第4話 「 少女たちの残り香 」
緊迫感というのは、ここまで人の感覚を壊すものなのだろうか。
恐怖より、緊張が勝るこの状況下、もう戻る事が出来ないという恐怖を完全に凌駕して、相手の動きを待ち続けられるのか、という事と、相手の攻撃を上手いこと避けるなんて都合の良いことがあるのだろうか、という感情が強く出てしまう。
恐らく、ここに来てからもう既に長い時間、そこで立ち往生しているだろうか、少女の腕は、完全に生気を吸われたかのようにぐったりしている。
こうなってしまえば、腕の移植は不可能だ。そもそも、移植する技術がこの世界にあるのかどうか、という初歩的な問題から始まるのだが。
目の前で此方を睨む気味の悪い肉ダルマは、周りの状況を掴まないでいる。バケモノ特有の知能の低さ、その知能の低さを利用するチャンスがうまく見当たらない。
先程のミスを考えて、無意味な行動は控えるべきだという当然の事は、頭の中で掴みとれなくとも感覚が掴めていた。
「……もし、あの扉の近くにいる少女が、オレのトコロに来てくれればまだ勝機はあるかもしれないけど……まさか、ここまでダメージを与えられなさそうな強固な壁とは思わなかったな」
まるでベルリンの巨大な壁。
撃ち壊すことが出来るのは、大砲や銃、それも強靱な弾を用いた文字通り一撃必殺を狙わねば、まず勝てないだろう。
人間が例に出来るならば、敵の敵意をこちらに集中させて、敵の動きが鈍っていくのを叩くくらいなら出来そうだが、異世界の動物|(動物であるかどうかすらわからない)あの化け物の体力が無尽蔵であった場合を考えれば、上手い考えではない。
それに、今回の狙いは肉ダルマの討伐ではなく、あくまで救出活動。救出活動であれば、自らの犠牲を前提とした行動は避けねばならない。
無頓着な煜が追われて、もし体力が無尽蔵の敵であれば、その時点で、煜自身は死ぬことになる。
悪くはない作戦だが、賭けの要素が強い上に、必ず、と言える自信が煜にはない。
「……と、なれば……『化け物を連れて逃げる』という策は完全に使えねえ駄策になっちまったわけだな……」
ーー必ず、仕留めなければならない
そうでなければ、少女は愚か、街の人を巻き込み兼ねない。
煜は歯を食いしばり、先ずは肉ダルマの背後の少女の生死を優先し、無計画のまま走り出した。
肉ダルマはお得意のパターン、未知の物質で造られた腕で煜を掴みに掛かるのだが、
「そんな凡策、二度効くと思ってんのかよ!」
思い付く限り最善の敵対策。物理でなく、間接的にダメージ、つまり、屋敷中に移った燃え盛る炎の一撃を与えるという、単純で分かりやすい策。
これが、無能極まりない煜にとって考えられる、最大の考案であり、唯一無二の良策と言えるモノになった。
「ビンゴ……!やっぱり、やけどとかの弱体化は効果あるってわけか!化け物って言っても、とどのつまり、生物ってわけか!」
意味も分からず、能垂れているが、これは正解なのである。
肉ダルマは、炎に耐えられず未知の物質を自身の身体の中にしまって、燃え移らんとする炎から鈍間に移動を始める。
これが、煜が走っているうちに見付け出した最後の好機。それは肉ダルマは炎による死より、少女を優先するか?という事だ。
ーー否
生物は自分の身を最優先に考えて行動を開始する、自分勝手に動く事を優先してしまう生物。今の自分が良ければ、後のことなど考えてられない。
食糧を捨ててまで、逃げ切ろうとするのだ。
そして、鈍間な肉ダルマの真後、少女を隠していた肉の壁を横抜けして、少女を素早く、流れ作業の如くおぶって、取り敢えず何処までと遠くへと走り出す。
「……ぉ…にい……ちゃん……?」
「安心しろ、エルフ系のキミ。あいつが何者かまでは知らねえけど、この見え辛え中、あの触手みたいなモンを炎の中に突っ込むほど、あの肉ダルマは馬鹿じゃねえよ。」
ーーまあ、でも、念のため
地面までが燃え盛る屋敷の中、扉を見つけたので、その扉を潜り抜けて、燃えているドアを勢い良く蹴り、扉を閉める。
こうする事で、生存率は少し上がる。
後は、あの肉ダルマが焼けきってくれれば、街の人も護られるだろう。それで安堵したのか、走るスピードを遅くしていった。
決して後ろは振り向かず、ただただ駆け足気分で温度の上がった屋敷内を駆け抜ける。
そしてついに、今煜達に与えられる最大の希望を得た。
最初の扉ーー入り口への誘い。いつも見ているはずの陽の光を見るのが、至福となる瞬間だった。
あの、俺をしつこく追いかけて来た少女の姿が見える。
「やった……!生還だ!」
「おにぃ……おにぃちゃん……!」
脅威に振り回されていた2人は、安堵の溜息を漏らした。死ぬかもしれない、そんな本当の恐怖に立ち向かい、煜は、奇跡の生還を成し遂げることが出来た。
ーーしかし、現実はそう甘くない。
「自分達を讃え合うのは後で良いから!早く走り抜けて来なさい!」
「何言ってんだよ!こんな嬉しい事があったら、普通は讃え合っちまうだろ!」
「死にたいなら一生そんな事言ってなさい!後ろから、ヤツが追ってきてる!その背負ってる女の子の残り香…ヤツが残して植えつけた残り香!それを追って、後ろにいるのよ!」
「ーーは?」
途端に、屋敷を襲う激しい衝撃。街にも響いただろうか、まるで地震のような衝撃が、屋敷を襲う。
肉ダルマが、先程の鈍間なスピードを嘘だと言わしめるかのような速さで、少女に襲い掛かる。
火によって肉ダルマは全身が燃え上がり、火ダルマと化していた。自身がダメージを受けることを分かっていて、決死の突進をして来たのだ。
これが、この少女に対する、執着というものだろうか。
ドス黒い執着心の魂が、想像を絶するほどの速さを生んだのか。例えるならば、猪の大突進を想像させるスピード。馬鹿でかい肉塊で出来たチーター。
「チッ……そこに、止まりやがれ!」
少女を扉の外に避難させて、無能追跡少女に託す。
小さな学生服のボタンを一つ、火ダルマに向かって、全力で放り投げる。無論、ダメージは無い。
しかし、興味を持たせるという行為には成功した。
「少女の残り香、だったか……あの子をずっと抱いていた俺にも、その残り香が染み付いてんだろ……なら、よ」
火ダルマの精神は、煜によって激動されていた。
それと同時に、煜のテンションが、頂点に達した。煜は、片目を瞑ってこう宣言するのだ。
「残り香の付いた俺と、どっちかが死ぬまで、鬼ごっこでもしようぜ」
ーー異世界最初の最終局面、生死を賭けた鬼ごっこが、始まろうとしている。