第2話 「 闇に隠れる暗殺者 」
死を目前とした人間は、脚が動かなくなると聞いたが、そんな事はない。
まだ動ける、幸い扉からは近かった。
もし、逃げ出す事が出来れば、自分の命だけは助けられるかもしれないし、あの少女と言葉が通じた事で、言葉が共通である事もわかった。ならば、みんなにこの恐怖を伝える事が出来るかもしれない。
怖気づかなければ、きっと、一を捨てて他を救うことが出来る。
だけど、
「助け……て……死にたく、ない……!」
「っ……そ、そんな眼で…俺を見るなよ…」
自分の事を助けに来たのかと、倒れていた見知らぬ女の子が、此方を見つめて離さない。少女は、そのつぶらな瞳と、恐怖に掠れてしまった声で助けを請う。
自分なら、助けられるかもしれないが、それはあまりにも無謀過ぎる。立ち向かったとしても、この数の人を、相手は殺せる存在だという事を考えてみれば、無理だという事は眼前にまで見えている未来だ。
「…恐怖に狂う気持ちは、俺にだって分かる……だけど、俺じゃ、無力過ぎる」
「……そん…な…」
少女の眼から、わずかに残っていた光が消えた。その眼からは、希望を感じ取れず、ただ、目前に迫る苦痛と、背中に忍び寄る恐怖が少女を襲う。
煜に対して、得た希望は偽物なんだと、気付いてしまう。そうやって、死に行くだけが、自分には残る。
ーーきっと、そう思ってるのだろう。
煜は、そんな少女に対して、昔の自分を照らし合わせていた。何も成し遂げられなかった自分に対して、吐き気を催すだろうと。
そんなの、許せない。そうなりたいとなんて、思わなかった。今なら、少女が手を差し伸べた今なら、きっと救えるから。
少女の手を握り、力を入れて引っ張る。体重が意外とあって、少しずつしか引っ張れない。
「へへっ…もう、大丈夫だろうよ……」
こうして、1人の少女の命が助かった。ズルズルと、力一杯に引っ張り、体重を掛けて、扉の前に連れて来た。
しかしーー
「…ありがとう…お兄ちゃん……助けーー」
ーー少女は、何かに引っ張られていった。
煜の手の中に残ってしまったのは、小さな、年端もいかない少女の、手。手から先が千切れていて、手が痙攣している。
握りしめたその手は、生命を失っていく。次第に手は冷えて、引きずられていった少女の苦痛を表現するように、痙攣を続けーー
「嘘…だ……」
その動きすら、完全に止まった。
この世の言葉で体現するならば、『死後硬直』というものだろう。人は相手の苦痛の叫びを聞くと、恐怖に屈してしまう。
しかし、扉を開けた状態で、直に聞いた悲鳴は、この世のモノとは思えない。
ーー痛い、痛い、痛い、痛い。
ーー助けて、助けて、助けて、助けて。
悲痛な叫びが、屋敷内で木霊している。気が気でなく、これ以上此処にいれば、気が動転してしまいそうだ。自分から死にに行く様なモノ。
「ーー俺は、こんなトコで死ぬのか?」
自分自身に問いかけてみる。動転してしまった自分に、何度も、何度も言い聞かせて、異世界に来て早々死んで、助けられた生命と共にこの屋敷で果て、紡げる筈だった物語すら、もう一生、夢に見ることすら許されないのか。
沢山絶望して、勝手な意志で少女を助けようとして、助けた気になって、調子に乗って、淡い希望を抱かせておいて、自分だけ幸せに死んで、本当に良いのだろうか?
元々、不必要だと思っていたこの身体を、何故そんなに大切に使うのか。このまま少女と果てるのが一番幸せなのではないか。
ーー違う。
「そんなこと……お断りだ……!!」
高瀬 煜の人生は、ぼろ雑巾を具現化させたかの様なモノだった。しかし、今此処に生まれたのは、確かな希望だった。
死に急ぎと呼ばれても、良い。絶望的に情け無い青年は、少女を助ける為に、ただそれだけの簡単な理由の為に、屋敷の奥に走って行く。
ーーその時だった
背後から、何か熱いものが迫る気がしている。血の暖かさとはまた違う、蛍火の様な弱い熱。何故か、此処に来て、聞き慣れたあの少女の声が聞こえてくる様な気がしたが、煜の五感は全て、目の前の敵にのみ、集中している。
しかし、熱さが更に迫り来る恐怖に顔を後ろに向かせて、状況を把握しようとした。その瞬間、煜の顔ギリギリに走る火焔の一閃が疾る。しかし、煜には何も見えていない。
屋敷内は小さな焔から、火が移り渡りいつの間にか、屋敷内の天井にまで火が上がっていた。
「…無茶してるじゃない、あんた」
「お、お前…」
ーーさっき俺を追いかけて来た、謎の少女だ。
少女は、瞬間的にマッチの箱を一箱、全て燃やして部屋中にばら撒いていた。
「どうやって」と、聞くより早く、驚いて止まっていた脚を動かさせる様に背中を押された。
「助けたいんでしょ、あのコ。さっさと行ってきて、パパッと終わらせて……じっくり話、聞くからね。」
ーー全く、余計なお世話だぜ。
そう思いながらも、押された背中を引くわけにはいかない。少女が行った方が、あの幼い子を、助けられる確率は上がるかもしれない。煜は、巻き込まれて死ぬかもしれない。
ーー助けたいんでしょ?
その言葉が脳裏をよぎる。
今此処で立ち向かわなければ、一体いつ立ち向かうのか。何が理由で少女を狙ったのか、何が目的でこんな屋敷に居るのか。
そんな細かい事は、関係ない。
「やってやるともさ、あのコの為に」
自分に希望を抱いてくれたあの少女を助ける為だけに、無我夢中で燃え盛る屋敷内を走り抜けるだけだ。