第5話 「 決着 」
自分の馬鹿さ加減に心が痛い。
格好付けてつい口に出してしまったのだが、本当は怖くて仕方がない。男、高瀬 煜は、あり得ない、成し遂げることが出来ないことを堂々と口に出してしまったのだ。何一つとして、まともに成就する事なく、底辺校に受かって、遂に自分の生活に飽きたのか、怠惰を積むのはもう嫌になったのか。
嫌気が指すくらい、真っ直ぐな事を言ってしまった事を、今更後悔などできないし、する気は無い。
だが、今回の場合、確かに難しい事だが、『決して、出来ないことではない』。普段は鈍間な肉ダルマ、速度を上げて走れるように変化した火ダルマとなった敵との実に簡単な鬼ごっこをすれば良いだけ。
ならば、
ーー考えて行動することに意味はないという事だ。
捕まれば負け、その為にただ身体を張って逃げ続ける簡単な鬼ごっこ。どう見たってルールが通用しない火ダルマを、何をしてもいいから追いつかせなければいい。
煜は、出口とは真逆、巨大な屋敷の側面に向かって走り始める。出口からは、なるべく遠ざけねば、あの2人の少女や、町の人々にこのゴリアテのような巨体がぶつかれば、死に至るだろう。死に至らずとも、怪我の一つや二つ、もしくは重症になる事は避けられない。
肉ダルマの弱点が火である、という事を考えてもいるのだが、火ダルマは、炎など御構い無しに突き進んでくる。
かの有名な人が呟いた名台詞、「止まるんじゃねえぞ」とは正にこの事だろう。
「めちゃくちゃじゃねえか……もう失うモンはねえってことかよ」
どうも火ダルマになった場合、火は効かなさそうだ。これ以上のダメージが、火ダルマ自身の死を意味したとしても、火ダルマは止まらないだろう。
しかし、ある意味で考えればこれも好機と言える。止まらない、ということは、この巨体は止まれない、という裏返しの意味がある。ならば、それを上手く利用することが出来れば、逃げるという単純策以外に、選択肢が増えるかもしれない。
煜は、追いかけてくる火ダルマのスピードが上がり、壁にぶつからんとしたその時、軽快な動きで、左側にバックステップ。
火ダルマは、ド派手な音を立てて壁にぶつかった。
ーー思った通りだ。
巨大な列車がスピードを出している状態では止まれない法則、有名な学者が生み出した、慣性の法則というものだ。
そして、背負っていた鞄から、筆箱を取り出す。腐っても学生であった煜は、大きな体に刺さりそうな、というか、武器になりそうなハサミを出して、空中に放り投げる。
火ダルマは、壁にぶつかり、その壁が意外にも分厚かった事が幸いし、動く事は出来たが、強い衝撃に頭を混乱させている。
完全に、隙。この隙が生まれたのは、すべて煜の努力あってこそのものである。
放り投げたハサミが火ダルマに当たるまで、コンマ5秒。瞬間的に、風が吹いた。
「ちょっ……今風なんかに煽られたら……!」
ハサミは、持ち手の部分、つまり、プラスチックや安全な素材を使った当たってもそこまで痛くない、あそこである。その部分が、火ダルマに当たってしまったのだ。
鉄の刃は、不発となった。
「ふっ……ふざけんなよ!なんで肝心な!このタイミングで!?」
最悪のタイミングで、最大の攻撃が無駄となってしまった、このミスはかなり痛い。
向こうが動けない元肉ダルマだからこそ出来た策であって、素早く動ける上に、体当たりでダメージを与えられる火ダルマには、賭けに近い策なのである。
仮に火ダルマが動かなくなれば、という絶好の機会を煜は待っていたわけだが、いざとなって失敗すると、大分痛い。
例えるなら、汗水流して勉強したのに山が当たらず、40点ギリギリだった高校生のような気持ちである。
しかし、仮に火ダルマが動けなくとも、周りの環境を考えられなかった煜の点数は良くて50点、悪くて25点といったところだろうか。
「取り敢えず、万策尽きたな……って事は、結局体力勝負になるってことか……?」
ーー無理だろ、ソレ。
なんとなく、察しはついていたのだが、恐らく煜は負けるのだろう。唯一の策を捨てた煜は、何もなかったかのようにハサミを回収して出口方向に走り出す。
火ダルマが未だ混乱していたのが幸いして、再び、出口前に来ることが出来た。
そして、
「……デカブツ、お前じゃ俺には勝てんぜ」
勝ってないくせして、ドヤ顔を浮かべるのだ。
アホな煜だが、実はかなり混乱している。あの壁に突っ込む速さ、余裕を持って避けることが出来たのは、策による、まじない的な仮初の行動力。
そんな煜の状況処理能力の欠損は絶えること無く続いた。
どこから来るのか、どこにいるのか、何をすれば勝てるのか、勝利条件はなんなのか。
RPGによって鍛えられた脳をフル回転にさせてはいるのだが、何一つとして思い浮かぶ事がない。
「……いや、待てよ……圧倒的なまでの賭けだが、勝てるかもしれない……」
一つ、たった一つだけ妙策が浮かぶ。
無謀だが、煜の勘が冴えていれば、勝つ事ができるかもしれない策。
「……そうと決まれば、かかって来いよ、デカブツ」
悲鳴のような鳴き声と、雄叫びが屋敷内で響く。空気が殆ど残っていない。このままでは、結局共死にする事となるだろう。
ならせめて、片方が片方を仕留めて生還するという、動物の下衆な発想力。
しかし、その発想は火ダルマも同じ事であるという事だ。
「来たな……キタキタキタ……!」
煜は、カバンを漁り始める。彼のカバンの中には、まともなものが入ってはいない。殆ど真っさらな教科書、一年を通して使った筆箱。しかし、そんなもので立ち向かおうと思うほど、馬鹿ではなかった。
中の物を殆ど全て取り出し、屋敷内の端っこに置けるように、放り投げた。
そして、
「必殺!カバンハンマー!!」
身体を半回転させ、遠心力を利用した一撃を火ダルマに直撃させる。
火ダルマにぶつかった事で、完全にカバンは散り散りに燃えてしまったが、そこからが策なのである。
「火ダルマ……悪いけど、俺は……燃えることを援助出来る物質を、沢山所持してんだぜ。」
そう、 紙屑である。
無駄に大量にある、ルーズリーフ。使わないのに沢山配布されるプリントの数々。
それが、火ダルマの足元を更に炎上させた。
「……火で覆われたお前は、火じゃ殺さない……ならーー」
先程不発したハサミを、カバンと同様、半回転して放り投げる。
「ーーダメージを以って、仕留める…!」
勢い良く放たれたハサミは、風に邪魔されることなく、火ダルマの身体に突き刺さる。
火ダルマという名の巨大な壁は、ついに倒壊した。カバンを無くした煜は、先に避難させておいたモノを回収し、
「眠れ、憎き肉ダルマ……あの少女の味わった死の直前という、恐怖とともに、な」
勝利の味というモノを、噛みしめるのだった。