剣な眼差しでエーテリアを見つめてはいるが、その心は何処と無く不自然だった。
一方で、エーテリアは袋つめされて放置されていたキウイ的な果物を取り出し、
「これをあげるから、掃除だけはさせないで」
少女の好意ではあるので、受け取ってはおく。
果物の香りが、部屋中を駆け巡る。腐った果物の香りも次第に濃くなっていき、良く見れば、プリントに引っ付いた腐った果物から、細長い何かがうねっている。
そして、遂に口を開けた。
「ーーだが、断る」
ヒカルは、自分の鞄からキウイを取り出して優しくヒカル自身の手の上に置き、ゆっくりと地面に置く。
何がしたかったのか、自分でもよく分かっていなかった。虫1人殺せぬ臆病者、高瀬 煜。ここに新しく、果物を潰せすらできない男という後々後悔しそうなレッテルを貼られる事となるのだろうか。
「……ヒカル、今何しようとしたの?」
「……かっこいい台詞言ったら、虫も殺せない男っていう性格も凌駕できるかなって」
「まあ、別に、心底どうでもいいことって事ね」
意外と冷たいもので、ヒカルはあまりの辛さに涙を浮かべかけていた。
冷静なのはいい事なのだが、呆気なくスルーされてしまうと、スルースキルの高いヒカルでも、限度というものがある。
「お前!お前お前お前!お前ってやつはぁ!」
ヒカルが地団駄を踏もうとしたその瞬間だった。
水のように冷たい感覚が靴下を覆う。粘着物を踏みつけたかのような、気味の悪い感触。
「…………え?」
あまりの出来事で、間抜けた声を出す。視線を床に落としていくと、靴下を覆う気味の悪い感触が、臓物のような気がして、直視するのも辛くなるような気がした。
だが、それはーー
「……ただの果実じゃない。何も心配する事は」
「いやいやいやいや!俺本当にこういうのダメなんです!あ、気が動転してーー」
「ちょっ、大丈夫なの!?」
ヒカルは、異世界で二度の気絶を2日のうちに済ましてしまったのである。