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「瀬戸さん。これじゃあ駄目だよ」
そう常盤さんから言われて、僕は裏切られた気すらした。
(もう直すところはないって言ったじゃないか⁉︎)
溢れ出しそうな本音を抑えつけて、震える声で常盤さんに質問した。
「駄目ですか……まだ、直す箇所がありますか?」
この問いかけに対する常盤さんの返事は、ある意味予想外だった。
「いや、どこも上手く出来てるとは思う。少なくとも、ここはこうして欲しいという箇所はない」
(直す箇所がない⁉︎)
「だったら、何で……」
駄目だと言われなきゃならないんですか⁉︎ 僕がそう言う前に常盤さんが理由を告げた。だが、それは僕には理解不能な理由だった。
「でも、この原稿は輝いていないじゃないか?」
そのあまりにも意味不明な言葉に何も返せずにいると、常盤さんは更に続けた。
「凄い漫画や小説は、もう絵が輝くだろう? キラキラと光を放つだろう? ときめきがあるだろ? この原稿には、それがない」
意味がわからない。本当に意味がわからない。そんな抽象的な言葉を理由に、これじゃあ駄目だなんて言わないでくれ。言われるたびに、こっちだって傷つくんだから。
「この原稿が輝かないのは、背景が描かれていないからかと思ったが……つまり未完成だからかとも思ったが、こうして完成したものを見ると、やはり違う」
そして、常盤さんは僕をどん底に落とした。
「この原稿は上手く出来ているんだが、そうだな……
どこか偽物を見せられている様な気がするんだ」
そこから先は良く覚えていない。その後も常盤さんはあれやこれや喋っていたが、僕は偽物という言葉が頭から離れなくて、まともにものを考えることができなかった。
そして7時を回った時点で、
「また、来るよ」
そう言って、約束通り帰っていった。
それから僕は、夕食も取らずに原稿を眺めていた。
眺めてはいるが、頭には入らない。ひたすら常盤さんへの文句が頭の中を回っている。
あれも駄目、これも駄目と言われ続け、何回も何回もやり直して、挙句に偽物扱いだ。
「何が偽物なんだよ。一体、何が……」
(偽物、偽物、偽物)
常盤さんから言われた言葉が頭の中をリフレインする。
昔、ラノベのコミカライズをした時にネットで似たようなレビューが溢れかえった。
「こうじゃねーよ。ふざけんな」「原作の良さを何も理解していない作画ですね」「なまじ絵が綺麗で期待した分だけ、よりがっかりしました」「私はこれが『異世界戦争』の公式なコミカライズだとは認めません。これは、ただの偽物です」
なまじ人気作だっただけに、ファンからの非難も酷かった。その非難はもう次回作を作れないぐらいに僕を打ちのめした。
あれから9年、忘れていた苦い気持ちが蘇ってきた。
そうやってただずんでいると、夜中の10時を回った頃に花梨がやって来た。丸いお盆に、おにぎりとお茶を乗せている。
「お父さん。ちょっとだけでも食べなよ」
そう言って、僕の隣にお盆を置いた。
「……花梨、ごめん」
せっかく用意してくれた夕食に手をつけず、わざわざ夜食を作らせた事を謝り、おにぎりに手をつけた。
食欲はなかったが、夕食を食べなかったこともあって、おにぎり2つはあっさりと無くなった。
お茶を飲んで一息ついてから、原稿に向き直り、もう何回目かわからないため息をついた。
そんな僕を花梨が励ました。
「大丈夫だよ、お父さん。お父さんの原稿、直すごとに面白くなってるもん。もうちょっと頑張れば常盤さんだって合格って言うよ」
だけど今の僕には、その言葉を……というより常盤さんを信じることができなかった。
「あの人が首を縦にふる事なんてあるかな? あれじゃない、これじゃないって、ワガママ放題じゃないか……」
「……常盤さんは、この漫画の大ファンなんだから、一話だけじゃなくて、二話、三話と見たい筈だよ。今は、ちょっとだけ常盤さんとお父さんが噛み合ってないんじゃないかな?」
「でも、今回は流石に理不尽すぎるよ」
「……何て言われたの?」
「原稿が輝いてないって……蛍光ペンで描いている訳でもないのに原稿が輝く訳がないじゃないか? それにどこか偽物っぽいってさ」
全く、腹立たしい。
「あー……あの人はきっと、感覚派の人間なんだと思う。自分の感覚で話してるから、他人には理解しずらいんだよね……」
そんな風に常盤さんへの愚痴を話している内に、ふと気がついた。花梨は僕を励ましてくれるが、常盤さんを理不尽だと批難している訳じゃない。むしろ……。
「花梨は……花梨も、常盤さんと同じで、僕の原稿が偽物だと思ってる?」
「……っ!」
思わず問いかけた質問に、花梨の表情が引きつった。
その表情で僕は理解した。
理解してしまった。
「い、いや、そんなことないよ! 私はお父さんの描いた原稿は面白いと思ってる! 思っているんだけど……その……」
花梨は慌てた様子で否定したが、嘘が苦手だから途中で口を閉ざしてしまった。
そのまま、うつむいてしまった花梨に、僕はどんな言葉もかけられなかった。
どれだけの沈黙が流れたか、小さな声で沈黙を破ったのは花梨の方だった。
「正直に言うとね……お父さんの原稿は面白いと思ってはいるんだよ。……それは本当なの。……もし、お父さんの原稿しか見ていなかったら、面白いって自信を持って言えたと思う」
でもね。そう花梨は続けた。
「常盤さんのネームの方がもっと面白いなって、正直思うんだよ」
「…………」
「常盤さんのネームを見たときはさ、問答無用でわっときてさ、もう凄かったんだよ。あんなに下手な絵なのに、こう……何て言えばいいかな……そう、常盤さんの言う、輝きがあるって感じで……でも、お父さんのやつは……」
それ以上、花梨は何も言えず口を閉ざした。
そんな花梨に僕は、父親として、正直な気持ちを晒してくれたことに感謝して、もっと良いものを作るのだと宣言して、安心させるべきなんだろうと、頭の隅では思ったけど、行動に移すことはできなかった。
胸が腐り落ちそうで、さっき食べたおにぎりが砂に変わったような気がして、もうどうにもならない。
ネームを完成させたら、つまらなくなった。劣化した。
これほど僕の漫画家としての存在価値がないことを示す言葉はないと思う。
もちろん人の価値観は人それぞれで、国民的人気漫画ですら、つまらないと評価する人もいる訳で、親子ですら価値観が違うことは当たり前で、だから、偶々、花梨にとっては常盤さんのネームが花梨の感性にヒットした可能性もあるのだが、そんな風には考えられなかった。
花梨は娘で、いつも支えてくれて、僕たちは二人で生きてきた。母親に逃げられて、エロ漫画描いてて、まともな職にも就けなくて、自由な進路を用意してやることも出来ない……そんな情けない僕に、恨み言一つも言わずに「お父さんは、頑張っているよ」って笑ってくれる花梨が僕の原稿より、常盤さんのネームの方が面白いと思うなら、身びいきなんてものを超えた差があるということだ。そう思う。
何より、僕が納得してしまった。
僕は……いつからか僕の描いた『パンドラの契約者』が雑誌に掲載されると思っていた。冷静に考えるとおかしな話だ。
僕は鳴かず飛ばずの漫画家だし、常盤さんは、ついこの前までサラリーマンをやっていた自称投資家だ。そして『パンドラの契約者』は3巻打ち切り小説で、普通に考えるなら箸にも棒にもかからない。
でも、それらのことが気にもならなくなっていた。気にもならないくらいに物語が面白かったからだ。
ただ一点。面白いという一点だけが、他の全ての事情を凌駕した。
そして、そう僕が思ったのは僕の描いた原稿を読み返した時ではなく、常盤さんのネームを見た時だった。
勘違いしていた。とどのつまり才能があるのは常盤さんだけなのだ。
(僕の原稿は常盤さんのネームをつまらなくしただけの偽物なのか?)
何回も何回も試行錯誤して、出来上がったのが劣化品、その事実に僕は震えた。
もう、何も考えられなかった。
「ありがとう花梨……参考になったよ……僕は、もうちょっと考えるから、花梨はもう寝なさい」
今は花梨とすら話たくなかった。
ぶっきらぼうな僕の言葉を聞いた花梨は、無言で食器を片付けると立ち上がった。
そして、
「ごめんね、お父さん……」
そう僕に謝った花梨の表情は、これまで見たこともないほど悲しげだった。
花梨が去った後、しばらくして体が震えた。
「僕は……最低の父親だ……」
花梨は僕の為を思って、正直な気持ちを伝えてくれたのに……。
そんな花梨の優しさを理解していたのに、花梨にやつあたりしてしまった。
ツーっと涙が頬を伝った。
「あ………ああっ…………」
流れ落ちた涙がポタポタと原稿に落ち、インクが滲んだが構わなかった。だって僕の描いた漫画なんて偽物でしかないんだから。
「ぁぁぁっ……ああぁぁあっ……ああぁぁぁぁ……」
嗚咽を漏らしながら思い知った。いや、ずっと前から薄々自覚していた。
僕には才能がない。




