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『パンドラの契約者』を描き始めて4日後、僕は第1話の部分を描き終えた。

 といっても背景はほぼ描いていない。逆にキャラクターはしっかり描いた。

 下書きやネームというには出来過ぎで、完成というには程遠い、そんな中途半端な状況だ。

 何故、そんな中途半端な所で手を止めるかと言えば、それが常盤さんとの約束だからだ。

 とりあえず下書きの時点で一度、意見交換をすることにしたのだが、常盤さんは素人なのでラフな下書きだとイメージが掴めないかもしれないと言われたので、キャラクターはしっかりと描くことになったのだ。

 因みに4日で仕上げたのは、かなりのスピードだと思う。僕は絵を描くのは速いんだ。

 完成した1話を始めから終わりまで読んでみた。


「うーん…………いい出来だよな?」


 面白いと思う。でもイマイチ断言できない。正直な所、僕は自分の作品を客観視するのが苦手だ。昔からそうだった。

 だから僕は、自分の描いた作品は誰かに意見が欲しい。

 とりあえず、一番身近な花梨に見てもらった。


「………………面白いと思う」


 奥歯に物が挟まった様な口調で花梨はそう言った。

 そして、


「ごめん、お父さん。……やっぱりお父さんの描いた話だと思うと冷静に見れないや。面白いと思うんだけど、何処かでお父さんが描いたからって気持ちになる」


 こういう所、僕らは親子なんだよなぁ。


「いや、ありがとう花梨。後は常盤さんに見てもらうから気にしなくていいよ。それに、自分でも結構な出来だとは思ってるんだ」


 そして翌日、いつものファミレスで常盤さんと落ち合った。

 常盤さんは挨拶もそこそこに原稿を読み始めた。

 その間、僕は読み終えるのを待っているだけだけど、昔っから慣れない。不安でドキドキする。

 そんな緊張感の中、常盤さんは最後まで読み終えた。


(どうなんだろう?)


 面白いのかつまらないのか、僕は答えを待っていたのだが、常盤さんはどちらのリアクションもせずに、また始めから読み出した。


(ど、どっちなんだ?)


 邪魔をする訳にも行かず、常盤さんが読み終えるのを待つ僕。

 結局、常盤さんは4回読み返した。

 そして僕は、


(4回も読んだんだから、合格かな)


 そう思った。

 思ってしまった。

 浅はかだった。

 常盤さんの話が始まった。


「瀬戸さん、これ、コピー取ってあるのかい?」

「は、はい。こっちがコピーです」

「なら書き込んでもいいよな…………ではまずはこれなんだが、7ページ目の、黒矢が歩いている所。これパンドラちゃんが全身描いてある。ここは、パンドラちゃんの脚だけ描いて、そっと黒矢の肩に乗らなきゃ駄目だよ。ちゃんとネームにも書いてあっただろう?」


 そこを具体的に説明すると、まず一話の前半で主人公の黒矢が、あまりめだたない学生生活を送っている所だ。クラスメイトの男子達が「隣のクラスの神坂さん、いいよな」「ああ、あんな娘と付き合いたい」なんて噂話をしているのはお約束だ。

 そして、休み時間、次の授業が理科室なので、クラスの男子とたわいもない話をしながら理科室に向かう途中、周囲の人間には見えない悪魔パンドラが初登場して、本性を隠している黒矢を皮肉るが、黒矢はめだたない為に彼女を無視して歩く。というシーンだ。

 僕はそのシーンで、悪魔パンドラを浮かせて、黒矢と肩を並べる形で描いたのだが、常盤さん的にはそれは駄目らしい。常盤さんはパンドラに赤ペンでバツ印をつけて、黒矢の肩から足らしきものを描いた。


「駄目でしたか……?」


 僕は釈然としないものを感じながら呟いた。釈然としないのには理由が二つある。

 一つは、そもそも常盤さんのネームが下手過ぎて、黒矢の肩に乗るというイメージが掴めなかったからだ。ネームではもやしの様な線に矢印でパンドラと書いてあった。あれはパンドラの足という意味だったのか…………てっきり、僕はパンドラを描けなかったから、もやしの様な線がパンドラだよって意味だと勘違いした。これに関しては常盤さんにも責任があると思う。まあ、こういう行き違いを修正する為に今日があるんだ。それはいい。ちょっともやもやするけど、我慢出来る。

 問題は二つ目の方だ。


「えっと、足だけですか? 顔は出さなくてもいいんですか?」


 そもそも、何故、足だけを登場させるのかわからない。もっと言えばそこまで重要なシーンでもない。僕はそう思っていたが、常盤さんは強く言った。


「むしろ、最初から顔まで登場とかありえない! 普通を装う黒矢だぞ、非日常の部分は少しずつ小出しで登場させるべきだ。例えばストリップショーってあるだろ。あの服を脱いでいくやつ。あれ、最初から全裸じゃないだろ? そうじゃなくて、一枚一枚脱いでいく過程にこそ価値があるんじゃないか? まあ、私は見たことはないがね」

「はぁ……」


 もっと、他に適当な例え話がなかったのかと思う反面、常盤さんの言いたい事をなんとなく理解出来たあたり、僕も男だと思う。


「そもそも、一話は地味で普通の高校生の黒矢が学園アイドルの葵ちゃんと共通の秘密を持ってるって話だろ? その二人に焦点を当てるべきで、パンドラちゃんにスポットライトを当てるのは二話以降でいいんだ。何より、パンドラちゃんが黒矢の肩に乗らないと黒矢のかっこよさが演出出来ないじゃないか?」

「え? …………ええ?」


 意味不明だった。

 仮に、このシーンを描き直して常盤さんの指示通り黒矢の肩に乗せたとして、それの何処に黒矢のかっこよさがあるのか分からなかった。


「えっと……それの何処がかっこいいんですか?」

「え? わからないのかい?」


 まるで、わかって当然だろうと言わんばかりだが、残念ながらわからない。正直に答えた。


「すいません。ちょっとわかりせん」

「そうか……なら説明するけど、パンドラちゃんが黒矢の肩に乗るって事は、黒矢が見上げればパンドラちゃんのミニスカートの中身、パンツがばっちり見えるって事だ」


 はぁ? いや、えええええ⁉︎


「…………黒矢、パンドラのパンツ見るんですか?」

「馬鹿! 黒矢は見ねえよ! 女の子のパンツ覗いて、うへへへへ、なんてニヤける主人公なんているか! そうじゃなくて、普通の男子高校生なら見上げる所で、そんな興味を持たないからかっこいいんじゃないか⁉︎」


 常盤さんの話について行けない僕は無能なんだろうか? 理解力がないのだろうか?

 つい、自問自答した僕に、常盤さんは懇切丁寧に持論を展開した。


「いいかい? よく言われているけど、小説や漫画の主人公に黒髪の平凡な男が多いのは、それが読み手にとって共感しやすいキャラクターだからだ。これは分かるだろう?」

「はい」


 僕は短く頷いた。それはわかりやすかった。


「ここは日本で、フランクなアメリカ人やナンパなイタリアンを主人公にしてもウケない訳だ。だから、読み手の男性が共感できるキャラクターじゃないと駄目だ。しかし、それだけじゃ駄目なんだ。読者に近しいと共感させる反面、読者がやれない事をやれなきゃ主人公じゃない。とある漫画のセリフを引用させて貰うが、『さっすが黒矢! 俺たちにやれない事を平然とやりやがる。そこに痺れる! 憧れる!』と読者から思われる主人公がいい主人公だ」

「は、はあ」

「つまりだな、普通の男子高校生の肩に褐色美少女が乗っかったら、顔のすぐ隣の生足にドギマギしたり、頭上にあるパンツの事で頭が一杯になるだろう?」

「……まあ、そうですね」


 意味不明理論を展開する常盤さんに辛うじて相槌を打った。僕もかつては男子高校生だったから、わからない訳じゃない。わからないのは、この話が面白い漫画を描くことに結びついているかどうかが、わからない。


「がっつりと覗くのか? ちらちらと覗くのか? いずれにせよ頭の中はパンツで一杯だ。それが普通だ。でも黒矢は違う。大切な人を失った黒矢は復讐の事で頭が一杯でパンドラちゃんのパンツなんかに興味を持っていないんだ。そこが、かっこいい! そして読者が、これ黒矢が見上げればパンツ見えるんじゃね? そう思ってくれたら勝ちなんだ!」


 力強く断言する常盤さん。でも、僕はちょっとついて行けない。一体、何が勝ちなんだろう?


「更にだ! 敢えてパンツを見せる様なポジションに立つ事で、パンドラちゃんがちょっとエッチなイタズラを仕掛ける小悪魔ちゃんだとアピールできるし、黒矢がパンドラちゃんのイタズラになびかない事で、悪魔を倒す為とはいえ悪魔の手を借りる事に対する自己嫌悪を表現する為の伏線にもなる! ……と、いう訳でパンドラちゃんは黒矢と肩を並べるんじゃなく、肩に乗りゃなきゃならないんだ。わかってくれたかな瀬戸さん?」


(わかんねーよ、このど変態!)


 そう言えない雇われの身を嘆きつつも、辛うじて「わかりました」と、頷いた。

 正直、常盤さんの熱論を聞いても、そんなに違うと思えなかった。ただ、僕の中にそんな熱い常盤さんの意見を押し退けてまで僕の描いたシーンを押す理由がなかった。

 だから、此処は常盤さんの言うとおり、修正しようと思ったが、それはほんの始まりに過ぎなかった。

 常盤さんは次から次へと指摘を始めた。


「次はここのシーン。ここな、ここ。ここは流れが悪い。もうちょいスピードを上げてくれ」

「このセリフはもっと不貞腐れた表情をさせてくれ」

「こことこのシーンの葵ちゃん、ちょっと黒矢へ向ける顔が笑顔過ぎる。駄目。一緒に悪魔憑きを追う二人だけど、最初は必要だから嫌々組んでいるんだ。もっと相手に興味ないけど、仕方ないから一緒にいる感を出さないと」

「これは駄目! 具体的にどう駄目かはわからないけど、とにかくこれは駄目!なんとかしてくれ」


 気が付けば、およそ数時間。ほぼ全てのページに赤ペンでのチェックが入った。

 賭けてもいい。昔、編集者さんと打ち合わせした時だって、ここまでチェックが入った事はなかった。

 赤ペンだらけの原稿は、お前、全然駄目だな。そう言われている様な気がして、落ち込んだ。


「結構、いい出来だと思っていたんですけどね……」


 打ち合わせの終わり間際、つい、負け惜しみの様に自分の考えを口に出すと、常盤さんは呆れた。

 そして、僕に言う。


「いい出来? 何を言ってるんだ瀬戸さんは? いいかい? 読者は一話を見て、先を読むか読まないかを決めるんだよ? その一話がいい出来でどうする? 傑作でなけりゃ駄目に決まっているだろう?」


 一言もいい返せなかった。その後、常盤さんが帰っても、しばらくはファミレスで座ったまま、動けなかった。

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